Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

有道一派 日本はファシスト国家だ!!!・・・と思ったら早く日本から出ていくのが順当では?

2008年04月30日 17時15分13秒 | Weblog
Adi Says:
April 24th, 2008 at 12:28 pm
......
I`m sorry it happened to you, but answering your questions is easy. This is Fashist Police State and they can do whatever they want to. They have power as nowhere on the world Police have (if they were Police officers).
魚拓

Rough guide to police arrest in Japan
By Anonymous
......

Fascist Disneyland: Stay, leave, revenge?....


The “fascist Disneyland” phrase is classic! That sums up perfectly many ugly facets of Japan・・・・魚拓



・・・どうも日本はファシスト国家らしい。
思うに、祖国があって、それでも日本にいる理由ってあるわけ?

ああ、いっておくが、有道くんところのコメントは有道君が選別し、すごく嫌いなのは削除し、また、気に入らないのには自ら反対の意見を太文字でつけているが、上記投稿、及びコメントには有道くんの太文字コメントついてないからね。そこらへんの意味はわかるね。


こういう外人ばかりではないことはわかっている。
立派で日本社会にとても貢献してくださっている外国人、外国出身者もいることはわかっている。



でも、こうして、真実を弾圧し、人権活動家と称して、タブロイド投稿をまき散らし、日本人と協力もしようとしない外国人は嫌じゃないですか?

こういう在日外人がどれくらいいるのでしょうか?
案外多いのでしょうかね?

この手の外人、外国出身者は早く帰国していただくのが日本のためにも本人のためにもよろしいのではないか、と思いますが・・・・だってファシスト国家日本にとっても邪魔だし、ファシスト国家にしがみついている気持ちがわからん。おれなら帰る国があるのに、ファシスト国家になんていたくないですがね。もしかして、日本の警察が見張っていて帰国させないようにしているとか?


皆様はどうお考えでしょうか?

更新 日本の警察との比較、意図的な不当引用について、ponta's memorandum

イギリスの終焉?

2008年04月30日 15時27分48秒 | Weblog

太田氏のブログがChristian science monitor
if ratified, it will become the decisive act in this creation of a federal European superstate with its capital in Brussels. Britain would become a province and its "Mother of Parliaments," a regional assembly. (リスボン条約がひじゅんされたら、ブルッセルを首都とする欧州超国家が連合の誕生にとって決定的なものになり、イギリスはその一地方になり、また議会は一地方議会になってしまうことになる。

 
 さてさてどうなることやら。海洋国家たるイギリスは地政学的に他の欧州とは一線を画するという議論を読んだことがあったのですが、そこらへんはどうなるのでしょうか?
 いままでの枠組みではない新しい世界のの枠組みが出現しつつあるのでしょうか?

チベットーーー世の中そんなもん?

2008年04月30日 04時13分28秒 | Weblog
 チベット問題に関して、新しい様々な意見が出始めている。
 江川氏の論攷は暴力があってようやくベディアで大々的に報道されはじめたチベット問題、これをきっかけに解決に向かうことが望ましいというもの、
 オリンピックが終わって聖火が消えても、世界の人々の関心は消えない――そう中国政府が意識した時に、事態は動き出すだろう。
 そういう日が来た時、非暴力が暴力に勝てることを、私たちも実感できるのだと思う。

 ルーマンであったか、メディアというのは新奇なものだけを求めて報道し、古く慣れば報道しない旨言っていたと思うが、チベット問題なぞというものは、今回の件があるずっと以前から存在していたのだが、新奇なことがあってようやく報道され、ようやく注目を浴びるようになった。今回の件でも、何も目新しいことがなくなればどうせ報道されなくなるだろう。それはジャーナリストが一番よくわかっているのではないか?

 だからこそ、こうして世界が報道してくれている内に何か新たな動きがあってしかるべきだが、ダライラマ氏、宗教家としては立派なのだろうが、政治家としてはいまひとつではないかと、太田氏が引用するNYTの意見欄では、
[ダイララマは]ガンジーの非暴力主義的抵抗を行うと宣言した。しかし、実際には非暴力主義を唱えるだけでガンジーの行った塩の行進(Salt March)や断食といった「抵抗」に相当することは何もやらなかった。

 この点は、どうすべきかは、チベットの人々の意志にゆだねられるが、しかし、周囲からみていても、今回の動きについていまひとつ意思表示が弱いようにも思う。
 マイネザッヘさんが引用するIOCの会長は
英国、フランス、出身国ベルギー、ポルトガルを例に取り、1949年当時共通して「植民地保有国として問題を抱えていた」との認識を示し、「ようやく植民地の独立を承認したのは40年前。もう少し謙虚な立場を取るべきでは」との見方を示した。
とさえいう。
 弾圧に苦しむのチベットだけなくウイグルも同じだが、そんなに待たされている間に、これらの人々は拷問されてこの世にいないか、文化弾圧で中国人になっているのかもしれん。おれがチベットにいるチベット人なんかだったら、その間、官憲につば吐いて死刑になっているか、あるいは、肛門に電気ショックされて涙ながらに命乞いしているのかなあ?

