けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

「現状変更」「修正」は本当に悪なのか?

2014-03-10 23:58:34 | 政治
ウクライナ問題にしても日本の歴史認識問題にしても、どんどんとややこしい状況に落ち込んでいる。変な話だが、この関係のない話題の共通点について今日はコメントしてみたい。

このコメントを書こう思ったのは、実は先週、BSフジの「Primeニュース」で拗れている日韓関係を扱った番組の中に英フィナンシャル・タイムズの記者が出演していて、その記者のコメントを聞いて???と思ったことがあったことから始まる。詳細については覚えていないが、大きな話の流れの中で次の様なやり取りがあったと記憶している。フィナンシャル・タイムズの記者が安倍総理のことを「歴史修正主義者」と位置づけたことに番組のキャスターが疑問を呈し、それに対してその記者が「歴史修正主義者」の定義について語っていた。その定義とは、私の記憶では下記の内容だったと思う。曰く、「過去の歴史の中で、例えば実際の戦時中の日本軍及び日本政府の姿よりも、大分、大袈裟に暗い面をことさら強調されて他国によりイメージ作りをされてしまい、『流石にそれはないでしょう』ともう少しイメージを正しいところに近づけようとしたとしても、それが『適切な修正か、不適切な修正か?』にかかわらず、過去に定着した内容を変更しようとした者は、全て『歴史修正主義者』と見なされる」というものであった。ここが我々と、日本を非難する他国との最も大きく致命的な認識の違いである。我々の認識は、大切なことは「真実に基づく評価」だと思っているのであるが、中国・韓国はおろか、英国や欧米諸国でも同様に「真実」は重要ではなく、「定着したもの」を変える行為が非難の対象となると言うのである。

これは非常に理不尽ではあるが、欧米諸国の中ではある種、常識として受け入れられていると言って良いのだろうと思う。橋下大阪市長の慰安婦発言に対し、(私としては)「話せば分かる」と期待して信じていた多くの欧米メディアが理性を失い、感情的に「門前払い」的に議論を遮り「アウト!」の判定を繰り返す背景には、この様な共通認識があるのだと感じている。それは日本の歴史認識全般に言えるのだが、ウクライナ問題にしても同様のことが言える。私はウクライナ問題を考える時、常に中国の新疆ウイグルやチベットの問題を頭に描きながら、歴史的バックグラウンドの中で「何故、この地域がこの国に所属し続けているのか?」「本来、独立してしかるべきではないか?」という疑問を自問自答している。韓国が過去の日本の植民地支配についてこれだけ噛み付く背景には何があるのか?それは、歴史の中で様々な国や地域の中で占領や併合などが行われ、しかし、その占領や併合はその地域の人々の意図に反するものである例が多く、その様な地域や国が独立を勝ち取った時、過去の支配の歴史が否定されることになる。つまり、ここには「現状維持」が善で「現状変更」が悪というルールはない。つまり、本来は短絡的に「現状変更」が否定されるべきではない。個別のケースで是々非々に判断されて然るべきである。

しかし実際には、独立を勝ち取れるまでの間は独立運動は「非合法の反社会的・反国家的運動」とレッテルを張られる。一方、独立を勝ち取れば韓国が日本を不当に非難しまくるのと同様に、何でもアリのオンパレードとなる。結局のところは「勝ったもん勝ち!」の原理原則が残ることになる。つまり、新疆ウイグルやチベットに対して中国が強烈な人権弾圧をして運動を抑え込んだとしても、中国が強権で抑え込み続ける間は勝ったもん勝ちで西欧諸国は内政不干渉の原則の基に何も言えないことになってしまう。なにせ、独立運動は守る側にしてみればテロ行為であったりするのだから・・・。
ここで、ウクライナ問題ではロシアの軍事侵攻が伴っていたから「力(軍事力)による現状変更」という切口があるのは確かである。しかし、ならばイラクへの米軍の侵攻などはどうなのだろうか?アメリカは多くの国々に軍事侵攻した歴史がある。それに比べれば、今回のロシアは電光石火の無血侵攻であったし、侵攻先の市民からは少なくとも拒絶反応は殆どみられていない。少々乱暴な言い方をすれば、ロシア軍の進駐故に、ウクライナの暫定政権はクリミア自治協和国への制裁を思いとどまり、結果的に内戦がギリギリのところで回避できている様にも見える。この様に、現状は従来の強引な「力による現状変更」とは大きくイメージが異なる。クリミア自治協和国は民族自決的に独立を志向しているし、欧米の主張の根底にある理屈抜きの現状維持の原則がそのまま当てはまるようには思えない。

しかし、この様な複雑な事態にウクライナが置かれているにも関わらず、彼らは詳しい説明も抜きに、先ほどの「歴史修正主義者」の議論と同様の「修正=悪」の問答無用の切り捨てをする傾向がある。そこにある程度の「理」があったとしても、私はついついと身構えてしまうのである。ここ最近のウクライナに関する私のコメントはその様な背景に基づくものである。

日本の政治の世界では、民主党政権が度々、政権与党を攻撃しながらその攻撃がかっての民主党政権にそのまま当てはまり、ブーメランのようにわが身に返ってくる事象を目の当たりにした。全くもって説得力がない主張である。であるならば、理屈抜きでパブロフの犬的な短絡的な行動をし続けていると、いつの日か中国が暴走しだした時に、かっての自分たちの行動がブーメランのように返ってきて足かせとなって止めることが出来なくなってしまうのではないかと私は恐れている。別にロシアの肩を持つ必要はないが、善悪の判断、正当・不当の判断をするのであれば、「修正」「現状変更」自体を短絡的に否定するのではなく、その「修正」「現状変更」の中身の議論を丁寧にすべきだと思う。

別に安倍総理を歴史修正主義者のレッテルから解放するためではなく、ブーメランへの自己防衛のために、彼らが盲目的に信じるこの辺の問題提起があっても良いのではないかと思う。

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