Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

にっぽんロボコン がんばれ

2013年12月23日 18時55分10秒 | Weblog
災害救助ロボコン、日本が初日首位 米フロリダで始まる
2013年12月21日13時07分


 【マイアミ〈米フロリダ州〉=行方史郎、高山裕喜】原子力発電所の事故現場など人間が近づけない場所で作業するロボットのコンテストが20日、米フロリダ州の自動車レース場で始まった。初日は日本から唯一参加したチーム「SCHAFT(シャフト)」が参加16チームのトップに立った。




おめでとー

SCHAFTは東京大学のロボット研究者らが設立したベンチャー企業で、今月、米IT大手グーグルによる買収が明らかになったばかり。



米ITのロボット攻勢 日本メーカー警戒
2013.12.22 00:31


米グーグルなどがロボット事業を強化していることについて、産業用ロボットで世界の5割超のシェアを持つ日本メーカーは「ロボットは自分で考える能力を持たせるなどプログラミングも重要。グーグルはソフトに強く、これまでにない製品を生み出すかもしれない」(国内大手)と警戒する。



がんばって、ニッポン!

クリスマスキャロル

2013年12月23日 18時39分11秒 | Weblog



1万人の聖歌隊、少女の最後のクリスマスの願いかなえる
2013.12.23 Mon posted at 12:30 JST


Dying girl's Christmas wish granted by 10,000 carolers
By Steve Almasy, CNN
December 22, 2013 -- Updated 1500 GMT (2300 HKT)


 感動する。

 前にも書いたかもしれないけど、日本人というのは いいことしてまーす、と表立ってやるのは、どちらかというと、苦手で、タイガーマスクのように、匿名で隠れて、というところに美徳を感じるのだけど、こうやって、表立ってやるのもいいじゃないですか。

 日本だと、「そんなみなさんにご迷惑をかけてまで」という意識が先立ってしまうかもしれないが、こうして、みんなにやってくれる?と頼める雰囲気があるのもいいじゃないですか。

解雇規制2

2013年12月23日 18時33分15秒 | Weblog
2013年12月23日 07:59日本の正社員をクビにするのは世界で一番難しいと主張する人が見る幻覚

この手の国際比較の議論には三つ注意しないといけないことがある。

他国と日本の“正社員”は労働契約が異なることに注意する必要がある。日本で欧米型契約を結べば、同じように解雇できるかも知れない。日本型正規雇用は職種や勤務地が限定されていないのが解雇困難な理由だが、逆に過去最高益を上げている企業でも、部署閉鎖による異動に応じない人員の削減は正当な解雇と見なされる(鐘淵化学工業(東北営業所)事件)。
日本より解雇規制が緩い英米でも、会社が傾いても労働組合が強すぎて雇用条件を見直せないなどの問題がある。全米自動車労組(UAW)がGMの経営の障害になっていたと言われるし、御菓子トゥインキーの製造を手がけていたホステス社も労組との交渉が失敗になり破綻に追い込まれた(JBPress)。米国でも不満を持つ従業員を片っ端から解雇する自由は無いことが分かる。
日本の労働市場が他国に比べて問題を抱えているわけではない。欧米に比べて失業率は依然として低い*4し、生産年齢人口あたりになる就業率も高く*5、隠れ失業者がいるわけでもない。格差是正のための解雇規制緩和を訴えているケースもあるが、欧米は格差社会である。
ひとつの切り口として一次元的に解雇規制の強弱を議論するのは楽しいが、具体的なケース・スタディで国際比較をすると結果はまた変わるであろうし、法規制が労働市場や格差問題にどういう影響を与えるかは自明ではない。

6. 制度改正の効果は、よく考える必要がある
OECDのグラフは、人事コンサルタントの城繁幸氏の「日本の正社員をクビにするのは世界で一番難しい」と言う主張を否定する。英米よりも困難だと言っておけば良いと思うのだが、どうして揚げ足を取られるような主張を展開してしまったのか。


 解雇規制 単純な比較はできないんですね。

2ヶ国語絵本

2013年12月23日 17時11分19秒 | Weblog


 アメリカでは英語以外の言語を話す子供がおおいので、2ヶ国語の絵本が出版されるようになった、と。

 遅きに逸した、というかんじか。

 日本でも早い時期からの英語教育が云々されているが、オーディオつきで、2ヶ国語で絵本など売り出したらどうだろうか。

仮面を脱いだ安倍首相?

