けろっぴぃの日記

最近、政治のことをはじめとして目を覆いたくなるような現状が多々あります。小さな力ですが、意見を発信しようと思います。

号泣野々村元県議と集団的自衛権の関係

2014-07-26 23:53:26 | 政治
今日は、最近の報道機関の大好きなネガティブキャンペーンをやっている暇があれば、もっと真面目に取り組むべき問題があるだろうというお話である。

先日、たまたま帰りの車の中で聞いたFMラジオで機密情報保護法に関する話題があり、その番組のコメンテーターは、ついうっかり機密情報を漏えいさせると2年以下の懲役や100万円以下の罰金となることを例に取り上げ、「全く信じられない怖い法律ですね」と論評していた。国家の命運を左右しかねない機密情報を漏えいして2年の懲役が重いという感覚が私には理解できないし、よっぽどのことがない限り普通の機密情報漏えいであれば逮捕できないように法適用のハードルを上げるべきという主張も理解できない。結論としては、彼らは法律を骨抜きにするのが目的で、その骨抜きのために一般国民をミスリードするためのキャンペーンを張っている感じだ。集団的自衛権への反対論者の主張も似たようなもので、集団的自衛権行使のハードルを思い切りあげると共に、行使可能な範囲を滅茶苦茶限定的にしようとする。こちらの方も、多くの報道機関が結託して反政府キャンペーンを大々的にぶち上げ、これまた政権の足を引っ張ろうとしている。

話は少し変わるのだが、中学生になった息子が最近、この手の時事ネタを自宅で冗談で話すようになった。自分から新聞やニュースを見て時事問題を心配するような真面目な性格では決してないので、(日教組系なのかどうか知らないが)学校の先生が中学生を洗脳しようとしている様に見える。「戦争反対!!」みたいなことを言うので、過去の歴史の話をその息子にしてみた。例えば警察予備隊との名称で自衛隊の前身が出来た時、多くの人は「戦争反対!」、「憲法9条を守れ!」と叫んで自衛隊が出来ることを阻止しようとした。しかし、ドラえもんのジャイアンの様な中国が好き放題にやりまくっている現在、その「戦争反対!」の声が通って「のび太にとってのドラえもん」の様な自衛隊が日本になかったとしたら、本当に「戦争に反対したこと」ないしは「戦争を遠ざけたこと」になっていただろうかと聞くと、「そんなことはない。全く逆だね。」との返事が返ってきた。1960年や1970年の日米安保改定の時も、「アメリカ軍が日本に駐留すれば戦争に巻き込まれる!」とか「憲法9条違反だ!」と言いながら「戦争反対!!」と多くの人が唱えていたはずである。しかし、これも自衛隊が弱小だった時代に、ドラえもんに成り得なかった自衛隊の代わりにアメリカ軍がドラえもんになるという話で、「今、日米安保が無かったら、ジャイアンに好き放題やられて、かえって戦争が身近になっていただろうね!」という話で最後は決着した。

先程の話で言えば「戦争反対!」というのは適切ではなく、「戦争をせずに国益、国民の生命財産を守る!」という「目的」が本当は第1にあり、その目的自体は集団的自衛権推進論者でも反対論者でも共通の認識を持っており、その実現のための「手段」が違うだけなのだが、ネガティブキャンペーンというのは「相手の本来の目的を、あたかも真逆の目的であるかのように、国民をミスリードする」ことを狙う奇襲戦法である。やっていることは極めて卑怯なことなのだが、イデオロギーというのは宗教的で、中国の「愛国無罪!」と同様で、法に触れる犯罪行為も自らの信じる宗教の理念に沿った結果をもたらすなら、それは咎められることではなく「神は許す!」と勝手に決めてしまうのである。盲目的に信じる神の様な存在、ないしは誤った絶対真理が根底にあると、論理的な議論が成り立たない。卑怯な相手も卑怯との自覚がないのでタチが悪い。

面白いと言っては不謹慎だが、最近、安倍政権の内閣支持率が低下し、不支持が支持を上まる状況になった。最近、安倍政権が支持率を低下させるようなミスはほとんど犯していないので、この支持率低下の理由は明らかで、集団的自衛権の閣議決定に関連した朝日新聞、毎日新聞、東京新聞などの報道機関のネガティブキャンペーンがボディブローの様に効き始めたという状況だろう。これらの報道機関からすれば「してやったり!」というところだろうが、本当にその様なノー天気さで良いのだろうか?

