1月24日は「モディリアーニ忌日」。1920年、35歳のことである。
先日、アンディ・ガルシアが演じた「モディリアーニ」をDVDで見た。第一次世界大戦後のパリのカフェ。ここに、連日連夜、アーティストが集まるのだが、あるカフェの影響力の中心にいたのが、ピカソとモディリアーニ。芸術的方法論も対極にあったかもしれないこの二人は、お互いの中に、自分に無いものを感じ取っている。
ユダヤの血を引き、生涯アルコールとクスリで破滅的に生きたモディリアーニ。画壇で、名声も富も得たのは、ピカソであったが、ピカソは自分の死の床で、モディリアーニの名前をよび、息絶えたという。
広場にあるロダンの彫刻の前で「ベア・ダンス」に興じるモディリアーニ。また、ゆかりのパリに行きたくなった。
先日、アンディ・ガルシアが演じた「モディリアーニ」をDVDで見た。第一次世界大戦後のパリのカフェ。ここに、連日連夜、アーティストが集まるのだが、あるカフェの影響力の中心にいたのが、ピカソとモディリアーニ。芸術的方法論も対極にあったかもしれないこの二人は、お互いの中に、自分に無いものを感じ取っている。
ユダヤの血を引き、生涯アルコールとクスリで破滅的に生きたモディリアーニ。画壇で、名声も富も得たのは、ピカソであったが、ピカソは自分の死の床で、モディリアーニの名前をよび、息絶えたという。
広場にあるロダンの彫刻の前で「ベア・ダンス」に興じるモディリアーニ。また、ゆかりのパリに行きたくなった。
面長の顔の婦人像の写真を買って帰って、飾りましたっけ。
なんとも、物悲しいように見えて、その色が描いた人そのもののように思えて、心惹かれた記憶があります。
ひよこが始めて目に映るものを親と思うように、今でも、名前を聞くと懐かしい気持ちになります。
それにつけても、先生によって違うだろうけど、「美術」の時間を思い出すといまでも腹がたちますね。もっともっと、「絵画」や「彫塑」や、美的表現の伝え方に、いろんなやり方があるだろうに!