2013年12月23日 16時08分56秒 | Weblog
「仮面を脱いだ安倍首相」―特定秘密保護法成立についてのドイツのメディアの論調
じゅん / 2013年12月15日





「日本政府が外国人記者を招いてその政策や法律について説明することは非常に稀であるが、その稀なことが今週起こった。外国人ジャーナリストたちが霞ヶ関の一室で政府関係者から『この法律の施行によって言論や報道の自由は損なわれない』という説明を受けている間、外では何千人という、主として年配の人たちが抗議デモを続けていた。多くの人は安倍政権がこの法律を悪用し、不都合な情報をもみ消し、1930年代のように反対派を威嚇して萎縮させようとしているのではなかと恐れている。調和を重視する社会に生きる日本人の多くは、政府の政策に反対でも実際に抗議行動に出ることはあまりない。その日本人がこの法案に対するほどの激しい抗議行動を起こしたのは、今までなかったことである。参議院の本会議場では安倍首相の率いる自由民主党のこの法案審議についての傍若無人ぶりに激高した政治家の間で、ほとんど殴り合いのような場面も見られた」。


なぜ日本社会はこれほど感情的に強く反応するのだろうか? それは一つには、この法律がもともと圧倒的な力を持つ官僚の力をさらに強化するからである。この法律では、官僚たちは何が秘密であるかを自分たちで決めることが出来る。


この法案によると、将来各省の高級官僚は国防や外交上の経過を示した資料のどれにも秘密というスタンプを押すことができるようになる。それだけではなく、他の分野のすべての資料も“微妙な分野”に属するという名目によって、秘密扱いに出来る。しかし、何が秘密事項にあたるか、この法律ははっきりと規定しておらず、曖昧模糊としているため拡大解釈が可能である。


日本政府は、経済政策の成功は経済回復の数字が示しているとして、安倍首相が本当に関心を持っているテーマに取り組んだのだ。すなわちアメリカと並んで日本がアジアで軍事的にも指導的国家となること、国内では平和主義が深く根ざす日本社会を変えて、彼の粗野なナショナリズムを浸透させることである。安倍首相は著書のなかで、彼が目指す目標は1930年代の日本であるとはっきり書いている。



 秘密保護法案については、拙速であったと思うし、改正すべき点もあると思うが、

まず、調和を重んじる日本人とうい、定型文句はどうにかならないものか?
戦争好きなアメリカ人、杓子定規なドイツ人など、ひっそり、自分のアメリカ人論、ドイツ人論をしのばせるべきではない。

 拡大解釈、というのは、どんな法律の文言でもあり得るわけだが、さすがに行政文書のなんでもこの法律で、秘密にすることはできまい。

 また、安倍首相は1930年代の日本を目標としているというが、その部分を引用してもらいたいものだ。


 日本人の中には、ときどき、洋物を洋物という理由でありがたがるひとがいるが、洋物、和物でも、いいものもあれば、悪いものある、批判的に吟味していくべきである。


外国出身者に日本語教育を

2013年12月23日 15時03分55秒 | Weblog
Millions of American Students Need to Learn English
But only a fraction of teachers have received training to help English language learners.
TREVON MILLIARDDEC 19 2013, 11:29 AM ET


アメリカの生徒には、数百万も英語の読み書きができないものがあり、教師も母国語が英語でないものに、英語を教える訓練をうけていない。

 英語とその生徒の母国語での授業を両方やるなどの試みがなされている、と。


 日本では、国会もマスコミも移民問題をあまり、真正面から取り上げないから、こうした問題がないがしろにされるが、日本でも必ず外国人移民は、増え、同じような問題は起きてくる。

 いまでも、英語しかできなで、学級新聞というか、お馬鹿だけの集まりの、ニフコ Japan Times などを読んで、知った風な口を聞くようになった一部の外人が、日本や日本人について妄想して、その妄想を世界に撒き散らしているのである。

