けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

脱原発依存とBest Mixの向かうべきゴールとは?

2013-09-02 23:57:35 | 政治
ちょっと前から読み続けていたブログの連載記事がある。元経済産業省官僚のうさみのりや氏の再生可能エネルギーによる脱原発の可能性を検証する計7回に亘る記事である。先日、下記のブログで最終回となった。

BLOGOS 2013年08月28日うさみのりや「太陽光で脱原発はやっぱり無理ゲーでしたがそれなりに使い道はありました ~総集編~

今日はこの記事を元ネタに、脱原発依存とBest Mixの向かうべきゴールについて議論してみたい。

上述の記事には、総集編に至るまでの6回の記事のURLとそこでの議論及び結論がまとめられている。色々書かれているが、これらの記事の特徴は、科学的・専門的な議論というよりも、争点を「お金」という物差しで素人に親しみ易い議論に落とし込み、これまで感情論、ないしは情緒的な議論で脱原発に誘導しようとする流れに「もう少し、論理的な議論をする努力をしてみましょう」と諭しているような印象をもつ。多分、脱原発派の人であればもっと攻撃の中心に据えそうな「危機感」「危険度」などの議論が殆どなく、一方で原発推進派の人であればもっと高い燃料費による国家的・経済的な損失について指摘されるところが、そのようなものも少ない。ニュートラルな人々が、「あの話って、本当のところはどうなの?」と気になるようなところに焦点を当てているので、その点が私にとっては新鮮だった。

本当のことを言えば、総集編を除く6回シリーズの議論の核心は第6回のみを読んでいただければそれで十分と思うのだが、その部分は少し横において、「なるほど、なるほど」と思わされる部分について振り返ってみたい。

まず、再生可能エネルギーが原発にとって代わるためには、現在の発電コストを1/4~1/3程度に下げなければならない点について、その可能性を議論していた。結論としては3段階に分かれており、(1)太陽光パネル1枚あたりの生産コストに着目すると「まもなく太陽光発電の劇的な発電コスト低下は止まることが見込まれ、技術革新の影響を考慮しない短期では21.6円/kwh程度に落ち着くことが見込まれる」(第3回)、(2)しかし技術革新でエネルギー変換効率が向上することで結果的に発電コストは改善するので、7.8円/kwh程度となることが期待できる(第4回)、(3)ただ太陽光発電を活用するためには、各家庭の太陽光パネルで発電された相対的に低電圧のエネルギーを、言わば電圧の低いところから高いところに電気を逆流するための送電設備が新たに必要となり、このコストは再生可能エネルギーのコストと見なされるべきであるから、これを見込むと12.2円/kwh程度ということになる(第5回)、と結論付けている。

私はこの結論には少々驚かされた。なぜなら、火力や原発の発電コストが10.7円/kwh及び8.9円/kwhであるから、これであれば現実性があるではないかという錯覚に陥るからである。ここでは錯覚という言葉を使ったが、12.2円/kwh程度という数字とその意味すること事態は事実であり、決して錯覚ではない。しかし、この発電コストを実現するためには、急速な需要の高まりとそれを後押しする国家的な政策が必要となる。私が「国家的な特定業者への便宜供与事件」と考える菅元総理がぶち上げた高価な電力買取施策では、当初は42円/kwhという法外な高値での取引を国家が担保している。これが前提となって上述の発電コスト(12.2円/kwh)が成り立つのであれば、実際の発電コストは上述の最終的に価格の下がりきったところでの値を議論の中心に据えるべきではなく、そこに至るまでの間に買い取り価格を保証したことで払い続けなければならない発電コストも加味した加重平均値で議論をしなければならない。

ちなみに、原発の場合には、原発立地対策として立地自治体に手厚い交付金などで様々な箱物を建設しており、その様な予算も発電コストに組み込めば、実は膨大な金額になるという主張が脱原発派の意見の中にある。これはこれで尤もな話ではあるが、上述の高価な買い取り価格とは意味合いが異なる。高価な買い取り価格の利益を享受するのはあくまでも発電施設設置者のみであり、ぼろ儲けである。一方で原発の場合には、(無駄な箱物が増えるというご指摘もあるかも知れないが)基本的にはその自治体に住む人々に利益は還元される形になる。大飯原発のあるおおい町に過去にキャンプしに行ったことがあるが、様々な施設が充実していて驚いたことがある。その時は原発のことを意識していなかったので不思議だったが、今から思えばあれは全て原発関連予算で充実させられたものだったのだろう。賛否はあるかも知れないが、それなりに立地地域の住民に多くの還元がなされているから、単に特定の誰かの懐に納まってしまう理不尽さは相対的に小さい。その利益の全てが、特定の業者の懐を潤わすという今回の事態は、理不尽極まりない事態というべきであろう。