 政治家は、体のよい対話を求め、経済人は中国様のこととやかくいうな、と言い、ジャーナリストは話題性がなければそっぽを向く、日本のリベラルは不気味な沈黙を守る。世の中そんなもの、といってしまえばそれまでだが、なんとなく割り切れん思いがするな。

 「力が正義なんだよ!」

 と中国はほくそ笑んでいるかもしれん。

外人嫌い

2008年04月29日 04時27分19秒 | Weblog
 Japan Probeで日本は外人恐怖症を克服できるか、という記事を掲載していて、その例として、ブルドッグ事件をあげている。ああ、そういえば、そういう事件あったなあ。最高裁判決
 その当時、別に興味もなかったが、しかし、この事件の場合、当時、「外人に乗っ取られるううう」という声があったんかいな?ググっても敵対的買収に関して予防方法みたいのばっかだがな。この書き手の方ちゃんと日本語メディア調査したのかいな。
 もっとも、電力会社の件に関しては、日本側で、資本鎖国主義を唱える動きがあったのも事実である。

 では、例の如く、アメリカの場合をみると、

・・・During the 1980's, the United States ran huge trade deficits with Japan. The result was that Japanese corporations and individuals ended up owing many famous U.S. buildings and companies. This really spooked many jingoistic U.S. politicians, but they missed the point that all trading in life---be it with foreigners or fellow citizens---is designed to make you happy. ・・・(The anti-Japanese hysteria at the time was even sillier given that largest group of foreign owners of U.S. property was, and still is, the British.)Economics For Dummies page 73

日本が80年代買収しかけたとき、、好戦的愛国主義アメリカ人によって非常な反発があった。実際には、アメリカの物権をもつ外国人は当時も今もイギリスがトップであるにもかかわらずである。
(因みに、引用した「お馬鹿のための経済学」ーーー昔読んだ本だが、おいらの経済音痴克服のための涙ぐましい努力の過程で買った本である)

アメリカ人は日本人恐怖症なのかねえ?

まあ、それはともかく、上記英文にもあるように、交換ってのは、欲しいものと欲しいものを交換するわけで、相手が誰であろうと、どっちが損するわけではない。
 また、普通の取引で、日本人が米国でしてよいことを外人が日本でして悪いというのは不公平である。
 もっとも、公共性の強い分野は規制も可とする意見もあるが、本件の場合、動機は、官僚の既得権益に対する妄執である、との批判や、「TCIの目標としている20%では拒否権も行使できないし、ホー氏は「株式を信託して重要な意思決定には関与しない」と約束している」のだから、危険性はない、とする批判などが有力である。
池田信夫ブログ

 素人のおれにも特段の理由なしに外資という理由で拒否する理由は見あたらない。むしろ歓迎すべきやないのか?


近親相姦

2008年04月29日 03時45分59秒 | Weblog
いやあ、すごい事件もあるもんだ。
地下室に監禁24年、娘に7人産ませる? オーストリア

2008年04月28日11時35分
朝日

これが日本でおきて有道さんのところで、とりあげられて、そのコメント欄などを想像するとぞっとする。「日本は・・・・!!!」とかなるんやろなああ。
 でも、おいらは西洋は・・・!!!なんてことはしない。日本でも何十年か前だが、有名なケースで非常に悲惨な事件がある。ちゃんとこうしておけば、こうした事件があっても、お馬鹿なオーストリア人論や、西洋人論、あるいは文化論にはならないでしょ。
 特異な現象としてよりも、普遍化して扱えば、文化や国をこえて、ともに考えていくことが可能になる。有道一派はあくまでも優越主義を保ちたいのかもしれんね?
 さて、事件のネタの方をググると、CNNが、報道しておった。それよりもググっている過程でみつけたニュースはちょっとショッキングやった。(こっちはオーストラリア)
 とおちゃんと結婚して、子どもをもうけて普通に生活しているケース、兄妹で男女の関係として愛し合っているケースを紹介している。nineMSN
魚拓誰にも迷惑かけているわけじゃないんやから、尊重してくれ、といっちょる。
専門家によれば、驚くべき事に、わりにひろく行き渡った現象なのだそうだ。
日本では近親相姦もののポルノがおおく、西洋では現実ということか?ーーーなんて有道さんのコメント欄のような非論理的、無根拠なことをいうつもりはない。