 日本語教育法をしっかりと普及して、実践的な日本語教育を海外で、そして、日本で、やっていかないと、直に日本でも大変なことになる。

誰にも知られずに殺処分になる命

2013年12月23日 14時56分01秒 | Weblog
小川 かおる
誰にも知られずに殺処分になる命があった…



今日、用事があり保健所の保護動物収容施設に入った。

「どうか収容されている犬がいませんように…」祈る気持ちで向かった。

中に入ると1匹の小型犬がいた。
鳴く事もせず、鉄柵に近寄り尻尾を振り続けている。

私は引き出しボラはしていないし、可哀想だと思っても連れて帰れる立場ではない。
今日は別件で来ているのだと分かっていても、冷たいびしょ濡れのコンクリートの上にいる犬の詳細を聞かずにはいられなかった。

「この犬は迷子ですか?」と訪ねると職員は抱いても良いですよ…と扉を開けてくれた。

足先はびしょ濡れで冷たく、お尻は下痢をしている様子でびしょびしょに便で汚れていた。


この小型犬は収容されて1週間。
マイクロチップから飼い主が分かっている。
その飼い主に連絡を取ったが迎えに来ない。
その後も留守電に用件を入れているが飼い主からの連絡がない。
内容証明を送ったので、このまま連絡が無ければセンターに送られ殺処分になる。

マイクロチップが入っていて飼い主も分かっているので収容動物のHPには載らないので、里親として個人が申込みすることも、愛護団体の目にとまることもない。
事務的にセンター送りになり処分器に入れられるそうだ。

マイクロチップが入っていなければ、HPに載り多くの人の目にとまる。
命が繋がるチャンスがあるのだ。

こんな理不尽なことがあるなんて今日始めて知った。


私は「今夜は雪も降るようだし、下痢もしている2kg弱の痩せて震えているこの犬をここに置いて帰れません。可能であれば飼い主から連絡があればすぐに連れて来るので預からせてください。」とダメ元でお願いしてねみた。

答はNO!

保健所の責任もあるそうだ。
そうなんだろうが…
それならば、せめて床の水分くらい拭き取ってほしいと思った。
凍死するかもしれない。
コンクリートの建物は暖房もなく、バスマットの上にバスタオルが敷かれているだけ…
改善してほしいと思った。

食い下がって、飼い主からの連絡がなかったら連絡をもらえることを約束頂いた。

2時間いる間に次々と犬が収容されて5時の時点で収容犬は5頭になった。

暖房もないコンクリート仕様の広い施設でこんな寒い夜を過ごすなんて…

飼い主、しっかりしてよ!

職員さんも忙しいだろうし、大変かもしれないけど…
出来る限り協力するからもう少し優しく接してほしいよ。



帰り道…霙混じりの雨が降ってきた。
涙も一緒に降ってきた。

Press Conference on the occasion of His Majesty's Birthday

2013年12月23日 14時11分59秒 | Weblog

Press Conference on the occasion of His Majesty's Birthday (2013)



Question 1
As Your Majesty celebrates Your eightieth birthday, sanju, on December 23rd, we will soon be marking a quarter-century since the start of Your era of Heisei. In the course of the Showa era and the current Heisei era, we have lived through a world war, its aftermath and subsequent recovery, numerous natural disasters, and difficult economic times. Your Majesty has also undergone two major surgeries. Looking back on Your eighty years, please tell us about any events that have left special impressions on You, and also, about Your thoughts on turning eighty, and how You would like to lead Your life in the coming years.
Answer 1
Regarding the question on what events have left me with special impressions over the past eighty years, I would say that what stands out most in my mind is the Second World War. Japan was already at war with China by the time I reached school age. The following year, on December 8th, Japan also entered into war with the United States, the United Kingdom and the Netherlands, in addition to China. I was in my last year of elementary school when the war ended. About 3.1 million Japanese people are said to have lost their lives in that war. It still pains me deeply to think that so many people, who must have had various dreams and hopes for the future, lost their lives at a young age.

After the war, Japan was occupied by the allied forces, and based on peace and democracy as values to be upheld, established the Constitution of Japan, undertook various reforms and built the foundation of Japan that we know today. I have profound gratitude for the efforts made by the Japanese people at the time who helped reconstruct and improve the country devastated by the war. I also feel that we must not forget the help extended to us in those days by Americans with an understanding of Japan and Japanese culture. Today, more than sixty years since the end of the war, we have seen that, in the face of major disasters such as the Great East Japan Earthquake, there are so many people in Japan who value the bonds between people, can deal with various situations calmly, and work hard towards reconstruction. I have found this most reassuring.

