自分の武器は何だろう、と考えてみる。もちろんナイフではないし、ヌンチャクでもない。ではペン? そう言い切ることもできない。
この間、あなたの頭の中はものすごく整頓されているね、と言われたことがあった。どうやら体系的に見えるらしい。ぼくの頭の中では物事が有機的に結びついていると。そうは感じられないので、どうしてそう思うのか聞いてみたら、幾つか例を出してくれて、そのまま何となく説得されてしまった。その人が言うには、この「体系性」がぼくの武器らしい。しかし、どう考えたってぼくの頭の中が整理されているとは思えない。これほどぐちゃぐちゃな脳みその持ち主も珍しいのではないかと思われるほどだ。もっとも、たしか漱石も自分の頭の中がぐちゃぐちゃだ、と言っていた(と思う)ので、案外人の感想の方が自分の実感よりも正しいときがあるのかもしれない。とはいえ、ぼくの場合は実感の方が正しい気がする。だって、普段のブログの内容はてんでまとまっていないじゃないか。これが何よりの証拠。
じゃあ自分の武器って何だろう。恥ずかしながら、頭のよさとか才能とか、そういうものは人並み以上ではないとはっきり自覚している。文章もあんまり巧みではない。
ただ、ぼくは自分の感受性とそれを表出する能力にだけは、ちょっとだけ期待したいと思ってる。自信は全然ないんだけど、もしぼくが少数でも一部の人たちから認められるものを持っているとしたら、それは自分の感性を前面に押し出す文章でしかありえないと思う。ぼくには衒いはないし、好きなものは好きと言い、嫌いなものは嫌いと言う率直さも(良いか悪いかは別として)性格として備わっている。
と書いてみたけれど、この程度の感性の持ち主も文章の書き手もいくらでもいるだろうし、そもそもそれが果たして武器になるのかどうか怪しい。いや、それ以前にぼくに自慢できるような(例えそれがほんの少しだったとしても)感性が備わっているのだろうか。最初の土台が既に揺らいでいるよ。でも、せめて期待はしたいんだよな。他には武器なんてないから、本当にないから、感受性には、せめて感受性には、期待したいんだよな。
と書いてみたけれど・・・。だからぼくはカッターナイフを握りしめるのだ。
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明日は朝が早いのです。