サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

孫文忌日

2006年03月12日 | インドア歳時記
3月12日は「孫文忌日」。1925年、58歳。辛亥革命を経て、中国革命の父と呼ばれ、また中華民国(台湾)では、国父と呼ばれた。最後は、北京で客死したが「未だ革命ならず」と呟いたという。

孫文は「客家」の出身であるが、若くして、西欧文明を学んだ。1912年には、南京政府樹立で、「革命のリーダー」として、迎え入れられた。その後、袁世凱との闘争を経て、革命ロシアや第一次国共合作も仕掛けたが、蒋介石一派とも対立するようになった。

孫文の唱える「大アジア主義」は、頭山満など日本の国士・活動家にも大きな影響を与えた。南京にある孫文の墓地は「中山陵」と呼ばれるが、日本滞在時代に、拠点とした公家の中山家にちなんでいる。中山家は、明治天皇の母を生み出しており、そのことが、いまでも、日中をまたにかける「隠し子伝説」の背景となっている。また、孫文と結婚した、宗家三姉妹の次女宋慶麗は、中国人民を深く愛し、「中国の母」と呼ばれている。

当時の世相であれば、たぶん僕は孫文や宋慶麗と、交差していただろう。根拠はないが、そう確信している。

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