再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

FESCO十年の歩みを振返って(10)

2007-07-29 07:50:19 | 連載・FESCO十年

シェアード契約はいかに市民権を獲得したか?                         

FESCOの「外的アウトソーシング戦略」は、まさにESCO事業の基本契約スキームである「シェアード・セイビングス」そのものである。

以前、ファイナンスサービスの項でも言及したが、現在では、「ESCO方式で提案して欲しい」と顧客が言う場合、ファイナンス提案と抱き合わせの「シェアード方式」を希望していることと同義語となった。10年の歳月を経て、「シェアード・スキーム」が市民権を得たと言える。

そうした市民権を得る大きなきっかけとなったのが、実は国のESCO事業への支援策(補助事業)であった。

FESCOを創業して3から4年目のミレニアム(2000年)を迎えた頃であったか、国が省エネの普及・促進のためにESCO事業を活用することを本格的に検討しはじめた。

経済産業省資源エネルギー庁では、省エネ法などの規制を強化しつつ、同時に、省エネインセンティブを高めるために、補助金制度を整備し始めた。しかし、補助金というのは、その補助金で購入する機器やシステムを実際に使う事業者が申請し、認められれば補助金を受領できるというのが通常の考え方であった。

ということは、シェアード契約のように、ESCO事業者が顧客に代わって省エネ機器を導入し、資産保有するというスキームには、そもそも補助金事業に馴染まないことになる。

「シェアード・スキームには補助金が使えない」

当時は、このことがESCO事業普及のネックの一要因となっていた。

ところが、国の英断によって、2001年度事業から、顧客とESCO事業者が共同申請すれば、省エネ資産保有がESCO事業者側であった場合でも、ESCO事業者が補助金を受領できるというように制度改正がなされた。あくまで、共同事業ということであるが、これこそまさにESCO事業の本分のはずではないか。

FESCOは、この制度改正をいち早く取り入れることができ、2001年度にはシェアード方式による補助金活用型ESCO事業を一気に5件も成約することができたのである。

また、その場合の省エネ方策は、主に「コージェネレーション」と呼ばれる自家発電システムであった。それらは投資額がかなり大きく、顧客としてもオフバランスできるシェアード型のメリットを十分に活用できつつ、その上事業費の1/3が補助してもらえるという大変魅力的なものになった。

その後、数年間に亘り、FESCOとしては、25件近く補助金活用型のオンサイトコージェネESCO事業を獲得し、業容拡大の大きな契機となったのである。

同時に、他のESCO事業者も、このスキームの恩恵を受け、こうして「シェアード・セイビングス契約」が市民権を得ることとなったのである。


FESCO十年の歩みを振返って(9)

2007-07-22 07:44:31 | 連載・FESCO十年

外的アウトソーシング戦略は何を目指したか?                               

FESCO創業時の第三の基本戦略である「アウトソーシング戦略」には、「内的」と「外的」の両面があった。

「内的アウトソーシング」とは、まさに人事戦略面の柔軟性であることは、前回詳述したので、今回は「外的アウトソーシング」について述べる。

実は、この戦略こそFESCO事業の最大のテーマであった。

97年当時のわが国の経済情勢は、バブル崩壊の後遺症に苦しみながら、極めて厳しいなかにあった。そうした状況下で企業経営者は、従来型の経営スタイルの抜本的な改革が求められ、特に、「会社は誰のもの」というような本質的な議論が出始めたころでもあった。

「株主のために会社の価値をいかに高めるかが、経営トップに求められている」

今でこそあまり違和感のないこの議論に、当時は、優良大企業の経営者であろうとも、その真意を理解できた人は少なかったのかもしれない。そうした状況下であった。

「資産圧縮によるROAROEの向上は、企業にとって、勝ち組になるための常套手段である」 

そのような大きな経営改革の流れの中で、「ユーティリティのアウトソーシング」という言葉も聞かれるようになってきたい。

顧客の保有する設備機器や設備システム一式のアウトソーシングにより、顧客は本業に専念すべきである。ESCO事業者がまさに「ユーティリティのアウトソーサー」として、企業経営の効率化の一助となるのではないか。

