けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

安倍総理が見ている世界~「法の下の支配」の意味~

2014-11-21 23:57:47 | 政治
今日、衆議院が解散し、長い選挙戦が始まった。私の予想は大外れだったが、多分、マスコミの誰もが触れていないし、私もつい最近まで気が付かなかった重要なポイントにふと気が付いたので、今日はその点について言及してみたい。

まず枝葉の問題から少しコメントしておく。安倍総理の解散宣言以降、マスコミは解散の大義を問う声で溢れている。思い出せば幼い子供の頃に、友達と喧嘩した後で親や先生に喧嘩の原因を問われた時、必死になって「言い訳」を考えて、相当無理筋の屁理屈を捏ねて「それではいけない」と諭されたことがあるが、今のマスコミの論調はその時の恥ずかしい屁理屈に似ている。安倍総理が解散を宣言した当日のTBSラジオの荻上チキSession22のポッドキャストを聞いていたら、ジャーナリストの青木理氏が暴言を吐いていた。それは、解散を受けて安倍総理が各テレビ局に出演したりして「単独インタビュー」を受けていたのだが、青木氏はこれが「ケシカラン」ということらしい。以前であれば、総理は単独インタビューなどせずに、共同記者会見やぶら下がりで応えていたが、安倍総理が「単独インタビューはしない」という歴代総理の慣習を破り、一方的に単独インタビューを開始したと非難していた。当日は各テレビ局で引っ張りダコだったから、そこで自分の都合の良い「主義主張」を吠えまくるのは卑怯だというのだ。説明などしないが、彼は自分の言っていることが如何に無理筋の屁理屈であるかが分かっていないらしい。そこまで酷くはないにせよ、他のマスコミも「解散の大義などない!」という論調を張って、「安倍政権、ケシカラン!」の一大反政府キャンペーンを盛り上げていた。

ここで、「解散の大義」の有無を議論する際に、「ある」という答えにしろ「ない」という答えにしろ、そのほぼ100%が自分の設定した前提の基で、その物差しでの評価結果を語っているのだが、当然、その前提が異なれば結論は異なるので、あまりこの議論には生産性を感じない。明らかなのは、マスコミがここまで「解散すべきではない!」という論調を張るということは、それだけ「野党にとって不利」な解散であることの証明でもある。実際に与党が勝つか負けるのか、ないしは勝つと言っても常識的には議席減らすのは避けられないだろうから、それを勝ったと言っていいのかどうかも分かり難い。しかし、そんな話はそれ程問題ではなくて、「消費税増税を延期することの是非と、解散の大義との間の議論において、忘れてはならない重要な視点がある」ということを明確にしておきたい。

順番に説明しよう。まず、今回の消費税増税の議論の基になる法律を見直しておこう。

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社会保障の安定財源の確保等を図る税制の抜本的な改革を行うための消費税法等の一部を改正する等の法律
附 則
 (消費税率の引上げに当たっての措置)
第18条  消費税率の引上げに当たっては、経済状況を好転させることを条件として実施するため、物価が持続的に下落する状況からの脱却及び経済の活性化に向けて、平成23年度から平成32年度までの平均において名目の経済成長率で3パーセント程度かつ実質の経済成長率で2パーセント程度を目指した望ましい経済成長の在り方に早期に近づけるための総合的な施策の実施その他の必要な措置を講ずる。
2  (中略)
3  この法律の公布後、消費税率の引上げに当たっての経済状況の判断を行うとともに、経済財政状況の激変にも柔軟に対応する観点から、第2条及び第3条に規定する消費税率の引上げに係る改正規定のそれぞれの施行前に、経済状況の好転について、名目及び実質の経済成長率、物価動向等、種々の経済指標を確認し、前2項の措置を踏まえつつ、経済状況等を総合的に勘案した上で、その施行の停止を含め所要の措置を講ずる。
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問題となっているのは附則第18条の3項の、所謂「景気弾力条項」である。詳しくは時事ドットコムの1年ほど前の記事だと思うが、下記に説明がある。

時事ドットコム フォーサイトPOLITICS「法律が『不自然』なのはなぜか

ここには景気弾力条項による消費税増税の延期措置の条件として、「名目及び実質の経済成長率、物価動向等、種々の経済指標を確認」して判断するとあるが、その定量的な条件は示されていない。同附則の1項には「平成23年度から平成32年度までの平均において名目の経済成長率で3パーセント程度かつ実質の経済成長率で2パーセント程度」と定量的な数字があるが、条件は「平成23年度から平成32年度までの平均」だから、平成26年度の現在においてこの目標と現状が乖離しているか否かは判断できない。そもそも、それだけ明確に条件を示せるなら、こんな附則ではなく本則に書けばよい話で、その本則に書けなかったという事情がある。一般には附則はグリコのおまけであって、努力目標の様なものである。これに雁字搦めに縛られる必然性はないので、民主党内の増税賛成派と反対派の綱引きの中で、お互いが都合の良く解釈できる文言を時限爆弾として仕込んだのである。この様な時限爆弾は増税反対派が主導したもので、烏合の衆である民主党は、全くベクトルの異なる人達が、「今は自分が意図しないことを(民主党党首が総理大臣たる)政府が決断しても、そのうちに主流派/非主流派が逆転すれば、卓袱台をひっくり返して好き放題できる」と思い込み、党内での権力争いを激化させていた。増税反対派は、不景気の中で景気弾力条項を無視して増税すれば「景気失速は(その時の)民主党主流派の責任だ!」と時の党首を引きずりおろすことが出来るし、その時点で自分たちが主流派に返り咲いていれば、景気弾力条項を根拠に(程々の好景気でも)消費税増税を停止できると考えていた。しかし、この文言を読めば、その様な恣意的な判断を容易に許すような文章にはなっておらず、実際には「リーマンショック並みの不測の事態」にのみ発動可能な条項になっている。なぜなら、10年平均の半ばで10年目標を達成できないと断定できる事態であることが求められる訳だから、アベノミクスが腰折れ状態程度の現在の状況がこの条件に合致しているとは読めないのである。