 実態はわからない。

 おれの友達の子どもがばあちゃん=友達のかあちゃんのおっぱいまでさわって、その友達はびっくりしておったが、あれは近親相姦の衝動だったのだろうか?いや、あの子の場合、かあちゃん、ばあちゃん、問わず、おんなの人見るとおっぱいさわりたがっておった。
 
 近親相姦のタブーに関しては、例えば生物学的奇形を理由とされることがあるが、しかし、有力な反対説がある。
劣性遺伝子が遺伝子プールに占める割合は、第二世代から第三世代にかけてほぼ半減する。それゆえこの内婚社会は、最初のうちこそ動揺するものの、やがて劣性遺伝子を淘汰し、優性遺伝子の同形接合のみが生じる安定した遺伝を繰り返すだけとなる。 永井俊哉ドットコム

 で、例えば、
フロイトは、
このような強いタブーがあるということは、逆に人間には自然的本能において近親者への性的欲望があるはずだ、と考えました。そうして、太古の人類社会における、(ある種、象徴的な意味ですが)息子たちによる父親殺し、そしてその結果としての「贖罪意識」と「女性の独占をめぐる争いの防止」といったものを、現在の近親相姦のタブーの背景に求めようとしました教えて

レビストロースは、
近親相姦のタブーは、「母や姉妹と交わってはいけない」というタブーではなくて、「母や姉妹を他集団に与えること」を強制する規則なのではないか、というわけです。

狩猟採集で生計を立てる集団の場合、適正人口はせいぜい数十人規模とされます。しかし、男女がほぼ同数で育ち、かつ相手を見つけて子どもをもうけ、集団の再生産をが可能にするためには、最低数百人の規模が必要になります。つまり、生活集団の上部により大きな規模のネットワークが築かれないことには、集団そのものの存続ができないのです。

この生殖問題を解決すること、そして同時に、他集団に親族を持ちあうことで集団間の争いを防ぐこと、これらの目的のために「女性の交換」が行われるのであり、近親相姦のタブーはこれを保障するための社会的な決まりごとである、というのが、概略レヴィ=ストロースの主張したことです。(同上)


 おいらが昔読んだ本「タブーの謎を解く」はまた違った説明があった筈なんだが本棚を探してもみつからない。たしか、A、B・・・としっかり区分けされた社会秩序を乱すので禁忌される、といった説明だったような・・・トランスジェンダーやおかまくんなんてを想像すると男と女というはっきりした区別のもと社会が機能しているのに、その中間なんてやばいよ、みたいな感じ。ウィキをみると、たぶん、ウィキの社会学的説明に近かったように思う。それによると、上記レビストロースと同じように
1)部族の生存
加えて、
2)概念の混乱(父≠夫)
3)家族内対立縮減(母 vs娘)

なるほどね。






中国のナショナリズムのレベルーーちょっとやばい?

2008年04月28日 23時02分44秒 | Weblog
韓国での中国人のチベット支援に対する暴行の映像youtubeだが、しかし、これみると、たんに政府から動員かかったとだけはいえんようんだな。マジだぜ、こいつら。本気で中国が侵略して、その人民を大量虐殺した地、チベットを守ろうと思っているのか?
まして、他国で?
まっ確かに、自分の国でこんなことまで外国人にさせる、というか、被害者ぶりを強調するのが韓国のお国柄なんかもしれんが、それにしてもすごい。

 いやね、近くのジョナサンで働く中国人のおねえちゃんに長野いかんの?って聞いたら、「お金ないよ、長野まで高いよ、いかないよ」とかひょうひょうと言っていたから、まあ、普通の中国人の人ってのはその程度かな、とも思っていたわけ。

 旗振って旗体にまいて、ここまでするか?日本の宣伝カー右翼もここまでせんだろう。

 中国国外で比較的距離をおいて中国やその歴史を考えることができる国外中国人がこれでは、やっぱ、ちょっとやばそうやな。

特定財源

2008年04月28日 15時29分55秒 | Weblog
おいらは特定財源の可否について詳しく論じられる程知識はないが、
 愛知万博の会場跡地周辺を走るリニモに約145億円、名古屋市の東山動植物園に約3億円――。施設の整備につぎこまれたとみられる道路特定財源の金額だ。「道路をつくる」ためのカネが道路とは関係ない施設に使われる事例が全国的に次々に明らかになっているが、東海地方でも目立っている。愛知県豊橋市に7月に完成する「こども未来館」もそうだ朝日

これがちょっと可笑しいってことくらいわかる。
政治家はなんでこんなことチェックしておらんのか?

