いったいこの人達の精神構造はどうなっているのだろうか?まずは韓国の中央日報で繰り広げられた、1日おきに展開される記事を順番に見ていただきたい。
2013年09月28日中央日報「<対馬の仏像窃盗>日本政府の返還要求は正当か」
2013年09月29日中央日報「【社説】浮石寺の仏像返還、理性的に対処せねば=韓国」
2013年09月30日中央日報「【取材日記】韓日文化交流の足かせとなる日本の強引なやり方」
私は9月27日に下村文科相が韓国側のカウンターパートである劉震龍文化体育観光相と会談した際に、「長崎県対馬市から盗まれた仏像2体の返還を(下村文科相が)要請し、劉氏は韓国政府として返還に向けてきちんと対応していくと応じた」というニュースを聞いて、韓国側ではどう扱われているのだろうと気になり、報道の推移を見続けていた。外国の報道の日本語版を介して情報判断をする手前、少々のタイムラグがあるのは仕方がないということで様子を見ていたのだが、上述の様に9/28には単純に事実を報道し、国内の反応を探っていた感がある。しかし、その報道に対する国内の反発がそれほど大きくなかったのか、(韓国文科相はこの時点で批判の声を恐れて後ろ向きの弁解に走り始めていたのだが)中央日報編集部は日本に返却すべしという発言をアシストする意味で9/29に正論を「社説」として掲載した。しかし、社説でそこまで書かれると「ふざけんな!この野郎!」との爆発的な批判が新聞社に寄せられたので、バランスを取るために9/30には下村文科相を極右の極悪政治家と断定し、しかも下村文科相が日本のマスコミと結託して韓国文科相を陥れようとしたと韓国文科相を擁護をしだしたという流れが感じ取れる展開だ。
ちなみにこの一連の流れを考える時に、この中央日報のスタンスと言うのは過去の記事の中からも知ることができる。
2013年1月30日中央日報「<対馬の仏像窃盗>返すべきか…『その前に流出経緯の確認が必要』」
この中で、「文化財庁は(2013年1月)29日、『この仏像が日本に不法的に渡ったという証拠は探せない。略奪の根拠がない場合は、関連法令に基づき仏像を日本に返さなければならない』と明らかにした。」と正論を語っている。ただし、この様な国際標準を尊重するにしても国内世論は無視できず、「韓日両国の共同調査を通じて仏像の伝来過程を明らかにし、調査期間中はユネスコの仲裁を経て第3国に遺物を預ける案などを検討してみる必要がある」と述べる者もいるとしている。重要なのは略奪の証明だが、「問題はこれを立証する資料が残っているかどうかだ。文化財庁は1980年代から収集した資料をもとに計14万9126件(2013年1月基準)の海外にある韓国文化財を把握しているが、今回日本で盗難された仏像はこの目録に載っていないという。」と書かれているから、中央日報のスタンスとしては、(証拠がない以上は仕方がないので)この仏像は遅かれ早かれ、日本に返却されるべきものであることを悟っている節がある。
ところで、もうひとつの正論についても考えて見たい。以下は例え話である。50年ほど昔、ある人の所有物であった財宝が、気がついたら別の人の所有物になっていたとする。元の所有者の元に財宝があった時代の当事者は既に他界した後で、何故、新しい所有者に財宝が渡ったかの真実が不透明な状況で、その財宝の返還要求がなされたらどのように扱われるべきかという問題である。重要なのは上述の中央日報の論調にもある通り、別の人の所有物として長い年月が経過して、その間、何ら返還の要求や盗難届けすら出されていなかったという点である。この状況では当然、所有権は現在の所有者にあるのは誰にも疑う余地がない。しかし、仮にこれが盗難されたものである証拠があったとしよう。その財宝を盗んだ者(実質的にはその子孫などの相続者)がその財宝を所有していた場合、時効とかの細かい規則を横に置いておくとすれば、現在の所有者側が盗んだことを証明できれば返還要求は法的に見て妥当なのだろう。しかし、通常の民法であれば、善意の第三者が盗品を盗品と知らずに購入した場合、その善意の第三者の所有権を侵害して強制的な返還行為を行うことは許されない。つまり、国際的な基準に照らし合わせれば、韓国側がその仏像の所有権を手にするまでには、単に盗まれた経緯が何処かに記録があってもそれだけでは不十分で、その仏像を現在所有しているお寺側がその当時の盗難に加担していたことを証明しないといけない。この様に2重、3重のハードルが存在するはずである。その仏像が盗難されたことを証明し、その盗難の実行犯と現在の所有者の先祖がつるんでいたことを証明し、さらに時効的な概念を考慮した上で当事者間での合意を得る必要があるのである。