気まぐれ日言己2

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R168旧隧道群1

2010-11-28 12:19:00 | 道ネタ
越路隧道の続き。
しばらくUPする暇なかったんで遅くなりマスタ。( ´∀`)

R168の新越路トンネル以北、東敷屋トンネルまでの間にも
いくつかのトンネルがあります。

そのほとんどが昭和40年代後半に建設されたトンネル。
それらにも旧隧道があるとのことなので、
新宮から本宮に向かう道すがら立ち寄ってみました。
さて、R168新宮~本宮間は『川丈道路』と呼ばれた区間。

明治時代まで、この区間には人一人が歩けるぐらいの道しか
なかったそうです。
物資の輸送や参詣客は熊野川を上下する舟を利用していました。

ところが大水などで川が氾濫すると、しばらくの間休航となる
ことから、物資輸送などに遅延が起こることから道路(車道)の
建設が要望されました。

明治22年(1889)9月20日、十津川~熊野川に大水害が発生。
熊野本宮大社が流されるという大災害になりました。

ちなみに十津川村に大きな被害をもたらしたのは同じ年の
8月の大水害です。

これを気に道路(車道)建設の請願が始まります。

明治24年(1891)2月に中辺路の建設(請川から先の延長工事)を
陳情。
翌25年(1892)8月に敷屋~新宮間の道路建設が陳情されます。

・・・が、全く建設される気配がないまま時が流れます。
財政不足だったようです。

明治27年(1894)までに中辺路の田辺~請川間の整備が終わり、
請川~日足(ひたり)間の改修が計画されます。

・・・が、この後、日清・日露戦争により延期。

なんだかんだで、実際に建設が始まるのは大正時代に入って
からになります。
新宮側から建設が始まり、まずは越路隧道が大正14年(1925)に
開通。本宮に向かって車道建設が本格化し、新宮~宮井間の
車道は昭和14年(1939)年頃に完成します。

この後は日華事変、大東亜戦争に突入したため建設は中断。
残る宮井~請川間が開通するのは、R168が全通する前年の
昭和33年(1958)のこと。

最初の陳情がなされてから67年かかって、やっと新宮~本宮間の
車道が開通したことになります。

参考資料:熊野川町史、本宮町史、新宮市史
<<つづく>>


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