だから、言っているべ、細かなことは、国民はわからんのだから、自民党にせよ、民主党にせよ、官僚改革を掲げて実行する党や議員が、従来の支持母体の有無にかかわらず、国民の支持をうけて成功するんだってーーーな、頼むよ、政治家君

Taming American Power

2008年04月28日 05時13分31秒 | Weblog
奥山氏のブログで、
・・・・
もちろんこれをよく理解できるのが、私が訳出したウォルトの『米国世界戦略の核心』です。特に参考になるのは第三章や第四章あたりの「正統性」をめぐる争いについての解説です。
とか書いてあるので、なんかこういう含みのある言い方をされると見てみたくなって買った本。Taming American Power。さっきザーと読み終わった。いや、奥山氏が訳出したことも知っていたし、紀伊国屋でもちょこっと原書を立ち読みしたりしていはいたがのだが、ちょっと迷っていた。上記文章を読んで買うことに決めて、アマゾンへ。洋書としては手頃の値段だし、訳書より安いから原書。

 奥山氏の「地政学」もおもしろかったし、マーシャイマーのThe Tragedy of Great Power Politics もおもしろかったが、この本もえらく面白かった。米人・日本人にとって必読書だろう。こんな鋭い本を書く人がいる米国って、やっぱすごいなああ、偉大な国やなあ、と思う。また、こうした地政学・戦略関係などの本を多読して、こうして良書を咀嚼・紹介・訳出してくれる奥山氏もすごいと思う。

 で、どんな本かというと、オレ流にまとめると、誰もが認めるだろうアメリカの勢力、そのアメリカを他国はどう見ているか、アメリカ人自身はどう見ているか、そして、その両者のギャップ、他国は、そのアメリカをどう対処していこうとしているか、そして、それに基づいて、アメリカはどう政策を練っていくべきか、といった内容。こうした国際関係の見方は、世界の大勢をにらんでやっていく日本にとっても必須の視点であろう。

 世界はアメリカを他に比べものがないほど軍事的にも経済的にも一大巨人とみている。
 アメリカ人は、理想を追求し、それを世界に拡げて、嫌われる理由があろうはずもない、と思うものまでいるが、他国は、この巨大な力におそれを感じ、また、そのダブルスタンーダードや偽善、チェックアンドバランスのない強制力、非協調性などに不安を感じている。そこで、同盟関係や、技術協力などの柔らかな協調関係、米国の要請に対する牛歩戦術、米国の国際的制度へ組み込み、それを遵守させ、あるいは間接的脅迫したり、米国の非正統化を試みたりしてアメリカに対抗しようとする。同調する国は、アメリカの力に相乗り、ひどい場合はただ乗りし、あるいは、ロビーストなど使ってアメリカの外交政策に影響を与えようとする。
 こうした状況の下、アメリカがこの地位を保つためにアメリカのとるべき役割はいまの息子ブッシュのように力による正義の押しつけではなく、現実にアメリカの国益及び同盟国が危険に瀕したときのみ介入する海を隔てた遠隔での調整役であり、それに必要なだけの軍備を配備し、また、お節介な押しつけをするのではなく他の手本になることによる説得をすべきである、というのである。

 おおざっぱで誤解もあるかもしれんがこんな感じ。

 で、偉いと思うのはこの人、大勢の一般アメリカ人とは異なり、例えば、第二次大戦における日本に対する一般市民の大量殺戮(大空襲・原爆)の不当性や、核拡散問題にに関する米国の偽善など多くの米国の過ちをしっかりと認識していることだ。アメリカ人が美化された歴史を教わっていることもちゃんと指摘している。

 中国や韓国の嘘を飲む必要もないが、こうした謙虚な態度は日本も学ぶべきであろう。こうした謙虚な姿勢をとられると、他国も信頼したくなるだろう。

 本書はアメリカという大巨人が世界に信頼されるための指針になり、かつ、様々な洞察に満ちた良書である、と思う。

 日本もこのように世界のなかでどのように評価され、だから、どのような政策をとるべきか、について著者のような現実的な視点は極めて重要だと思う。










移民と犯罪  外人恐怖症 アメリカ

2008年04月27日 23時27分47秒 | Weblog
有道くんが、移民の犯罪率は少ないというロイターの記事を引用しています。面白いのは、記事が、Contrary to common beliefs,public perception などと一般の憶見を批判しているのですが、裏から見れば、一般にはそうした移民に対するイメージがある。
また、そうしたイメージが引用される記事の趣旨とは異なり、全く根拠がないわけではない、ことを示すサイトもあります。それによると、確かに、犯罪率は下がったが、それはかなりの公費を使った手厳しい取り締まりの成果で、違法移民による重大犯罪は増加している、とのことです。

また、
地元のアメリカ市民たちは大量のメキシコ国旗を振り回しながらスペイン語で抗議をしている外国人たちを見て、彼らを野放しにすれば自国はメキシコ人に乗っ取られてしまうという脅威感を持ってしまった苺畑より

というように、アメリカ市民のなかに外国人恐怖症がある、ことも確実のようです。

 私は、以前より、移民に対しては、積極的に十全な権利を与える、ことを主張しおりましたがーーーそして、それは今でも変わりませんがーーコメント欄などの警告により、安易な移民の流入には警戒心を抱くようになりました。

 在日外国人のなかには在日アメリカ人のかたもおられるのですから、祖国がかかえる問題などをはっきりと提示していただいて、日本の将来の参考にしていきたいものです。

拉致被害者友の会 フランス?