しかし、当時の民主党の非主流派のご都合主義的な解釈に実は多くのマスコミも毒されていて、今回の安倍総理の判断に対してALL野党が「先送り賛成」と言い、マスコミもほとんどが賛成と言う。しかし、例えばオウム事件の際に法律が恣意的に運用され、マスコミの追跡を逃れるためにUターン目的で某ビルの駐車場に車で入り込んだことを「住居不法侵入」で懲役刑にするような事態に、「賛成多数」だからと言ってそれが許されて良いはずがない。産経新聞の加藤前ソウル支局長の起訴についても、韓国国民がALL賛成であれば、言論の自由の権利を奪っても良いはずがないのと同じである。法律の卓袱台返しは、それほど重い重い政治決断であるべきである。

したがって、「景気弾力条項があるから、今回の消費税増税の延期判断は『法的に正しい』」という命題に対し、誰もが疑問を抱かずに「Yes」と答えるのであるが、本当の答えは「No」ではないかと私は解釈している。「そもそも論」的には法律の条文に照らし合わせて判断すべきであり、「経済政策としての正しさ」はその後でついて来るものである。しかし、経済は生き物だから、国家、国民のため、国益を最優先に「税制」という政治の最重要案件の法律を卓袱台返しするのは選択として十分許されるべきだが、しかしその際には「国民の信を問う」ぐらいの覚悟が必要なほど、重いものとして受け止めるべきである・・・という原理原則は、政治家は忘れてはいけないのだと思う。あまりにも、ご都合主義の未熟な政治家を見慣れてしまったがために、そのポイントを忘れてしまったのではないかとさえ思う。

今思い出せば、消費税を5%から8%に上げる際に、(私は毎年1%づつの増税を主張していたのだが)既存のルール(法律)から外れたこと(増税時期延期やアップする税率の変更等)をする実行に移す際に必要となる「政治的なエネルギー」は膨大で、竹中平蔵氏などもその政治的なエネルギーの浪費を考慮すれば「8%への延期は諦めざるを得ない」と説明していた。少なくとも、与党の強行採決などで済むような単純な話ではない。国会だけではなく、国民や世界やマーケットに対して十分な説明責任が求められ、記者会見を数回やれば済むような話ではなかったのだろう。今回も同様で、その政治的なエネルギーの浪費を避けるためには、安倍総理は「国民に信を問う」のが政治的コストとして最も効率的だと判断したのかも知れない。

ちなみに話は逸れるが、集団的自衛権の行使容認に関しても、それが「憲法の解釈改憲」であるならば当然、国民に信を問うべき内容である。集団的自衛権の行使容認自体は2012年の衆議院選の自民党の選挙公約には含まれているのだが、法的に実質的な「改憲」であるほどの変更であるならば、それは「信を問う」べき変更である。しかし、安倍総理はその説明の中で明言しているが、「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません。」「日本国憲法が許すのは、あくまで我が国の存立を全うし、国民を守るための自衛の措置だけです。外国の防衛それ自体を目的とする武力行使は今後とも行いません。むしろ、万全の備えをすること自体が日本に戦争を仕掛けようとする企みをくじく大きな力を持っている。これが抑止力です。」であり、「外国の防衛それ自体を目的とする武力行使」は認めないから、「国民を守るための自衛の措置だけ」を許す現行憲法を逸脱するものではないとしている。つまり、数学的に言えば「個別的自衛権」と「集団的自衛権」という集合は重なり部分を持ち、その積集合部分を「集団的自衛権とも呼べるからNG」ではなく、「そもそも個別的自衛権は現行憲法で許されるから、集団的自衛権との重なり部分の積集合部分の自衛権行使も現行憲法では認められているはず」という確認をしたのが本質で、これは解釈による「改憲」ではない。ただ、これまでは「集団的自衛権」という言葉だけで「タブー視」されてきたが、そのタブーを取り除き、そもそも論的に「個別的自衛権」であれば「集団的自衛権」がかすっていても、それを理由に「躊躇はしません」と宣言したようなものである。法律の正常な解釈を、マスコミなどの反政府勢力が恣意的い解釈を捻じ曲げ、「さわらぬ神に祟りなし」的にタブー視していたのを正常に戻しただけである。これは、法律論的には筋が通っている様に見える。それが違うと言うのであれば、裁判を起こして最高裁で勝利を掴んでくれれば良いだけの話である。
一方、特定機密保護法案に関しては、前回の衆議院選では自民党は公約とはしていなかった。ただ、これは解釈が分かれるのだが、スパイ防止法などの様な法律は選挙を経なければ実現できないような法律ではなく、当然、あって然るべき法律である。選挙公約になくても、必要に迫られれば時の政権が立法作業を進めるのは当然である。集団的自衛権もそうだが、特定機密保護法案も不満に思うなら、次の選挙で反対勢力に投票すれば良い話である。

・・・と、最後の方では話が逸れてしまったが、法律というのは本来重たいもので、それを軽視する政治家やマスコミの方が本来は責められるべき対象なのだが、現状はそこに大きな歪みが存在する。歪んでいることを前提とするのではなく、歪みのない真っ当な世界を基準に考えると、正しい道は意外に違うところにあるのかも知れない。安倍総理は中国を念頭に「法の下の支配」という言葉を良く口にするが、これを自分の身に当てはめると、このような結論になるのかも知れない。

今回の解散は、そんなことを気が付かせてくれた事件であった。

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