けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

最大の「ブラック企業」対策は経済再生である!

2013-09-29 19:00:39 | 政治
先週金曜の朝まで生テレビのテーマは「激論!雇用と若者」ということで、実質的には「ブラック企業」についての様々な議論が行われた。今日はそこでの議論をベースとして、自分の頭の中で整理してみようと思った。

まず、番組をご覧になった方は感じたと思うのだが、非常に面白い議論であった。弱者の立場に立った弱者救済を掲げることで如何にも「正義の御旗」を勝ち取ったかの様に振舞いたいマスコミなどにありがちな議論がある一方で、個別の主張に対して「それって本当?」というシンプルな疑問も湧く。総論的に「ブラック企業」の範囲を広げて、あの企業もこの企業も「ブラック」として日頃の不満をぶつけたい側と、もっと核論にこだわり個別のケースで是々非々を判断したいと考える側もある。政府にしても企業にしても、100点満点はない中でどの様にアプローチを最適化すべきかと言う議論と、100点でないことが問題だからもっとラディカルに革新すべきという議論もある。

ここでの議論では、固有名詞を出すのがご法度とされていたので、素人的には具体的にどの企業のことを言っているのか分からない部分もある。だから、ここでNPO法人POSSE代表の今野晴貴氏が言っていた様な事象が本当にあるのか否かは良く分からない。彼が「ブラック企業」の定義としていたのは、「1年ないしは2~3年で50%程度の人が離職し、その背景に精神的にも体力的にも短期間で使い尽くすことを前提に新入社員を募集し、ボロボロになったらまた次の社員を大量に雇い、辞めざるを得なく追い込まれたときには精神疾患にもなって一生働けないほどの状態になる企業」が「ブラック企業」であり、社会的にも大企業・有名企業と認識されているところにその様な企業が多数存在するという。私の感覚では、中小企業レベルでは様々な悪どい会社が存在し、それらを「ブラック企業」というのは分かるのだが、大企業でありながら「ブラック企業」というのはピンとこなかった。勿論、例えば某ハンバーガーショップなどでは、サービス残業が指摘される昨今、そのサービス残業の呪縛から逃れる抜け道として社員を管理職徴用(具体的には店長)し、高いノルマを与えてボロボロになるまで働かせる一方、店長としての裁量を与えずに単なる非管理職の単純社員扱いをしていたという話は聞く。しかし、これらは労働基準法などの法律を精査し改定していくことで、実質的には排除できるはずの話で、その点は弁護士の永沢徹氏なども「ブラック企業として問題視するのか、犯罪行為として問題視するのか?」という視点から、「ブラック企業」と特別視することに対しての疑問があった。

しかし、先出の今野氏は「ブラック企業の問題は、単なる労働基準法で取り締まれる様な単純な部分だけでなく、労働契約法とか別の視点で問題視すべき部分がある。例えば、うつ病になるほど追い込まれる社員がいる一方、それに順応してしまい勝ち抜く社員もいるために、実際にそれが犯罪行為と見なされるべきものか否かは裁判を行って確定判決が出ないと難しい。普通の弱者は裁判に訴えようとは考えないので、その犯罪行為が表に出ることなく闇に葬られてしまう。」と問題の複雑さを指摘する。

しかし、ここで新たな疑問も湧いてくる。精神的にボロボロになるのであれば、何故にその前に会社を辞めないのかと言う点である。その点を鋭く切り込んだのが武蔵野学院大学SMB研究所所長の松田元氏であり、法的に違法として取り締まることすらできない「ブラック企業」が存在するなら、さっさと見切りをつけて社員が大量に辞めてしまえば、新卒採用のコストが実際には相当な額(ドリームインキュベータ会長の堀紘一氏は、自社の採用にかかる費用は一人当たり400万円とまで言っていた)になるので、その様な企業の生産性はお幅に低下し、結果的に自然淘汰されていくという。だから、今野氏の様なNPO法人の活動により、潰れるまでに10年かかる悪徳の「ブラック企業」を3年で追い込むことが出来るかも知れないからNPO法人の活動は応援するにしても、それ以上に過大に囃し立てて淘汰されることもない「一般企業」の幾つかに白羽の矢を立て、その様な企業を追い込むことに関しては「それで良いのか?」と疑問に感じるという違和感を提示していた。