2008年04月27日 19時21分45秒 | Weblog
日本の評判
・・・・3人のフランス女性が1970年代後半に、ピョンヤンのスパイにフランス語を教えるため北朝鮮の特務に拉致された。それ以来、誰も彼女らの運命を気にかけない。・・・・・・
日本政府はフランス外務省がこの問題に関心を持つことを望んでいる。ニコラ・サルコジ大統領は日本では人質問題における熟達で知られるが、昇る太陽の帝国を7月に訪問することになっている。


よし、フランスがついてくれたら力強いなああ。

親韓=反日?

2008年04月27日 14時11分32秒 | Weblog
久しぶりにマーモットのSonagiという親韓米人の記事。その女性はどの程度か知らんが日本語ができるらしい。
エッチしようとして、軽くたたくなんて、おほほほほっ、ってな感じだ。
まあ、この日本人も悪い。手を出すな。他方、2週間も拘束される程の事件であったかも疑問だ。Japan Probeでフィリピン人の方と思われるひとが、知事の娘だからこうなったのだろうが、手をだした日本人も悪いというのがあるが賛成だ。
 しかし、こうした政治問題でも環境問題でもない一個人の下らん事件を韓国問題に関するブログで取り上げるとは、韓国はよほど平和なんでしょうかねええーーおほほほほっ。それとも、親韓になると反日になるのでしょうかね?おほほほほっ。
で、コメント欄
NewYorkTom your flag
Posted April 25, 2008 at 10:12 am | Permalink

Haha. I love it. A monkey coulda thought of a better “excuse”.

I guess he shouldnt expect too much support from the J govt.
猿でももっとましな言い訳する。
日本政府から助けてもらえるとでも勘違いしたのかね、この人。

まあ、あるみかたすれば、日本人を猿以下と暗示しているわけだ。
多分、民族主義的在米韓人だろう。この手の民族主義韓外韓人は非常に多い。
そして、彼の国のものすご~~~~い民族主義が親韓派やこうした韓国外韓国人に影響を与えて反日的な言動にでることもおおいのである。

つまり、我々日本人も国際的な舞台で主張するときは、かなりフェアプレーしなければ、こうした悪意に満ちた反日勢力に絡みとられて、彼らの餌食になるだけだ、ということで、例えば、「在日シナ人帰れなどという発言は2チャンネルなどでは通用しても、国際的にはまったく通用する余地もないことは心しておいたほうがよい。
 日本のためにやっている、という意識があるなら、フェアプレーで、いろんな主張があってもいいが、国際的に強く非難されるような言動などの手段をとってはその主張も台無しなるということだ。

 まあ、とにかく、有道くんや、ソナギくんなど反面教師として、がんばっていきましょう!!

真理の哲学

2008年04月27日 03時47分14秒 | Weblog
以前、真理論の投稿で取り上げた池田信夫氏が紹介している本。
図書館に頼んでおいた奴がきた。
真理の哲学
 池田氏の書きぶりから余り期待していなかったが、予想外にしっかりした本である。
ニーチェーの視点主義を中心に、フッサール、メルロポンティ、フーコーの思想などがきわめて明解に解説されている。とくにフッサールの思想の解説は目から鱗だ。

 特定の視点からの眺望を絶対化し、それを真理と思いこんでしまう視点主義(10)に対して、そうした真理や価値が形成される構造やメカニズムについての分析を「超越論的パースペクティヴィズムと称し、上記の思想家たちからその観点を読み取っていくのである。

 ニーチェによれば、すべの価値は眺望を固定化する病の成果にすぎない。(17)
「隣人愛」や「禁欲」などの価値あるものが否定されるのがニヒリズムだが、ニーチェは気分としてのニヒリズムだけではなく、そうした価値を根拠となる「神」や「善のイデア」、現実世界のの根拠になるような世界を想定する世界観を否定した。(19)
 そして、弱者、敗者がなんとか優位に立とうとして、悪い敵をくくりだして、その反対物として善人=自分をおくのがルサンチマンの構図だ。(20)