ひとつ比較のために例を出してみたい。危険運転致死傷罪では、最大で20年までの懲役を罰する非常に重たい法律だから、その適用は厳密に制限されている。危険運転致死傷罪は適用対象になる行為は下記の4点であるが、「これだけは許せない!」とだれもが思うような多くのケースにおいて、実際には適用できていない。

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1:アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させる行為
2:進行を制御することが困難な高速度で、又は進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させる行為
3:人又は車の通行を妨害する目的で、通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為
4:赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為(以上、原文まま)
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例えば、数年前の京都であった事故では、無免許の無謀運転であったのだが、「進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させる行為」とは、仮に無免許であっても無免許運転を繰り返している間に運転の技能を身に着けてしまうと、危険運転致死傷罪には適用できなくなってしまう。飲酒運転にしても、事故の際に直ぐに警察を呼んで正しい対処をしてしまうと「アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態」であることが立証出来てしまうが、ひき逃げをしてその場から逃げ去り、酔いを冷ましてから自首するとこの罪は適用できなくなってしまう。正直者が馬鹿を見て、本来、厳罰に処すべき相手を相対的には軽微な罪で許してしまうことになる。

では何故この様な抜け穴だらけの法律になってしまったかと言えば、国家権力がこの法律を乱用し、些細な交通事故の良識ある一般国民を不当に長期間拘束できない様に予防線を張ったためである。つまり、飲酒運転で事故を起こしても逃げないという最低限の良識を持ち合わせた一般市民は厳罰にできて、法の抜け道を駆使して逃げまくる超悪質な犯罪者は厳罰に問えないというザル法を作っておきながら、「私たちは加害者の人権を必死で守った!」と胸を張って自慢している。しかし、これは本当にあるべき姿なのかと私は目を疑らざるを得ない。

法というのは万能ではないから、「悪質な犯罪者には、その罪に適した厳罰を容易に適用できる環境」と、「悪質ではない過失による加害者が、不当に厳罰を科せられない様に守れる環境」を両立することは不可能に近い。であれば、私としては答えはひとつである。それは、「悪質な犯罪者には、その罪に適した厳罰を容易に適用できる法体系」を構築する一方で、「悪質ではない過失による加害者が、不当に厳罰を科せられない様に、社会が司法の暴走を食い止める様な監視機能を備える」ことが重要であると思う。いわゆる「運用で逃げる」という考え方である。

以前のブログ「求められるのは『国家が悪魔であるととことん疑うメディア』なのか?

でも触れたが、田原総一郎氏などは「国家が国民を騙す」という暴走を目の当たりにしてきた戦前世代の人々は、「運用で逃げる」怖さを熟知している。その様な人達からすれば、「飲酒運転しておきながら逃亡し、水を大量に飲んで時間を稼ぎ、血中アルコール濃度を下げた後で出頭する様な一部の輩を厳罰に出来ない程度のことと引き換えに、国家権力の暴走を食い止めることが出来るなら『安い!安い!』」と思うのだろうが、この様なモラルハザードは何らかの形で負のエネルギーを蓄積し、予測できない形での権力の暴走に繋がる可能性がある。ある一面的な部分だけに着目し、他方がおろそかになるリスクをあまりにも軽んじすぎている。如何にも危険である。

ここで注意すべきことは、国家権力の暴走を食い止めるように法律をザル法にしておけば、「社会が司法の暴走を食い止める様な監視機能を備える」必要はないかと言えば、法律が国家権力の暴走を食い止めることが出来様が出来まいが、そんなことにはお構いなしに監視機能を発揮して頂かなければ困るのである。その監視機能を最も担っているのは報道機関であり、その報道機関が監視機能をないがしろにし、手を抜いていたら「それこそ、そちらの方が危険!」なのである。「限りなく個別的自衛権に近い集団的自衛権」を認めるか認めないかなどと言う議論よりも、100倍重要な監視機能を適切に実行して頂かないと困るのである。
では、私が気にしているのは何かと言えば、下記の記事のことである。