「初期投資ゼロで省エネによって削減したコストから投資回収ができる」というESCO事業の「シェアード・セイビングス契約」は、まさにこのアウトソーサーを標榜したものであり、時代の要請にマッチしたものであった。

しかしながら現実は、創業から数年間、なかなかこの「シェアード契約」の普及が進まなかった。

「考え方はおもしろいが、過去にやったことがないので、社内説明が難しい」

日本企業独特の保守的な実績主義がネックとなった。また、新しいアイデアというものは、通常このような扱い方を受けるものである。

ただし、そのアイデアが本物であれば、一度トンネルを抜けると一気に加速することもある。その傾向も日本社会の特徴かもしれない。

「何かきっかけがあれば、シェアード契約が一気に拡大するのではないか」

営業現場での顧客説得に苦しみながらも、心のどこかでブレークする予感があった。それは信念にも似た感覚であった。

「ESCOのシェアード・セイビングス契約は、今の日本企業の経営効率化に絶対必要であり、必ず普及拡大する。いや、そうなるべきである」

このブレークスルーのきっかけをもたらしたのは、実は国の政策的な支援であったのだが、そのことについては、次回に述べる。


FESCO十年の歩みを振返って(8)

2007-07-15 06:55:39 | 連載・FESCO十年

アウトソーシング戦略はどのように機能したか?                             

FESCO創業時の第三の基本戦略は、「アウトソーシング戦略」であった。

私はFESCOという実際の事業会社の設立を通して、「究極のアウトソーシング」を追求したいと考えた。

1997年当時のわが国産業界には、バブル経済の崩壊体験をなんとか潜り抜ける中で長年の「自前主義」からの脱却が試みられ、相当程度アウトソーシングという経営手法が浸透してきたところでもあった。

とはいうものの、現在から振返れば、特に雇用形態などの多様性については、まだまだ萌芽期であった。

FESCOのアウトソーシングには、「内的」と「外的」の二つの側面からアプローチした。

「内的アウトソーシング」とは、まさに人事戦略において、できるだけ自由な雇用形態を許容するというもの。バーチャル組織に相応しい人材のネットワークづくりに注力した。

ESCO事業は「知恵のビジネス」であるというのが、私の信念であり、そのためにも知恵を持った人材をいかに確保できるかが、直截的に事業の成否を決める。

では省エネの深い知恵を持った人はどういう人達か?やはり、ほんものの知恵は、現場でのエネルギー管理との悪戦苦闘を通じてしか得られるものではない。書籍や論文から得た理論だけでは、実際の現場では役に立たない。

また、技術者の特徴として、それぞれの得意技術分野が限定されていることが通常であり、すべての技術に長けたスーパーエンジニアはほとんど居ない。

したがって、ある技術領域のプロとの付き合い方は、個別プロジェクト毎に異なることにならざるを得ない。企業経営的な命題として、こうした技術者の活用とビジネスとして利益を確保することとは、ある種の二律背反的な課題であり経費効率化との闘いになる。

そこで考案したのが、PPNという制度である。PPNとは、Performance Partner Networkの略。つまり、個人と会社が対等の契約によって、個人の能力を必要な時に合意した条件で活用できるようにすること。

FESCOの社員として雇用という形を採るのではなく、FESCOの人材ネットワークに入ってもらう。例えば、一度企業を引退したシニア層などは、真っ先にPPNの対象になる。また、別の企業に雇用されていても、プロジェクトベースでFESCOのために活動できるように、その企業と交渉する。

団塊の世代の引退が始まった今日こそ、PPN制度の本格的活用の時期が来たのかもしれない。

創業後10年が経過して、さまざまな技術者とのネットワークができた。これはFESCOの大きな財産である。問題は、PPN制度の運用であり、人と人との結び付きは、単なる契約で縛れるものではなく、最後は個人と個人の心意気である。

私自身としては、会社の拡大と共に、そうした木目の細かい個別技術者とのお付き合いが疎かになってきたと反省している。

省エネ機運が高まってきた今日にこそ、過去の反省を踏まえつつ、再度、新PPN制度を立ち上げたいものだと考えている。

「外的アウトソーシング」については、次回に詳述する。


省エネ部会政策小委員会が始まりました!