 ニヒリズムの帰結として「永遠回帰」の思想がでてくる。ニヒリズムにおいて、善い悪いの尺度がないから、よりよくも悪くもならない。いつまでも同じことが続くのである。

1)今日何をしても結局何もかわらないから、現在の行為が意味を失う。
2)苦しい毎日も繰り返され、それが終わる、という可能性さえ奪う。
3)芸術作品にふれた感動も、繰り返されれば、飽きてしまう。永遠回帰はこうした喜びも奪う、(24)
と著者は「永遠回帰」を解釈している。

「力への意志」はなんらかの主体に帰属するものではなく、「可能なかぎりその及ぶ範囲、強度、質を最大化しようとしているのが、「力」への意志だ」という。そのイメージとして、カビの繁殖状態を範型にすればよい、という。(28)赤、緑、白などのカビはそれぞれ最大限自分の領土を拡げようとして、力が拮抗したところが境界線になる。

 価値に関する眺望的固定病の根底にもこのような諸力の拮抗と均衡という力への意志が働いており、それを「解釈」とよぶ。自然の事実や、「原子」などの基本概念も解釈の産物であり、また、自我さえも解釈である。(32)
もっとも、ここで「「自我」の根底ににある「自己」とは区別される。「自我」は生まれたときから死ぬときまで同一で、意志・思考・行為・責任の主体もしくは原因(35)であるが、自己はあるものAがその同じAに関係するという関係の一態様にすぎない。サーモスタットが一瞬働いて冷却装置を停止して、自己制御・自己関係するように、それはわずかな時間しか続かない「関係」であるが、それも自己関係化である(36)

 例えば、社会的地位のある銀行家が心中では地位や家族を守るのか、すべてすてて秘書との行為を成就するかは、様々な力への意志が拮抗したに違いないが、何かのきっかけで一つの衝動が優位を占めたとき、銀行家は出奔する。それを「自我」に起因する決断・意志と思い、また、誘惑に打ち勝つ自我という眺望を想定し固定化したがるが、内実は力への意志の拮抗に決着がついたにすぎない。(38)そして、諸力の拮抗、均衡という流動性において、関係の一態様として自己が絶えず生まれは消えながら、家庭を愛した銀行家から恋に生きる男に自己変貌した、というのである。(39)(ここは文章の意味がつかみにくかったので私の解釈がはいっている)。
一九八〇年代ドイツで盛んであった自己関係性にかかわる議論は根源に実体的自我をが想定し、自己を派生的と見ていた点で、実態を錯視している、とする(41)

・・・てなような枠組みをフッサールやポンティ、フーコーにも見いだしていくのである。で、それぞれの思想の解説は見事だ。借りた本だけど、やっぱ買おうかな、と思ったくらいだ。(但し、ドュールズを中途半端に出す必要があったかどうか?)

 しかし、題目の真理論はほとんど展開されていない。

 「象が認識できるのは、そこに象がいるからだ」「そこに象がいるという主張は、そこに象がいるときだけ正しい」という人は象そのものがそれに関する我々の知識や認識と関係なく存在する実体、人間経験をけた絶対的存在がある主張し、人間の立場を超えた、特権的な視点に自ら擬している立場を超越論的実在論と呼んで(42)いるが、そのような主張をする哲学者がいたのかね?てか、因果的知覚論とか、真理の対応説、そして、著者が想定したような論者の説などがごっちゃになっていないか?
 カントともちがうだろし、もちろんヘーゲルでもない・・・・?
 「あなたの家系には宝くじの当たった人はいない」現実に当たる以前にその真偽の決定のしようがなく、一義的に確定できるような全知の神のごとき視点に立つことはできない、(241)ということをたぶん、言いたかったのだと思う。
 しかし、例えば、それを単純に非実在論とくくってフーコーなどと同じ立場におくのも無理があろう。そうした点については、 Searle and Foucault on Truthに詳しい。
 少なくとも、真理の哲学と銘打つなら整合説やプラグマティズム、ハイデカーなどの真理論にもふれてほしかった。なくてもよいが、それなら、対応説についてしっかりとした論述がほしかったところだ。
 それと、真理として通用している命題が権力や力に支えられているということと、それが真理であるか、否かは別問題である。
 また、世界が文化相対的な言語によって切り分けられ、あるいは構築・構成されているということと、文化相対的に言語表現された言明が世界の側のあり方によって真偽が決まる、ということは両立的である。
 別問題ではない、非両立的である、という主張でもよいがそれならそれで、そうした、議論がないと真理論としては、ちと議論がうすべったいような気もする。

