過日の松山ツーリングで訪れたバイク屋さん、
松山に移転されたのは書きましたが、住所を見てピンときたのですね。
「掩体壕群の近くやがな」ヽ(・∀・ )ノ
なので今回訪れるにあたり、戦跡巡りもしてきました。
後日のツーリングの下見も兼ねて松山市街からR437で三津浜港へ。
三津浜港からr22を南下して掩体壕群に向かいます。
このルートを選択したのは沿道に松山海軍航空隊に関する碑があるためです。
まずは吉田金比羅神社前にある『松山海軍航空隊跡』の碑。
こちらは予科練教育航空隊であった松山海軍航空隊の碑となります。
碑文によると、序幕(お披露目)されたのが昭和60年(1985年)11月3日のようです。
終戦から40年後の明治節の日です。
詳しくは碑文の写真をご覧ください。m(_ _)m
金比羅前バス停(三津浜港行き)の前にあります。
ちなみにr22は交通量が多くて渋滞気味です。
路駐出来ませんので、車で行かれる場合は注意してください。
続いて神社から空港に向かって少し下った所にあるテイジン前の『松山海軍航空隊跡』碑。
神社前の碑と同じく松山海軍航空隊跡の碑ですが、こちらは甲飛十四期会により建てられました。
目立つ場所にあるのですぐに分かります。
碑としてはこちらの方が有名ですかね。
テイジン松山工場のある一帯は旧帝国海軍松山飛行場だった場所。
戦後、民間に払い下げられています。
この付近に航空隊兵舎などの隊門があったのでしょう。
碑文の裏側。
平成13年6月に再建立と印されています。
甲飛一四期会の方々が再建立されているので、神社前に建立された碑に続いて二基目の石碑として
建立されたのでしょうかね?
この辺の経緯は分かりません。
なお、碑のすぐ横にあったコンビニは飲食店になっていました。
車の場合は邪魔にならない場所に停めましょう。
ところで、神社前とテイジン前の間、三津浜港方向に向かって左側にあった公園に
航空機を模した遊具があったのですが、止まれなかったのでスルーしてしまいました。
気になる・・・
この碑の近くには地下壕への入口が数カ所あるのですが、時間的な都合と暑さで今回はパスしました。
いずれ機会があれば訪れてみます。
松山に移転されたのは書きましたが、住所を見てピンときたのですね。
「掩体壕群の近くやがな」ヽ(・∀・ )ノ
なので今回訪れるにあたり、戦跡巡りもしてきました。
後日のツーリングの下見も兼ねて松山市街からR437で三津浜港へ。
三津浜港からr22を南下して掩体壕群に向かいます。
このルートを選択したのは沿道に松山海軍航空隊に関する碑があるためです。
まずは吉田金比羅神社前にある『松山海軍航空隊跡』の碑。
こちらは予科練教育航空隊であった松山海軍航空隊の碑となります。
碑文によると、序幕(お披露目)されたのが昭和60年(1985年)11月3日のようです。
終戦から40年後の明治節の日です。
詳しくは碑文の写真をご覧ください。m(_ _)m
金比羅前バス停(三津浜港行き)の前にあります。
ちなみにr22は交通量が多くて渋滞気味です。
路駐出来ませんので、車で行かれる場合は注意してください。
続いて神社から空港に向かって少し下った所にあるテイジン前の『松山海軍航空隊跡』碑。
神社前の碑と同じく松山海軍航空隊跡の碑ですが、こちらは甲飛十四期会により建てられました。
目立つ場所にあるのですぐに分かります。
碑としてはこちらの方が有名ですかね。
テイジン松山工場のある一帯は旧帝国海軍松山飛行場だった場所。
戦後、民間に払い下げられています。
この付近に航空隊兵舎などの隊門があったのでしょう。
碑文の裏側。
平成13年6月に再建立と印されています。
甲飛一四期会の方々が再建立されているので、神社前に建立された碑に続いて二基目の石碑として
建立されたのでしょうかね?
この辺の経緯は分かりません。
なお、碑のすぐ横にあったコンビニは飲食店になっていました。
車の場合は邪魔にならない場所に停めましょう。
ところで、神社前とテイジン前の間、三津浜港方向に向かって左側にあった公園に
航空機を模した遊具があったのですが、止まれなかったのでスルーしてしまいました。
気になる・・・
この碑の近くには地下壕への入口が数カ所あるのですが、時間的な都合と暑さで今回はパスしました。
いずれ機会があれば訪れてみます。
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