再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

日本のエネルギー政策を考える(9):どうする再生可能エネルギー#1・総論

2011-05-29 09:51:41 | 日本のエネルギー政策を考える!

いよいよというか、今話題のというか、私にとっては20年近く追いかけてきたテーマでもある再生可能エネルギーについて、今回以降何回かにわたって私見を述べたい。

今回の不幸な出来事が、日本の再生可能エネルギー政策について間違いなく追い風となるであろうが、古くからこの普及促進をビジネスとして展開すべきだと主張してきた者としては、今回のことが単なるブームとして終わらないことをまずは期待したい。

日本のエネルギー関連の現状と実情がある程度理解している人であれば、再生可能エネルギーを普及促進していくことが、それほど容易なことでないことが分かっている。

例えば、原発は危険だから、じゃあ再生可能エネルギーにしよう。というような簡単かつ単純な問題ではない。

現状のマスコミ等の論調は、そうした単純図式を煽るようなものが多く、それにつられて国民全体も全体として一定方向に扇動されているのではないか。

単なるポピュリズムで導入普及が進むほど、再生可能エネルギーは単純で甘くはない。

何と言っても、まずは発電コストの問題である。つまり、現時点で再生可能エネルギーを入れれば入れるほど、電力コストに占める発電コストの割合は間違いなく高くなる。

ということは、このコストを何らかの形で誰かが負担することでしか、普及が進まない。こうしたコスト負担論を抜きにした再生可能エネルギー礼賛論が多すぎる。

一方、コストを下げるためには、普及を進めなければならないのも事実であり、このバランスが難しいところである。

1990年代から、再生可能エネルギーの普及政策としては、初期投資への補助金付与というのが一般的であり、今でもこの政策が最も有効なものの一つであることに変わりはない。

また20034月に施行されたRPS法(電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法)は、ある意味日本の再生可能エネルギー普及政策としては、画期的だったと今でも信じている。

だからこそ、誰よりも早くこの政策を活用したビジネスモデルを世に問うという決断もした。

結果として、その挑戦の大失敗は、私自身の経営者としてのリスク管理能力の不足に起因しているが、一方でこの法律の大きな欠陥にも気付かされることとなった。

この画期的と信じた法律の問題は、一口で言えば、前述したような再生可能エネルギーによるコストアップをすべて電力会社の経営努力に委ねたところにある。本来は電気を使用する国民全体での負担にすべきところを、そうしなかったのか、あるいはできなかったのかは定かでないが、いずれにしても一民間企業に過ぎない電力会社に負担させるスキームであったことが最大の欠陥であった。

今、議論されている再生可能エネルギーの全量買取制度では、このコスト増分を電力料金として受益者負担としている。私は個人的にはRPS法の改正によって、コスト負担において国民負担を入れる方が、法律の主旨から、また中長期的な普及促進効果から言っても、優れている政策だといまだに信じている。

RPS法の良いところは、市場機能を活用しつつ、その結果としての導入量をあらかじめ確定できる点である。全量買取では、導入量はなりゆき任せになり、結果として再生可能エネルギーの市場が育たないリスクがある。そうなれば、やはり結果として再生可能エネルギーの発電コストダウンにつながらず、新産業も起こらないことになるのではないか。

民主党政権になって、今まで自民党時代のものとは違った形でやろうということで始まった全量買取であるが、これさえもなかなか決まらないていたらくな現状を見ていると、本当に民主党案でいいのだろうか、おそらく良くないのではないかと最近確信を持つようになってきた。

そもそも原発反対の人間が多くいる民主党に、この国の将来に大きな影響を与えざるを得ないエネルギー政策の見直しを任せてもいいのだろうか。

いや良くない!というのが、今の偽らざる気持ちである。

じゃあ誰が日本のエネルギー政策全体を主導できるのか。そう思うと、はなはだ心もとなく、無力感に襲われるばかりである。なんとかしなくては・・・・・。


日本のエネルギー政策を考える(8):どうする化石燃料#3・天然ガス

2011-05-21 12:09:34 | 日本のエネルギー政策を考える!

