気まぐれ日言己2

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芸予要塞(5)

2018-01-03 17:54:00 | 軍事ネタ
●北部砲台跡(2)

海岸沿いの遊歩道分岐点を過ぎると北部砲台跡の北側、
二十四糎加濃砲が設置されていたエリアに入ります。



案内図。
左上にある長方形の部分、何だったんでしょうか?

その付け根付近から斜めに延びるのが探照灯跡に向かう道。



写真、左奥が謎の施設跡。
右側に草木に覆われた道らしいのが探照灯跡への道のようです。
密林と化しており、向かうのは困難なようです。



北部砲台跡。
一番奥に地下兵舎跡が見えます。

手前にある大きな木、おそらく廃止された後に成長したのでしょう。
樹齢80年ぐらいですかね?



二十四糎加濃砲の砲座跡。
北部砲台には4門の加濃砲が配置されていました。

北部砲台が竣工したのが明治35年なので、
時期的には二十三口径か二十六口径の二十四糎加濃砲ですかね?

●芸予要塞廃止

瀬戸内への敵艦隊侵入阻止を目的に建設された芸予要塞ですが、
豊予海峡に豊予要塞の建設が決定されたことで存在意義がなく
なりました。
関門海峡と紀淡海峡、豊予海峡に要塞があれば、
瀬戸内への侵入は阻止できます。

大正9年(1920年)の要塞整理方針により、芸予要塞は広島湾
要塞と共に整理・廃止対象となり、大正13年(1924年)に
豊予要塞の一部が竣工したことにより、同年12月1日付けで
廃止されました。

廃止後、芸予要塞の建築物は解体されることなく放置。
二十四糎加濃砲も放置されたままだっとか。
(最終的に二十四糎加濃砲は大東亜戦争時の金属供出で撤去)

そこで当時の越智郡波止浜町(現:今治市)町長が陸軍大臣に
払い下げを請願。
その熱心さから、条件付で大正15年(1926年)に払い下げる
ことになりました。

その条件が、払い下げ前に飛行機と工兵による要塞攻撃の演習を
認めるということでした。

経緯は分かりませんが、この演習には海軍も参加。

演習は大正15年(1926年)8月15日に開始され、
旧北部砲台に対する陸海軍航空隊による爆撃演習、
翌週には陸軍工兵による要塞爆破演習が行われました。

それだけの爆撃・爆破演習にも関わらず、北部砲台の一部が
破壊されただけで終わり、そのまま払い下げられました。



写真は爆撃による破壊跡。
破壊跡は修復されることなくそのままの状態で残されています。



ぐにゃりと曲がった鉄柵(?)。
かなり太いのですが、爆風による衝撃を受けてぐにゃりと曲がって
います。
別の場所のは根元から千切れていました。
至近で爆発していますから、その衝撃は凄かったのでしょう。



砲台付近は完全に破壊されていません。
よほど強固に建設されたためか、爆撃に使用された爆弾の威力が
小さかったのかどうかは分かりません。

なんにせよ、こうして80年ほど前の爆撃跡を見ることが
出来るのは、ここが唯一の場所でしょう。



最奥の地下兵舎跡。ここの内部は崩れています。
工兵による爆破演習に使用されたのか自然に崩れたのかは不明です。

ただ他の地下室や地下兵舎が崩れていないどころが雨漏りすらして
いないほど頑丈に建設されているところを見ると、
人為的に崩された可能性があるかと・・・。



地下兵舎跡横から指令塔跡に上がる急な階段。

あかん、もう上がれない・・・。

ここに来るまでで体力を消耗しきった管理人でした。
北部砲台の指令塔跡まで上り下りする体力・気力は
残っておりませんでした・・・。

残念ながらここで撤収となりました。

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海岸沿いの遊歩道に出て海沿いを歩いて港に戻ります。



海岸から見た来島海峡大橋。
いつもとは違った方向から見ることが出来ます。

来るときに同じ船に乗っていた釣り客のおっちゃんと再会し、
釣ったばかりの烏賊を見せてもらったりしてのんびりと歩きました。



港に到着。
しばらくすると渡船がやって来たので乗船して波止浜港に
戻りました。



糸山公園の展望台から見た小島。
こんな小さな島に要塞跡があるとは信じられないでしょう。

幸いなことに、小島の要塞は実戦を経験することなく役目を終えました。

地元に払い下げられた後は公園として整備されたものの、終戦前後の
混乱で忘れ去られて荒廃してしまいます。

しかし戦後の混乱が終わり、高度成長期に入った昭和43年
(1968年)に旧要塞の保存運動が始まります。
その運動は、やがて自治体(今治市)を動かし保存・整備事業が
行われて現在に至っています。

明治時代の貴重な石造り建築物が、ほぼ当時のまま残っている
ことは驚くべきことです。

100年以上前の建築物は、地元の方々にとって誇りあるもの
なのでしょう。

さて小島にある要塞跡ですが、
我が国に現存する明治期の石造り建築物としては、最大級であり
保存状態が極めて良好なため、平成13年度に日本土木学会の
選奨土木遺産に選定されています。

日本の土木建築史上でも大変貴重な建築物なのです。

<<やっと終わり>>

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