さて話を戻すが、ここでふたつのシナリオがある。ひとつ目は、非常に魅力的な施策で大量の参入者が太陽光ビジネスに流れ込み、そこで長期に亘る高価な買い取り価格が既得権益的にその参入者に担保される場合。もうひとつは、施策自体があまり魅力的ではないために、参入者が限定的で、結果的に技術革新が加速せずに発電コストがもっと高いレベルで下げ止まってしまうケースである。どちらに転んでも、買い取り価格を考慮した実質的な平均発電コストは火力などに比べて倍以上の値になるだろう。すなわち、ポテンシャルとしては再生可能エネルギーによる脱原発の可能性は十分なものであるが、無理な施策で発電コスト低下を加速させるのではなく、緩やかで長期的な視点で発電コストが低下することに期待をしながら、長期的な視点で再生可能エネルギーへの無理のない移行を目指すのが賢明である。

ちなみに、興味深いのはこの買取価格の法外さを別の視点で評価したのが第2回の記事である。現在の太陽光パネルの価格や設備投資の平均的な金額と、高値の買い取り価格で得られる利益からその収益性を評価しているのであるが、それは恐ろしい金額となっていた。つまり、農業用地をもし仮に大規模太陽光発電に転化できると仮定して比較すると、米などの農作物を作って汗水たらして地面に這いつくばって稼ぐ収益率に対し、太陽光ビジネスの収益率は概ね4倍に達するという。だから、もし許されるなら農地を持つ人々は農地を転用すればぼろ儲けになるのだが、実際には農地に対する規制があるために転用ができずに歯止めがかかっているという。しかしこれは何とも理不尽で、どうせなら、「買い取り価格は当面5年間を保証するものとし、それ以降は市場原理に基づいて適正価格に変更する。ただし、減反などで耕作放棄状態がx年(例えば3年)以上継続した土地に関しては、例外的に太陽光発電施設の建設を容認する。」といった対応でもしておけば、減反政策などへの農家への補償政策と、再生可能エネルギー推進政策とを上手く組み合わせて、それでいて後世に高い買取価格というお荷物を残さずに済むのである。実際、民主党政権時代に駆け込みで参入した太陽光発電業者の大部分は、承認だけ早期に得て高い買取価格補償を確保しておきながら発電施設を建設せず、自然に太陽光パネルや設置コストが値下がりするギリギリまで粘りながら、利益を最大化しようと企んでいる現実がある。結果的に今年の夏も予想外の大停電に見舞われることなく乗り切ることができそうだが、菅元総理の施策は少なくともここ1、2年の電力施策に貢献することは殆どなかった。国民から高い電気代を巻き上げて横流しする、悪徳業者の様に成り下がってしまっている。これが現実である。

なお、最初の方でも書いたが、この記事の最も重要なのは第6回の記事であり、これが「Best Mix!」が何を意味するかを物語っている。原発というものは、一端火を灯したら出力を調整できるものではなく、電力需要の増減に対しては火力発電がその調整役となっている。太陽光を中心とする再生可能エネルギーも、大部分が誰かの都合で出力を調整できるわけはなく、あくまでもその調整役は火力が担うことになる。しかし、その調整の幅には限度がある。現在の火力発電の総出力が1億5000万kwで、その3割は常時稼働させなければならないとすると、太陽光に任せられる最大電力はその7割の1億500万kwが上限で、晴れの日の昼間のMAX値でこの値だとすると、夜間や雨天時を考慮した稼働率約11%を考慮すると、平均に均せば1012億kwh相当が上限であり、震災前の原発の発電量である2690億kwhに遠く及ばないという結論になっている。

自民党が唱えるBest Mixにはこの辺の事情を考慮しての話だと思われるので、その意味では至極ごもっともな話である。もっとも、上述の1012億kwh相当が上限という議論は少々乱暴であり、日本全国が一斉に日本晴れして太陽光パネルで1億500万kwの発電量に達する確率は皆無だろうから、実際には日本全国の同時晴れ率を考慮した係数の逆数をこれに乗算すべきであろう。ないしは、日本中が晴天になり、火力発電の発電量で調整できない過剰な余剰電力が太陽光発電から供給されたとき、その電力を捨てる覚悟で設計するならば、もう少し太陽光発電量を高く設定することは可能だろう。しかし、それにしてもべら棒な価格で買い取りをして、その電力を捨てるというのは国民世論として受け入れられないだろうから、その様な確率を抑え込む設計が必要になる。この結果、太陽光や風力などの不安定な再生可能エネルギーの比率にはおのずと上限が存在し、多分、(地熱発電の様な安定的な発電量が期待されるものを除けば)20~30%を超えることはないだろう。この結果、日本が進むべき道は(10年程度のスパンで見れば)おのずとメタンハイドレートの様な自前の資源でやりくりすることにたどり着く。将来的にはCO2排出量の問題などから再生可能エネルギーへの期待が高まることも期待されるが、そのためにも高価な買い取り価格はその際の選択肢を狭める足かせになる。

結論としては、国内では比較的批判の大きい自民党の主張が以外にも的を得ているように個人的には感じる。少なくとも、菅元総理の目指した道は間違っていると言わざるを得ない。

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