想定外というか、図らずもというか、今後のわが国のエネルギー政策上、原子力発電の役割の低下を避けることはできないであろう。

そうなると、その低下分をいかに補填していくか。それが当面のエネルギー政策上、大変大きな課題となる。

もちろん、大幅な省エネや節電は強化していくものの、供給側での解決策として最も確実かつ早期に実現性が高いものは、天然ガスの利用拡大である。おそらくその考え方に大きく異論を唱える者はいないのではないか。

何よりも天然ガスは、温室効果ガスの排出量という視点から言っても、化石燃料中、最も優等生だからである。石炭などに比べると、約4割も排出量が少ない。

ただし、天然ガスも化石燃料である以上は、その埋蔵量に限界があり、価格の変動もさまざまな国際情勢に左右され、その意味で石炭や石油と同じではある。

ただ最近、エネルギー業界関係者の間で急速に注目度が高まっているのが、新しい天然ガスである。「シェールガス」や「炭層ガス」と呼ばれる新型、非在来型の天然ガスは、硬い岩盤層や石炭層に閉じ込められたもので、原油価格の高騰や世界的なエネルギー需要増に対応するために、それらの開発が加速され始めている。

この新型ガスの採れるガス田開発は、米国に端を発し、その後、中国、欧州、インドネシア、オーストラリア、インドなどで、世界各地で急速に進められている。

この新型ガスの総埋蔵量はまだ正確には分かっていないが、従来型ガス以上に膨大な量がありそうだとの大きな期待が高まっている。また、このガスの利点は、その埋蔵地域が、中東などに偏在することなく、あまねく世界にありそうだということ。これはエネルギー安全保障上、極めて重要である。

わが国としても、こうした世界市場でのガス田の開発競争に乗り遅れることなく、自国のエネルギー安定供給のために、新型ガス田の上流権益の確保や輸入源の分散化など、戦略的かつ迅速な意思決定とアクションが求められている。

図らずも起こった原発の不幸を乗り越える意味でも、早期のエネルギー政策の転換とその政策に基づいた具体的な行動計画と予算措置が必要である。

いずれにしても、21世紀の半ば頃までは、天然ガスの上手な確保と利活用によって、低炭素化を維持しつつ、供給サイドの安定化を図っていくことになるであろう。


日本のエネルギー政策を考える(7):どうする化石燃料#2・石油

2011-05-15 10:14:40 | 日本のエネルギー政策を考える!

今回は石油について概観したい。

そもそも石油は、石炭などと異なり、実にさまざまな用途がある便利な資源であるが、その元となる原油は、ほぼ100%が輸入である。

その用途としては、大きくは燃料油と化学用原料として使われるが、2009年度では燃料油が約80%占めている。

燃料油の国内需要は、オイルショック後もある程度一定の水準(2kl)を保ってきたが、2009年度にはその水準を下回り、かつその中の用途構成は大きく変貌を遂げている。

つまり、1973年の第一次オイルショック時における燃料油に占めるガソリン(自動車燃料)の割合は約12%に過ぎないが、2009年度では約30%まで拡大している。

また、発電用や産業用の重油(ABC)については、1973年度で約60%であったものが、2009年度では約15%と減少している。

つまり、国策でもある「脱石油」によって、産業分野や民生・業務分野で石油から石炭・天然ガスへの燃料転換が進展してきたのである。

最近の石油産業固有の問題は、まずはCO2を始めとした温暖化効果ガス削減に寄与しにくいこと、国内需要は減退が著しいこと、そもそも石油産業自体の構造が脆弱であると言われている。

この構造が脆弱であることというのは、実は日本の石油産業発展の歴史にも大いに関連するところであるが、端的に言えば、国内石油産業の「上流」と「下流」が分断されていることである。

つまり、石油精製と石油化学が分断され発展してきたこと、また石油ビジネスと天然ガスビジネスも別物として発展してきたことなどがあげられる。これは元を質せば、1962年の石油業法による国家的な産業統制政策が大きいと言われている。原則論として、国家的な統制により企業の自由な活動は制限され、結果的には企業の自由な発展が阻害されるということは正しい。

いずれにしても、国内の石油関連企業には、世界の市場で互角に戦える石油エネルギー企業が存在せず、このことが日本のエネルギーセキュリティ上も大きな問題となっている。

石油という化石燃料は、その源泉である油田地域が、中東などの地球上の特定地域に偏在している。そもそもそのことが石油における最も大きな問題であり、現在でもわが国はそのリスクからはまったく回避できていない。

