サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

松蔭忌

2005年10月27日 | インドア歳時記
10月27日は「松蔭忌」。長州藩で松下村塾を開き藩士の子弟を教育した吉田松陰の1830(文政13)年の忌日。安政の大獄で捕えられ、この日に処刑された。

天保元年に生まれ、安政6年に処刑された。享年29歳。

幕末の思想家、教育者、兵学者として知られる松蔭は「松下村塾」で木戸孝允、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋ら、維新の指導者たる青年を育てた。

松蔭の思想は「一君万民論」に代表される。すなわち、「天下は一人の天下」(天皇絶対論)であり、天皇の下、ウルトラ平等主義が生まれる。すなわち、当事で言えば、幕府・藩という中間権力をいっさい否定するという、とてもラジカルな思想であった。

公家・宮廷政治でもなく、幕藩封建制でもない。事実、松蔭は、ペリー来航時に、接触を求め、長崎からのロシア船による渡航、また2度目のペリー来航時には、密出国を企てている。西欧文明を学ぶ、開明性はもちろん持っているわけである。

出身の山口県萩市の松蔭神社に参拝したことがあるが、僕は、東京の松蔭神社にも、たまに足を運ぶ。環七若林から、歩いていく。そうして20代のラディカルな思想家に想いを馳せる。

最後の投獄は世に言う「安政の大獄」にまつわるもの。1858年の「日米修好通商条約」に抗議して老中暗殺を計画したことを、自らの思想だと主張したのだ。150年前の国体議論。しかしながら、それは、現在までも、深部ではつながっている。

「身ハたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置まし大和魂」
(処刑直前、辞世の句とされる)




最新の画像もっと見る

コメントを投稿