産経新聞2014年7月18日 「容疑は『切符代360円』収支記載 野々村元県議宅を家宅捜索 兵庫県警

最初に断わっておくが、私は野々村元県議は大っ嫌いで、あの記者会見が海外に報道されまくったことで、国益を無視できない範囲で損なったのは事実である。日本国民として許せない思いは強い。そしてもちろん、状況証拠的には真っ黒な政務調査費の不正支出に対し、逆切れで切れまくる態度は議員にあるまじき態度である。あの様なものが許されてはモラルハザードもいいところだから、有耶無耶にしないで欲しいという思いは強い。しかし、彼は7月11日に議員辞職を申し出、既に議会はこれを受理している。また、不正と指摘される政務調査費の全額返還を公言し、実際、7月18日の午前7時前に振り込み完了の報告メールを送っている。実際に入金が確認されたのは、システムの都合上25日だそうだが、メールなり何なりで返金を宣言している以上、その時点で返金がなされているという前提で評価はなされるべきである。議員辞職という社会的制裁と、全額返還という原状回復的行為を行った以上、明らかな違法行為の証拠がなければ家宅捜査はやり過ぎとしか言いようがない。勿論、その後の地道な捜査で、家宅捜査をする前に十分な「悪質性が高い犯罪行為の証拠」を掴んでいれば家宅捜査をするのは当然である。しかし、残念ながらその様な尻尾はまだつかむ前の状況らしい。しかも、家宅捜査の容疑はPTA式典への出席と偽って申告した往復交通費360円の不正支出というが、あまりにも少額で、且つ「うっかりミス」の可能性も否定できない軽微な悪質性を主張するにはあまりにも脆弱な証拠である。

勿論、「このままでは終わらせない!」とか、「こんなことがまかり通っては、不正支出が止められない!」と主張する人はいるだろうが、もし本気で政務調査費の不正利用を撲滅したいなら、野々村元県議を深追いするより、一斉に領収書の無い政務調査費を洗い出し、状況証拠的な悪質性が疑われる県議の氏名を公表し、政務調査費の正当な理由の証拠の提出か、それとも返金かの選択を迫れば、日本国中で「不正はヤバい!!」という土壌が出来上がるきっかけを作れる。たった一人の「出る杭」を打ち続けることなど、本来の「不正の撲滅」という目的においてはあまり重要ではない。その他の不正疑惑がある議員との間での着地を円滑に進めるには、「疾しいところがあれば、議員辞職して全額返金しろ!そうすれば深追いしない!」という戦法の方が効果的であるはずである。にも拘らず、野々村元県議にスポットライトを当て続ける様な行為は、その他の県議に飛び火するのを未然に防ぎ、一人に全ての罪を着せて葬り去ろうとしている行為に見える。

勿論、私も野々村元県議はボコボコにしてやりたいほど憎いが、これは法の下の支配であるべきで、感情論で取り組むべき問題ではない。確かに、360円も5億円でも、不正取得には違いないから法的には家宅捜査は当然可能であろうが、しかしこの辺は所謂「運用で逃げる」範疇で、ある程度の裁量を警察や検察に与える一方、その裁量が暴走とならない様に報道機関などは監視をしなければならない。しかし、私の知るところ、その様なコメントを述べたテレビや新聞を知らない。報道機関もポピュリズムに走り、「運用で逃げる」という知恵を適切に運用するための自らの役割を忘れている。

本当に集団的自衛権に関する国家の暴走を防ぎたいのなら、この様な報道機関の役割を着実に果たすことの方が重要である。捻じ曲げたネガティブキャンペーンなんかより、自らの責務を果たすべきである。それが出来なければ日本の未来は暗いものになってしまう。かって、明治時代にロシアの皇太子の暗殺未遂があった時、当時の日本の司法は法に基づき無期徒刑とした。そう、大津事件のことである。少なくとも、その当時は国益を失っても、ポピュリズムには走らなかったという実績である。しかし、現在の韓国は、司法、立法、行政に加えて報道機関のいずれもがポピュリズムに走っている。日本の韓国化は何としても防がねばならない。

悔しいが、野々村元県議の家宅捜査に反対の声が聞かれる様でなければ、健全な報道機関とは言えないというのが、私の結論である。

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