所謂、原油輸入量の中東依存度は、1973年度で92%であったものが、80年代中盤では70%程度まで低下したものの、2000年に入ってからは8590%の高水準を維持している。つまり、世界的に政情が極めて不安定な地域や国に、われわれの重要なエネルギー源の元を握られている。日本国民の殺生与奪権が彼らにあるのである。

これからの日本のエネルギー政策として、やはりこの状態を放置することは、エネルギー安全保障上、極めて問題であろう。

少なくとも電気エネルギーを作る燃料としての石油の役割は、非常用のバックアップ電源としてのみ明確に位置づけ、その代替策を積極的に採っていくべきである。

石油業界の方々は、石油の埋蔵量はまだまだある、ピークアウトはまだ相当先であると主張するが、そのことが事実であるかどうかよりも、むしろ日本国民のセキュリティの面において、石油燃料の依存から早期に脱却をしていくべきである。

ただし、石油には備蓄できるという石油独自の特性があり、その特性を活かした重要な役割も残されており、そのためにも有限の石油資源をできるだけ有効かつ大切に使っていきたいものである。

石器時代が終焉したのは、石がなくなったからではない。石油もまったく同じことが言えるのではないだろうか。


日本のエネルギー政策を考える(6):どうする化石燃料#1・石炭

2011-05-08 10:13:10 | 日本のエネルギー政策を考える!

今回から数回にわたり、化石燃料に関するエネルギー政策のあり方、今後どうなるか等について考える。

化石燃料は、主に石炭、石油、天然ガスの3つである。最近では、メタンハイドレートやシェールガスなど、新しい種類の化石燃料の利用も検討が始まっている。

いずれにせよ、化石燃料を燃やすと二酸化炭素(CO2)、窒素酸化物(NOx)、硫黄酸化物(SOx)等、地球温暖化や大気汚染による酸性雨などの環境問題を引き起こす要因となっている。しかしながら、産業革命後に石炭から利用が始まり、19世紀後半からは石油が台頭し、その後、20世紀半ばになり天然ガスも使われるようになってきたが、現在の人類全体の社会経済全体を大きく支えていることも事実であるので、そうやすやすとは化石燃料を使わないという判断もできない。

まずは石炭の現状はどうか。私も古くは中学高校生時代に、SL(蒸気機関車)の熱烈なファンであったが、石炭と言うともう時代遅れの燃料というイメージがある。かつ、あまりクリーンなイメージもなく、むしろ黒煙モクモクというような汚いイメージが一般的かもしれない。

確かに運輸部門や一般家庭での燃料としての石炭の役割はとうに終えているが、産業部門、特に発電においては、まだまだ大きな役割を担っている。

石炭火力発電は世界全体でみると大きな比重があり、すべての電源構成の約40%程度となっている。特に、中国などは石炭換算によって、国の総エネルギー使用量を表示しているぐらい、その大半を石炭火力で賄っている(日本は石油換算)。

日本においては、1975年度には石炭火力は全発電量の4%程度であったものが、2005年には約3,600kW(自家発電を除く)と全発電量の約21%となった。つまり、わが国においては20世紀後半から石炭火力は急速に増加している。

では、石炭火力の最大の問題は何かと言うと、CO2の排出係数が他の化石燃料(976g/kWh)と比較して、最も高いこと。天然ガス火力(519g/kWh)の2倍近い。

だからと言って石炭は悪者かというと、必ずしもそう単純ではなく、経済面や供給安定性を考えると日本のエネルギー政策上も重要視すべきである。

最新の石炭火力では、SOxNOxはしっかりと処理されており、ほとんど煙もでない。また、発電効率も40%以上と高い。

さらに高効率化するために、石炭をガス化して発電するという石炭ガス化複合発電(IGCC)の開発も進んでいる。これだと発電効率を50%近くにできる。

問題はCO2であるが、これもCCSCarbon Capture & Storage)などCO2分離回収・貯留技術が開発されつつある。

CCS技術は、徐々に世界各地に広がっており、北米や欧州、北アフリカで5つの大規模なプロジェクトが進んでいるが、まだ技術的に未成熟な部分もあり、その確実性が議論を呼んではいる。

いずれにしても、今後2030年程度のスパンで見たとき、石炭を地球環境に配慮しつつうまく活用していくことが必要であり、特に、資源のないわが国のエネルギー政策上は、絶対に欠かせない視点である。