けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

朝生の「慰安婦問題とメディアの責任」を見て(1)

2014-10-02 21:36:37 | 政治
やっと先日の朝まで生テレビ「激論!“慰安婦問題”とメディアの責任」を見ることが出来た。色々言いたいことがあるので、何回かに分けてコメントしたい。

最初の今日は少々どうでも良い低レベルの話から・・・。

このブログでも何度か書いているが、どうして報道関係者の中には「他人に死ぬほど厳しく、自分や仲間には驚くほど甘い」人が多いのかと絶望させられる。今回の朝生には、元朝日新聞編集委員の山田厚史氏、元共同通信ソウル特派員の青木理氏が参加していたが、この二人の発言は聞くに堪えられないものが多い。少々左寄りかも知れないが、司会の田原総一郎氏も津田大介氏も無条件で朝日新聞のふたつの誤報・捏造に対する反省のなさを糾弾していた。全てが納得できる訳ではないが、彼らの「是々非々」で問題に当たる謙虚さは評価して良い。駄目なものはダメなのである。一方で、だからと言って何でも間でも朝日新聞を叩けば良いという訳でもなく、その辺は責める側にしても是々非々で臨まなければならない。

しかし、山田厚史氏はしょっぱなから産経新聞の不祥事を連呼して「どうして朝日だけ!!」と開き直った様な発言をするし、青木理氏に至っては吉田調書問題での朝日の報道を木村社長が取り消した点に対しても、「どうしてあの記事を取り消す必要があるのか!タイトルだけ訂正すれば問題ないだろ!」という主張をしている。青木氏の他の発言の中では、「新聞記者と言うものは膨大な数の事件や記事を扱うから、そんなもののひとつひとつ裏を取っている暇などない。誤解を恐れずに言えば、全て裏など取っていたらやってられない。誤報なんてあって当然だ!」というニュアンスの内容の発言をしていた。これはある部分まではな得できる部分であるが、それは「誤報があったら即座に訂正し、その誤報によって損害を受けた者がいるならば、その損害を最大限原状回復するだけの努力をする」という前提があっての話である。しかし、吉田調書の事件では、極端なことを言えば「東日本壊滅」の危機を命がけで救った英雄たちを、世界中から「卑怯者」と罵られる様な記事を書いておきながら、その訂正を世界に求める努力のかけらもない状態で「謝れば済む」と短絡的に考えている者を弁護するのだから救われない。

少し話が逸れるが、朝日新聞は障害者郵便制度悪用事件で冤罪の罪に問われた村木厚子氏の無罪を証明する「フロッピーディスクの改竄」をスクープした。朝日新聞のスクープの中にはこの様に賞賛されて然るべきものも多いのは事実である

。ここで、大阪地検特捜部の不正に加わった者は処罰され、村木氏には無罪判決が言い渡され、失ったものは多いながらも司法、行政サイドは村木氏の原状復帰に向けた対応を行った。誤り事態は決して許されるものではないが、結果的には原状復帰のための最大限の処置はなされたとみても良い。しかし、Fukushima Fiftysと呼ばれた英雄たちの名誉は決して回復されることはない。何故なら、ニューヨークタイムズや韓国の新聞などはその様な反日の訳に立たない「弁解・訂正記事」など全くニュースの価値がないから、それを自ら掲載することなどしない。一度広まった噂は、その噂を広めた張本人が本気で訂正と原状回復の努力をしなければ取り返しなどつかない。ましてや慰安婦問題などに関しては、既に嘘が100回以上繰り返され、本当の事実と虚構の境界線が全く分からなくなってしまっている。どちらも朝日新聞が私財を投げ打って原状回復の努力をしなければ、誤った認識は訂正されることなく、失った名誉はこのままでは永久に回復されることがない。しかし、その様な状況が放置されながら「誤報なんてあって当然だ!」というスタンスを貫く報道屋という人たちは、報道する資格などあるのかと私は疑ってしまう。