例えば、先日シャープとの提携で取りざたされた超々大企業の台湾の鴻海精密工業などでは、そのやり手の会長は重役のトイレで部下がオシッコをするのを眺め、正常な色の尿を見ると「血尿が出ない程度の働きではダメだ!」と罵倒するのだという。この様なワンマンな無茶な会社をマーケットから退出させるべきかと言えば微妙だろう。工場で働く作業員一人一人にそこまでの労働を強いるのではなく、重役クラスに強いるのであればそれだけのスキルがある人は、耐えられなければ十分に転職が出来るのだから。同様に、私の知り合いでも転職した人がいるが、マッキンゼーの様な会社は殆ど3年もすると転職するのだという。しかし、転職というのはあくまでもステップアップであり、その踏み台としてスキルを身に着けるのを目的として、超ハードな日々に覚悟の上で飛び込んでいくのだという。この様な離職率の高さは当然ながら問題とはならないし、そこで長時間労働を強いられたとしても、明文化されていなくてもそれが当初の契約の条件であったりするのだから。しかし難しいのは、最近では教師の中でも就職して数年で鬱になったり、自殺に至ったりするケースがある。これは、教師という職業は自分が学生時代に散々見てきた職業だからある程度は予想がつくが、一方ではモンスターペアレントや荒れたクラスでの言うことを聞かない生徒の存在などの思いもよらない展開により、期せずして鬱や精神的な追い込みに至ることがある。ある程度の個性がある先生でれば、その人間的な魅力で生徒を十分にひきつけ、モンスターペアレントを上手く手なずけることもできるかも知れないが、殆どの先生にはそこまでの才能などないだろう。私が子供の頃であれば、親の方が子供に対し「先生が言うことには絶対服従」という暗黙の圧力をかけていたから良いが、現在では昔ほどレベルの高い選別にかけられて教師になっている訳ではないから、権利の主張を覚えた我儘な親の増加に伴って、教師は不遇の時代にあるという。これをもって、教員も「ブラック企業」かといえば誰もそうは思わない。また、楽天などでは社長の三木谷氏が社内の会議を全て英語で執り行うと決めたそうだが、そんなことになったら英語が苦手でノイローゼになる社員も出ておかしくないと思うのだが、その際には楽天も「ブラック企業」と言うべきかといえばそんなはずはない。

この様に考えると、労働基準法で取り締まれない「ブラック企業」というものの扱いは極めて難しいものがある。「泣き寝入り」を許さないための裁判に向けた弁護士によるサポートというのはひとつの重要なアプローチであるが、これもやり過ぎるとモンスターペアレンツならぬ、モンスター・退職者が出てきてもおかしくはない。私の職場にも鬱を経験している同僚がいるが、今時の社会では、ある種のプレッシャーと共にある職場では、ある確率で鬱の社員が出るのは寧ろ自然な結果なのかも知れない。経営者側に悪意がある場合を「ブラック企業」と言うのだろうが、社員側に悪意がある場合も今後は当然の如く予想される。また、中間の一部の管理者が悪意を持つ場合もあるから、それを全て会社の責任にすべきかは微妙である。

話は変わるが、最近ではブログで「今日は美味しいパスタを頂きました!」と書いただけで、「貴様、自慢してんじゃねぇ!食べ物をまともに食べられない人がいることを忘れるな!」と非難して炎上することがあるらしい。人の幸福を妬む精神が、この様な現象を産むのである。この傾向の意図することは、発展する企業を妬み、その様な企業の足を引っ張ることに喜びを感じる人がいるということである。つまり、その様な企業に「ブラック企業」とレッテルを張りたい人もいるかも知れない。結局のところは、「ブラック企業」の選別に変な恣意的な悪意を埋め込もうとされたら、単純に「出る杭を打つ」だけにもなりかねない。

この様に考えると、「ブラック企業」に対する根本的な対策は、労働基準法やパワハラなどの正攻法とも言うべき取り締まりを超えた過剰な政策を論じるよりも、経済の再生が最大の近道なのかも知れない。上手くいけば、後1年程度でアベノミクスの果実を我々は手にすることが出来るかも知れない。その時、景気が良ければ転職の自由度が高まる。会社を辞めたら落伍者になってしまうという恐怖が「退職せずに、自らを鬱にまで追い込んでいく原因」となり、どうせ無理を強いても会社を辞めないとタカをくくる経営者が「ブラック企業」になるという誘惑に駆られる。だから、昔のバブルの時代の様に売り手市場になれば、人は簡単に再就職の道を選ぶことが出来、必然的にブラック企業は淘汰される。それと同時に、大学レベルで「自分を鬱に追い込むまで職場にしがみ付くこと」の危険性を教育し、より自分に合った環境での就労を助長するような教育のカリキュラムを取り込むことも必要かもしれない。

私が就職したバブルの時代には、大学は就職活動のアシスト的なことは何もしていなかった。先輩などを通じて企業見学を希望し、その中で気に入ったところを選んで指導教官に「この会社に決めました」と伝えると、(当然の如く面接などは行うが)殆どそれで就職が決まっていた。偶然、大学内で希望が重複したり、面接で何かポカをしたりすると落ちたりもするが、超有名大学でもないのに売り手市場の時代の恩恵を私たちは十分に味わってきた。そこまでの際限が出来るとは思わないが、経済の再生は多くの問題を根本から解決できる可能性は高い。そこで足りない部分を、上述のように学生側に教育を施すことで、自己防衛の免疫力を高める。これが短期的には効力があるような気がする。

世の中の制度にはまだまだ不備があるのは事実だが、対策に対するバランス感覚が時の為政者には求められるのだと思う。この点を、マスコミは理解できていないのかも知れない。

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