もともと、朝鮮半島では仏像などを排する動きがあり、倭寇とかとは関係なく仏像を寺から略奪したり、ないしは毀損されることを避けるために寺から別の場所に避難させたりと、不穏な動きが多々あったと聞く。特に毀損されることを避けるために寺から別の場所に避難させたケースでは、ほとんどの場合には記録に残らないだろう。ここでは、この仏像を大切に扱ってくれる第3者に仏像を託すことが予想されるから、その一環として日本に渡ったことは容易に予想できる。もちろん悪意の略奪もあったのは間違いないから、その様なケースにおいて盗難の経緯の全てを克明に記録し、そこに記載の仏像が今回の仏像であると断定できるだけの十分な証拠が存在し、しかも日本に渡った経緯と日本の寺院が取得した経緯の全てが記された証拠までも存在し、その一貫的な違法性が確認できなければ、(その後の交渉の余地は認めるとしても)まずは日本に仏像を返還するのが筋である。多分、上述の1月の記事や9/29の記事を書いた記者はその様な常識を持っていたのだろう。
しかし、これだけの正論の上に立った韓国文科相や上述の韓国文化財庁の考え方に対し、それを一旦は社説という形で「返還すべし」との論調を張りながら、国内世論が良からぬ方向に向かうことを恐れてポピュリズムの紙面編集に走る。さらに論理的な議論で戦えないことを知った上で、ゲリラ戦に持ち込むための無茶振りな論調を平気で掲載する。この中央日報の態度は、既にジャーナリズムの正義の体をなしていないのであるが、それよりも面白いのは、多分、中央日報の社内には常識を少しは理解する良識派と、完全にポピュリズムに走る極右(極左?)のナショナリストが混在し、双方が綱引きをしながら一進一退の攻防を繰り広げているのだろう。これらの記事のぶれ方は、まさにその証拠の様に見て取れる。
多分、この様な新聞記事のぶれ方は、そのまま朴槿惠大統領や閣僚のブレにと伝染する。韓国の外相も相変わらずの状況だから、朴大統領も正論に返ってくる日は遠いだろう。日韓首脳会談は少なくとも1年間はなさそうだ。しかし、韓国経済や北朝鮮情勢はそれだけの期間、待てるとは思えない。既に北朝鮮と同様に時限爆弾がカウントダウンしている様な感覚を覚えるところである。爆弾が破裂して泣き付いてきても遅いのである。
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2013年09月28日中央日報「<対馬の仏像窃盗>日本政府の返還要求は正当か」
2013年09月29日中央日報「【社説】浮石寺の仏像返還、理性的に対処せねば=韓国」
2013年09月30日中央日報「【取材日記】韓日文化交流の足かせとなる日本の強引なやり方」
私は9月27日に下村文科相が韓国側のカウンターパートである劉震龍文化体育観光相と会談した際に、「長崎県対馬市から盗まれた仏像2体の返還を(下村文科相が)要請し、劉氏は韓国政府として返還に向けてきちんと対応していくと応じた」というニュースを聞いて、韓国側ではどう扱われているのだろうと気になり、報道の推移を見続けていた。外国の報道の日本語版を介して情報判断をする手前、少々のタイムラグがあるのは仕方がないということで様子を見ていたのだが、上述の様に9/28には単純に事実を報道し、国内の反応を探っていた感がある。しかし、その報道に対する国内の反発がそれほど大きくなかったのか、(韓国文科相はこの時点で批判の声を恐れて後ろ向きの弁解に走り始めていたのだが)中央日報編集部は日本に返却すべしという発言をアシストする意味で9/29に正論を「社説」として掲載した。しかし、社説でそこまで書かれると「ふざけんな!この野郎!」との爆発的な批判が新聞社に寄せられたので、バランスを取るために9/30には下村文科相を極右の極悪政治家と断定し、しかも下村文科相が日本のマスコミと結託して韓国文科相を陥れようとしたと韓国文科相を擁護をしだしたという流れが感じ取れる展開だ。
ちなみにこの一連の流れを考える時に、この中央日報のスタンスと言うのは過去の記事の中からも知ることができる。
2013年1月30日中央日報「<対馬の仏像窃盗>返すべきか…『その前に流出経緯の確認が必要』」