2007-07-14 06:29:01 | ニュース

昨日7月13日に政府の「総合資源エネルギー調査会省エネルギー部会」の下部委員会として、「省エネ政策小委員会」が設置され、その第一回会合がありました。今後、年内を目処に、月一回ペースで集まり、答申を出すことになっている。

その目的は、2008年度から始まる京都議定書約束期間に向けて、その目標達成計画の強化・見直しをするため、省エネ対策をより一層拡充するために、省エネの現場を理解した委員を集めて検討を行うことである。

私も省エネをビジネスにするというESCO事業者を代表して、末席に汚すことになりました。

今後の議論の方向性は、①製造業等産業部門、②オフィス、商業、サービス等業務部門、③家庭・住宅部門において、さまざまな形での省エネ規制強化になるであろう。

特に、今まで省エネ法の枠外の業種や規模の小さい事業所や経団連自主行動計画の枠外の業界に対しては、何らかの形で省エネ規制が課せられることになるであろう。また、そうするべきだと思う。

また、各企業や事業所レベルでのエネルギーの管理手法についても、より精緻かつ客観的な水準が要求されるであろう。

こうした国の動きをいち早く察知して、企業経営者は先手を打って省エネ対策を打っていくことが、ひいては自らの体力強化につながることになると思う。

いよいよ「環境経営」という考え方が、単に大企業向けのお題目的なものではなく、あらゆる企業経営全般の主要な経営課題になってきたと実感している。

本委員会は公開で開催され、その議論の内容については、資源エネルギー庁のHPで議事録や配布資料等が逐次公開されていくが、私もそのエッセンスについて、今後、本ブログで報告していきたい。


FESCO十年の歩みを振返って(7)

2007-07-08 05:59:13 | 連載・FESCO十年

スマートネットという思想                                 

FESCO創業時の第二の基本戦略である「バーチャル・コーポレーション戦略」をいかに機能させるか?

固定的な事務所を保有せず、ネット上に存在するまさに「バーチャルな会社形態(仮想企業体)」をと言葉にするのは容易であるが、実際問題として、これをどのように日常の会社経営の中で実現していくか?

この点はコンソーシアム時代から、結構悩みながら考え続けたテーマであった。

「複数企業の人間が、一つの場所に集まらず、いかに効率的・効果的に情報交換をおこない、それぞれの知識と知恵を共有しつつ、一つの会社組織として顧客が満足してくれるサービスを提供していくか?」

この運用を誤れば、複数企業であることがむしろマイナスとなり、高コスト体質の組織に成り下がる。

「インターネットによるIT革命始まりの予感」

1997年創業当時は、95年の「ウィンドウズ95」の市場デビューに象徴されるように、IT技術の潜在力の大きさに世の中が気づき始めた時代。

私自身がコンピュータを始めとしたITリテラシーが高かったのかというと、まったく逆で、米国でのアップル・マッキントッシュの「可愛らしさ」との出会いで、やっとコンピュータを使えた程度であった。当時は、まだ「初歩的なマックファン」の一人であり、マックしか使えなかった。

しかし、所属していた日本総研という情報システム会社には、当然のことながら、ITおたく的な優れた人材には事欠かず、彼らからの日常の刺激が、IT音痴の私がITの無限の可能性に目覚めさせてくれた。

「スマートネット」という発想は、そんな私が命名したFESCOの「バーチャル・コーポレーション戦略」を支える情報システムのコンセプトである。

私は今でもITシステムの開発というのは、徹底的にユーザー側に立つことが不可欠だと思っている。つまり、IT技術の素人の方がむしろ新しいシステム開発には必須であるということだ。

「あれもしたい、これもしたい!」

「こんなことできないの?」

「もっと簡単にできないの?」

「これじゃ使えないよ!」などなど。

こうした素人的ユーザーの生の声をシステムエンジニアに投げつけることが、彼らの開発魂を掻き立てる。日本総研の開発メンバーには、随分生意気で扱い難い顧客だったと思う。

ただやはり、今から思うと当時のITインフラ環境は、私の要求に対してあまりにもプリミティブであった。

「スマートネット」が、本当の「スマート」になれるのは、「Web2・0時代」の到来を迎えたこれからが本番なのではないかと思っている。