 私の不満としては、それと、著者のいう「自我」と「自己」の区別に曖昧さが残るところだ。自己は自我とちがって内容が変貌するとみているようだが、しかし、著者のいう自我も自我としては同一であり、その内容は変化するのである。むしろ、変化する内容の基底が自我なのである。関係としての自己というのはーーーそういえば、精神医学者の木村敏氏なども使っていたがーーーしかし、論理的にはどういうことなのか、その分析が難しいところなのである。まず、普通は、関係性を実体と実体との関係として捉える。そこから、自己関係性といっても実体的自我が実体的自我と関係する、という意味にとられる。しかしながら、元始分割のような図式では全体が分割し、分割されることによって関係が生じ、同時に分割された(すくなくともふたつの)「もの」が生じる。一方の自己は他(方)でもない自己であり、他者との関係で自己規定する。これが一つの解釈である。しかし、銀行家の例などからすると、元始の全体を自己として、とらえ、その自己分割をその(内部での)力の拮抗としてとらえ、それを自己関係として捉えているのかもしれない。そこらへんがどうお考えになっているのかもうすこし詳しい説明をしていただきたかった。
 
 また、「永劫回帰」の思想の解釈は、ちょっといただけない。個人的には永井氏が著書で示した解釈の方が魅力的である。そしておれのような人間には、どの解釈が本当のニーチェに近いか、などということよりもそっちのほうが重要なのである。
 永劫に繰り返されるということは、来世がない、ということであり、それがそうである根拠もなく、また、外からの基準がない故に、単眼的にただ、現在をそのまま肯定するーーー何もすることもなくなった老人かあるいは、無邪気な子どもの認識に近いありかたである。
 
 著者は永井氏の本を紹介しながら「癖がある」、と評するが、しかし、これはもうお二人のタイプが違うからそのように感じるのもしかたがないのであろう。著者は優秀で誠実な伝統的な思想解説者であり、永井氏はどちらかというと哲学の病にかかった哲学者のタイプなのである。

因みに「インターネット無政府主義者」と本書の内容との関係はまったく謎だ。

 
 







限りなく馬鹿なFree Tibet一日本人運動家。

2008年04月27日 01時36分34秒 | Weblog
Japan Probeで出ていたからみてみた。
BBC
五五秒あたりにFree occupied Tibetのプラカードをもった白マスクをしたおにいちゃんがでてくる。ここまではいい。
そのおにいちゃんが、一分一秒あたりに、侵略・尖兵 在日シナ人出て行け!!というプラカードを掲げている。
これではお兄ちゃんだけでなく、他のチベット自由化運動化の意図まで台無しにされる可能性がある。

つまりだ、単なる人種差別主義者で、中国人排外主義者が、中国が困るからチベットを応援しているだけだ、ということになってしまう。

そして、彼が排外しようとしていた中国人にその人種差別的な言動故に武器をとってかえされ、彼の主張は自滅してしまい、西洋人や日本の一般人からもあきれられるのである。

恥ずかしいよ。


まあ、他の運動家たちが純粋な動機からチベットを応援していると信じたい。

こんなことを言わなくてはいけないのが本当に情けない。





てか、有道くん、コメントしようがないんじゃないの?

2008年04月26日 03時34分03秒 | Weblog
Arudou Debito氏のブログでJapan Todayの記事を紹介している。てか、このコメント以前有道君のブログのコメント欄にあったな。
内容はっていうと、シンガポール人が新宿で私服の警官らしき人にパスポートだせ、といわれたさいのいざこざの話なのだが、
Editor’s note: This commentary was submitted by the writer. Japan Today contacted the Shinjuku police but a spokesperson declined to comment on the incident.

新宿署にコメントを求めたが断られたという。
しかし、考えて見れば、シンガポール人本人たちも警察署員かどうかもわからないって言っているし、日本語を理解しないため、その時の現実の会話もよくわからないのに、コメントしようがないんじゃないかね。
いや、別に警察を擁護しようってわけじゃないよ、しかし、どうコメントすべきなのかね。
 私服警官がいるが、不法な活動はしていません、とでも答えるべきなのかね。
それとも、ここで出された質問に答えろ、ってわけかね。
1) Are these police officers authorized to request our passports as they wish?
2) Under what circumstances can these officers exercise this authority?
3) Without any resistance in any way from us, other than just asking why they require our passports and trying to walk to the station control, where we feel safer, are they allowed to use physical restraint?
4) Are these male officers allowed to use physical restraint on females like us? Should they not have waited for a female officer?
5) In such a predominantly tourist area like Shinjuku, where these officers are checking for foreign passports, should they not have received some form of language training so that they can explain why they need to see my passport? I do not believe that expecting them to be achieve a basic level of communication skills in the English language which is spoken in most of the rest of the world is unreasonable in anyway. What kind of training DO these officers receive?
6) What in the world did my friend and I do that warranted the passport check and the physical restraint?