もう少し言えば、確かに「誤報」や「筆(または口)が滑った」ということはゴマンとあって、そんなのを責められていたらマスコミなんてやっていられないだろう。しかし、例えば橋下大阪市長の慰安婦発言の時の彼らの態度はどうであっただろうか?橋下氏は何度もぶら下がり取材に応えている。ぶら下がり取材と言うのは、原稿などない1対1の真剣勝負だから、ついうっかり口が滑ることなど当然ある。しかし、そこで意図しないことを話の流れで発言してしまったとき、その後に正式に訂正し、誤りのない文書上での公式見解を資料として配布しても、その様な公式見解など全く無視した状態で、「公人なのだから、うっかり喋ったことの責任も負うべきだ!」「喋ったことが事実なら、それが『意図したことではない』などと言い逃れしてはいけない!」と責め続ける。傍から見ていれば極めて非論理的な攻撃だが、100歩譲ってそれがマスコミの仕事だというのなら、自らの誤りに対しても少なくとも同様の厳しい追及をして頂ただかなければならない。それが身内の朝日新聞だから「この辺で許してあげるべきだ!」とか、「朝日だけ叩いてどうなる!」と言われても、言ってることとやってることが真逆でその様な人の言うことを信じることなどできない。殆ど虐めの様な構図で橋下市長叩きをやっていた報道機関として、同様の責めを負って頂くのが筋と言うものである。

他にも、NHKの籾井会長の記者会見の話もそうであった。慰安婦報道に対して何度も何度も応える立場にないと回答を拒否していたのに、挑発して個人的意見でよいから答えろと追い込んだくせに、個人的意見を述べたら叩きまくり、それを撤回すると言ったら「一度喋ったことは取り消せない!」と糾弾する。であれば、一度報道した誤りは取り消せないから、(せめて被害者と同じ苦しみを加害者が味わうといった)その責任をお前も味わえよ!!と言いたくなる。しかし、山田氏も青木氏もその様な覚悟など毛頭なく、ましてや身内の朝日新聞を責めるつもりなど死んでもないだろう。困ったものである。

ちなみに、青木氏の主張の根底にあるのは、「事実なんだから報道して何が悪い」というスタンスである。作話師の吉田証言があったことは事実だから、それを報道するのは誤報ではないと言う。福島第一原発で吉田所長の命令が伝わらずに勝手に福島大に原発に行った人がいたのだから、「命令違反で撤退」というのも事実だと言う。しかし、繰り返しこのブログでも言うように、「事実」と「真実」は異なるものである。しかし、彼らにとっては「真実」はどうでも良いことで、裁判沙汰になった時に「事実」でありさえすれば逃げられるという発想が頭から抜けない。驚いたことに、番組の中では「『真実』は神様のみが知るもの」だから「真実」なんて誰にも分かるものではなく、あるのは「事実」のみだと結論づけていた。しかし、それは誤りである。

確かに、神のみが知る「真実」があるのは事実である。しかし、「福島第一原発において多くの所員が吉田所長の命令に従わずに逃走した」などという認識は明らかに間違いで、伝言ゲームの錯綜や、「前日までの福島第2原発に一時退避しなければならない状況を想定した議論」から、「一時退避と言われて福島第2原発のことと勘違いした」という現実がそこにあったことは、常識的な国語力を持つ人であれば、あの吉田調書から読み取ることができるはずである。それは明らかに「真実」であり、一方で事実の切り貼りで作った誤解へ誘導する内容は明らかに「虚構」である。決して神のみぞ知る「真実」などと言うものではない。せめて、もう少し解読が難解な問題を対象に「神のみぞ知る」と言って欲しい。

私が良く引用する湾岸戦争で米軍がハイテク兵器の映像を垂れ流し、「これなら誤爆などあり得ない」という世論誘導を狙ったケースを例に取るまでもなく、権力と言うものは報道をミスリードするために「事実」のつまみ食いを我々に促すのである。湾岸戦争では「映像」という「疑いもない事実」を突きつけられ、全体の兵器の1割ほどしかハイテク兵器が存在せず、残りの古典的な9割の兵器が誤爆を誘発するという「真実」を覆い隠してしまった。「事実」は「真実」を捻じ曲げるのに利用され、そしてそのテクニックは「権力者」が使うことが多いのも事実である。情報のリークなどはその典型例である。その際、彼らは後で「嘘つき!」と罵られたくないから、「嘘」ではなく「事実」を餌に巻く。だから、「事実さえ書けば、真実なんて知らない」という開き直りは、「私はジャーナリストの才能など有りません」と懺悔する様なものである。にも関わらず、青木氏は「ジャーナリストの才能はないから、誤って多くの人を傷つけるかも知れないが、それが何か・・・」と開き直るようなものである。

報道は既に権力となってしまった。多くの人が報道に傷つけられ、その理不尽さに涙を呑むのである。その責任を感じられない未熟者には、第一線から退いて頂き、ネットの世界でブログでも書いて満足してもらうしかない。

全く困った人たちである。

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