財務論(4):正しい借入政策とは?
ベンチャー起業時における資金調達手段で、借入というものは、一昔前まではまったく選択肢に入らなかった。どんなに優れた事業計画であっても、その創業時に金を貸す銀行は皆無であった。
もちろん、社長が個人資産などを十分に持っていて担保を差し出せるのであれば別である。また、社長自身に創業や経営の成功実績がある場合には、その信用で借入が可能かもしれない。それ以外は、ベンチャー創業における借入政策というものは、未成熟のままである。
しかし、最近では多少事情も変わっているようだ。国や自治体などが、手厚い起業支援策を出しており、その結果、政府系金融機関や自治体が、創業資金を貸してくれる。その場合でも社長の個人保証を求められることが一般的であるが、時として、無担保無保証の制度もあるので、いろいろと調べてみるとよい。
私も今回の創業では、創業2ヵ月目にして、国民金融公庫から無担保無保証で1000万円借入れることができた。10数年前の最初の創業時には考えられなかった大変ありがたい制度である。
また、中小企業金融公庫という政府系銀行があるが、ここでは最低でも1度決算をしていない会社には貸せないようである。つまり、創業期には、たとえ社長が個人保証をしても貸せないということ。もちろん、前述したように社長に個人資産が十分にあれば話は別かもしれないが。
創業社長は、中小企業の社長と同様に、この個人保証という日本独特の慣習にかなりプレッシャーを受ける。私も最初の会社では、創業数年後のまだ赤字が続いていたころに、最高1億円近い個人保証をした経験がある。このことは、個人資産がない者であるので、もし事業に失敗したら、自分のみならず家族全員さらには親族までに迷惑を掛ける。このなんとも言えない恐怖感は経験しないと分からないものである。
米国では、「起業は一種のスポーツである」という人もいる。大変、明るい雰囲気がある。それに対して、日本の場合は、悲壮感すら漂ってくる。
もちろん、人様のお金を集めて、それを無駄に使ったり、私利私欲のために使うのは言語道断であるが、新しい事業に真摯に挑戦して、その結果として失敗した場合に、その人の最低生活の基盤まで失わせるというのは、どうなのか。そういう経験をした社長を何人か知っている。
「スポーツ」とは言わないまでも、創業チャレンジにもう少し爽やかな感覚があってもいいのではないか。ただ、ホリエモンのような輩が、盛り上がったベンチャー支援論に冷や水を浴びせたのも事実であり、経営者のモラルハザードとのバランスは難しい問題かもしれない。
かく言う私自身も上場後には、図らずも多数の株主に大きな損失を強いることになってしまった。このことは死ぬまで忘れることのできない忸怩たる思いである。ただ、この重い思いに押しつぶされることなく、自らに与えられた命を生き切ることでしか、償いはできるものではないのではないかと、時として萎える気持ちをふるいたたせている。
(次回に続く)
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