On reaching the age of eighty, I feel fortunate that I am able to lead a life always feeling gratitude to those who have rebuilt Japan and who continue to commit themselves across the nation to the betterment and development of our country in various ways. Having already lived eighty years, I am somewhat perplexed by the question about my life in the coming years, but I would say that, while accepting the limits arising from age, I hope to continue to fulfill my role as best I can.

Over the course of the eighty years of my life, there have been many ties and encounters with various people, starting with Emperor Showa, from all of whom I have learned much, both directly and indirectly. I am indebted to the Imperial Household Agency and the Imperial Guard Headquarters, and I feel grateful that I have been supported by so many sincere and devoted people to this day.

Being an emperor can be a lonely state. But with my marriage, I gained a partner who shares my appreciation for the things that I value. It has given me comfort and joy to have by my side the Empress, who has always respected my position and stood by me, and I feel most fortunate that I have been able to endeavor to carry out my role as Emperor with the Empress by my side.

I shall continue to pray every day for the happiness of the people and carry out my duties for the people.



天皇陛下お誕生日に際し

問1 陛下は傘寿を迎えられ,平成の時代になってまもなく四半世紀が刻まれます。昭和の時代から平成のいままでを顧みると,戦争とその後の復興,多くの災害や厳しい経済情勢などがあり,陛下ご自身の2度の大きな手術もありました。80年の道のりを振り返って特に印象に残っている出来事や,傘寿を迎えられたご感想,そしてこれからの人生をどのように歩もうとされているのかお聞かせ下さい。
天皇陛下
80年の道のりを振り返って,特に印象に残っている出来事という質問ですが,やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており,その翌年の12月8日から,中国のほかに新たに米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くして命を失ったことを思うと,本当に痛ましい限りです

戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆きずなを大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。

傘寿を迎える私が,これまでに日本を支え,今も各地で様々に我が国の向上,発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています。既に80年の人生を歩み,これからの歩みという問いにやや戸惑っていますが,年齢による制約を受け入れつつ,できる限り役割を果たしていきたいと思っています。

80年にわたる私の人生には,昭和天皇を始めとし,多くの人々とのつながりや出会いがあり,直接間接に,様々な教えを受けました。宮内庁,皇宮警察という組織の世話にもなり,大勢の誠意ある人々がこれまで支えてくれたことに感謝しています。

天皇という立場にあることは,孤独とも思えるものですが,私は結婚により,私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え,これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。

これからも日々国民の幸せを祈りつつ,努めていきたいと思います。



日本国の象徴ですね。

巨大利権の伏魔殿

2013年12月23日 12時09分56秒 | Weblog
孫崎 享
‏@magosaki_ukeru


東京都:何としても宇都宮氏を阻止したい訳だ。宇都宮氏ならメス入れる。22日産経「都の財政12兆円。、巨大利権の伏魔殿。外郭団体や関連財団。都では今年7月までの1年間に退職した課長級以上の幹部職員160人のうち87人が関連団体に再就職。」



首都東京の改革旗手 「天下り」手付かず
2013.12.22 07:48 (1/3ページ)[猪瀬直樹都知事]

 
東京都の財政規模は12兆円を超え、ノルウェーなどの国家予算に匹敵する。それを一手に握る都知事も「大臣2、3人分に匹敵する」といわれるほどの力を持つ。それゆえに、日本の首都でありながら、巨大な利権を内包した「伏魔殿」とも揶揄(やゆ)される。

 数多くの外郭団体や関連財団を抱えているため、たびたび都議会ではスリム化が議題に上ってきた。すでに国は平成21年、省庁による天下り斡旋(あっせん)と官僚OBの独立行政法人などへの再就職を禁止した。

 だが、都では今年7月までの1年間に退職した課長級以上の幹部職員160人のうち87人が関連団体に再就職している。

 「まだ知事になったばかり。これから考えていきたい」。今年2月の都議会で職員の天下り問題について問われた猪瀬直樹知事(67)はこう述べたが、“改革の旗手”が切り込んだ形跡は見当たらない。

 「東京都は一般との認識が乖離(かいり)している」。日本維新の会の柳ケ瀬裕文都議(39)は、都で関連団体の民営化や廃止が進まない現状を批判する。民間であれば整理される「ぜい肉」が減らないという。柳ケ瀬氏が理由に挙げるのも、やはり「天下り利権」だ。