普通の答え

1 警官は任意でパスポートの提示を求めることができる。
2 不審事由があれば職務質問も可能である。
3 仮にそれが本当の警官であったとして、職務質問に必要最低限の物理力の行使は許される。
4 男性警官でもそうしたことは女性に行使できる。ただし、身体検査などには女性警官が執行する。
5 言語能力に関しては、例えば英語が話せることが望ましいことは望ましいだろう。
6 本件で警官が本物かどうかもわからないし、状況がどうだったかもわからないので、本人たちがどのような理由でパスポートの提示を請求されたか知りようもない。

この質問に答えろってJapanTodayさんはたずねたのかね?
ただ、この程度なら大学生でもJapanTodayの編集者でも、あるいは有道君でさえこたえられるんじゃないかい?ーーーなぜ有道君が答えいないのか不思議だがーーーたんに無知なのか、それとも知っていて意地悪して教えないのか??また、事実があやふやな記事で日本を賤しめようとすることがだけが目的なのかいな?すくなくとも解決する姿勢はなかろうーーー単純な回答さえしてあげておらんのだから・・・

 ところで、この記事やもうひとつの記事がデーブスペクターの好意による、とあるが、デーブってあのテレビタレントのデーブかいな?、あいつ裏でなにやってんだ?事実を曲解・歪曲するインチキネタやら、反対説を削除したりするようなやつとグルにならんほうがいいとおもうがな。
 まあ、しかし、友人であるTPRのブロガーもデーブも少なくとも自分の名前では有道君のブログにコメントしていないのようだな。有道君のブログにコメントすると不名誉になって、別名でコメントしているのかな?

 話は飛ぶが、mainichi waiwai, Arudou Debito blog、Japan today は非常にミスリーディングな言論なんだ、ということは広く承知徹底すべきであろう。



「世界の大勢」

2008年04月26日 03時04分53秒 | Weblog
Mozuさんが紹介してたので、図書館に頼んでおいて、さっき読んできた。
日本の外交
この手の日本外交の本は割に良書があって、英語圏では、例えば、Japan Rising:やちょっと最近のものでは、戦争の日本近現代史なども良書であったが、これも良書である。
 要約というのは、mozuさんの読んでいただくとして、
「世界の大勢」というのをどのように当時の日本が読んでいったか、それによってどのように日本の外交が決まっていたか、?
 おおざっぱに言えば、東洋と西洋と対峙という図式の上に、まずは、価値判断なしに、西洋帝国主義との追随、そして協調、その帝国主義的思想の上での、極端なまでの経済的合理主義の追求、その一方で地政学などの影響による世界の争覇戦という積極的リアリズムにも似た世界観の台頭。
 外交と言うことでは、特に理想や原理を持たなず、各々の論者の「世界の大勢」観にあわせたその場しのぎ的なもので、やってしまってからイデオロギー的なこじつけを考えだす。
 後知恵的な観はあるが、最悪の道を突き進んでいった軍部などの戦略のなさは愚策としかいいようがないが、しかし、その一方、幣原田中外交にも問題があった。
1)ワシントン会議参加国が作り上げた新しい国際秩序は必ずしも国際的なもではなく、中国やソ連は現状打破を唱える反帝国主義思想を新しい外交とした。
2)軍部と政府当局の世界の大勢に関する認識のズレ
3)世界恐慌

で、外交政策の決定に関して
国際情勢の認識
国益の定義(経済・軍事・思想)
を著者はあげる。(168)

そしてこの国際情勢の認識というのが難しい。
 日本はやはり技術や歴史などすばらしいものがあるが、しかし、国土や人口からいって米ソ中国などにならぶ大国ーーー少なくとも軍事面でーーになるというのは、無理がある、というのがおいらの認識である。だからして、世界をリードするというより、世界の情勢を見ながら、なかんずく、大国の情勢ーー大国の世界認識、自己認識を見ながら自国の成り行きを決定していくというのは無理からんところがある。
 だからこそ、世界の情勢を見る、ということが非常に重要になっていくる。
 日本が西洋とは異なった独自の思想を世界にぶちまけていけるかというと、非常にさびしい状況にある。人権外交といっても現状の政治家の頭では、特に人権を前面に打ち出す様子もなさそうだし、まあ、せいぜい、「調和」外交とか言えば、現状のその場しのぎ外交をうまく装飾できるのではないか?

 著者は、当時支配的であった西洋と東洋の対峙という図式がそのものが現実にそったものではなかったと批判するが、これについてはおいらも単純に括る傾向があるから気をつけなくてはいかんと思う、ついひきこまえれてしまいそうな図式である。「欧米」と十把一絡げにくくるのは単純だが、それではあまりに単純すぎる。きめ細かな情勢分析が必要な所以である。