この中で、「文化財庁は(2013年1月)29日、『この仏像が日本に不法的に渡ったという証拠は探せない。略奪の根拠がない場合は、関連法令に基づき仏像を日本に返さなければならない』と明らかにした。」と正論を語っている。ただし、この様な国際標準を尊重するにしても国内世論は無視できず、「韓日両国の共同調査を通じて仏像の伝来過程を明らかにし、調査期間中はユネスコの仲裁を経て第3国に遺物を預ける案などを検討してみる必要がある」と述べる者もいるとしている。重要なのは略奪の証明だが、「問題はこれを立証する資料が残っているかどうかだ。文化財庁は1980年代から収集した資料をもとに計14万9126件(2013年1月基準)の海外にある韓国文化財を把握しているが、今回日本で盗難された仏像はこの目録に載っていないという。」と書かれているから、中央日報のスタンスとしては、(証拠がない以上は仕方がないので)この仏像は遅かれ早かれ、日本に返却されるべきものであることを悟っている節がある。
ところで、もうひとつの正論についても考えて見たい。以下は例え話である。50年ほど昔、ある人の所有物であった財宝が、気がついたら別の人の所有物になっていたとする。元の所有者の元に財宝があった時代の当事者は既に他界した後で、何故、新しい所有者に財宝が渡ったかの真実が不透明な状況で、その財宝の返還要求がなされたらどのように扱われるべきかという問題である。重要なのは上述の中央日報の論調にもある通り、別の人の所有物として長い年月が経過して、その間、何ら返還の要求や盗難届けすら出されていなかったという点である。この状況では当然、所有権は現在の所有者にあるのは誰にも疑う余地がない。しかし、仮にこれが盗難されたものである証拠があったとしよう。その財宝を盗んだ者(実質的にはその子孫などの相続者)がその財宝を所有していた場合、時効とかの細かい規則を横に置いておくとすれば、現在の所有者側が盗んだことを証明できれば返還要求は法的に見て妥当なのだろう。しかし、通常の民法であれば、善意の第三者が盗品を盗品と知らずに購入した場合、その善意の第三者の所有権を侵害して強制的な返還行為を行うことは許されない。つまり、国際的な基準に照らし合わせれば、韓国側がその仏像の所有権を手にするまでには、単に盗まれた経緯が何処かに記録があってもそれだけでは不十分で、その仏像を現在所有しているお寺側がその当時の盗難に加担していたことを証明しないといけない。この様に2重、3重のハードルが存在するはずである。その仏像が盗難されたことを証明し、その盗難の実行犯と現在の所有者の先祖がつるんでいたことを証明し、さらに時効的な概念を考慮した上で当事者間での合意を得る必要があるのである。もともと、朝鮮半島では仏像などを排する動きがあり、倭寇とかとは関係なく仏像を寺から略奪したり、ないしは毀損されることを避けるために寺から別の場所に避難させたりと、不穏な動きが多々あったと聞く。特に毀損されることを避けるために寺から別の場所に避難させたケースでは、ほとんどの場合には記録に残らないだろう。ここでは、この仏像を大切に扱ってくれる第3者に仏像を託すことが予想されるから、その一環として日本に渡ったことは容易に予想できる。もちろん悪意の略奪もあったのは間違いないから、その様なケースにおいて盗難の経緯の全てを克明に記録し、そこに記載の仏像が今回の仏像であると断定できるだけの十分な証拠が存在し、しかも日本に渡った経緯と日本の寺院が取得した経緯の全てが記された証拠までも存在し、その一貫的な違法性が確認できなければ、(その後の交渉の余地は認めるとしても)まずは日本に仏像を返還するのが筋である。多分、上述の1月の記事や9/29の記事を書いた記者はその様な常識を持っていたのだろう。
しかし、これだけの正論の上に立った韓国文科相や上述の韓国文化財庁の考え方に対し、それを一旦は社説という形で「返還すべし」との論調を張りながら、国内世論が良からぬ方向に向かうことを恐れてポピュリズムの紙面編集に走る。さらに論理的な議論で戦えないことを知った上で、ゲリラ戦に持ち込むための無茶振りな論調を平気で掲載する。この中央日報の態度は、既にジャーナリズムの正義の体をなしていないのであるが、それよりも面白いのは、多分、中央日報の社内には常識を少しは理解する良識派と、完全にポピュリズムに走る極右(極左?)のナショナリストが混在し、双方が綱引きをしながら一進一退の攻防を繰り広げているのだろう。これらの記事のぶれ方は、まさにその証拠の様に見て取れる。
多分、この様な新聞記事のぶれ方は、そのまま朴槿惠大統領や閣僚のブレにと伝染する。韓国の外相も相変わらずの状況だから、朴大統領も正論に返ってくる日は遠いだろう。日韓首脳会談は少なくとも1年間はなさそうだ。しかし、韓国経済や北朝鮮情勢はそれだけの期間、待てるとは思えない。既に北朝鮮と同様に時限爆弾がカウントダウンしている様な感覚を覚えるところである。爆弾が破裂して泣き付いてきても遅いのである。
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