再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

負担増の喧伝に惑わされていないか?

2012-06-30 10:02:25 | コラム
最近の政治状況には、心底辟易としている。またもや新党だ、第三極だとか、目先を変えた政治家諸氏の動きには、もう騙されないぞ。

マスコミも消費税増税等による国民の負担増を煽るばかりで、本当に今の日本国が置かれている問題を真正面から捉えようとしない。

これから少子高齢化が急速に進む国において、世代間の負担感と不公平感は、大きくなるばかりであり、消費税増税等の負担増は、遅かれ早かれある意味当たり前のことではないのか。

「まず先にやることがある」などという先延ばしと明らかな選挙対策向けの政治家の常套句には、国民を愚弄する腹立たしささえ覚える。

一方、誰でも増税のような負担増の話など、うれしいはずはなく、そうした大衆心理につけ込もうという浅はかな政治家根性にも、心底あきれかえっている。

今、この国に最も大切なことは、少子化による労働人口の減少問題と高齢化による社会的な扶養負担の増大問題への早急な対応である。

もうこれ以上先送りはできないのではないか。このことは誰も総論では分かっているはずだ。

マニフェストに書いてあるかなかったかというような枝葉末節の議論ではなく、もっと問題の本質に正対し、地道かつ大胆に社会の仕組みを変革していくしかない。

労働人口の減少には、まずは女性の参加を今まで以上に促すこと以外にないと思う。そのためには、子育てと両立しやすくなるようなさまざまな仕組みや仕掛けが絶対に不可欠である。このことも分かっているが、なかなか有効な手を打てていない。

また、企業経営や起業などにも、もっと女性の参画を促していくべきであろう。最近の女性ビジネスパーソンには、それに値する方も多数いるように実感している。

高齢化の問題は、年齢のみで一律に人を判断するのではなく、あくまで健康状態と気持ちの問題を基本とすべきではないか。

例えば、60歳定年などは、まったく実情と合っていない。健康で働く意欲と能力のある方には、もっとそうできる場を提供していくべきであろうし、社会保障制度もそれに合わせていく必要がある。

年金などは、元気で働け、ある一定以上の安定収入があれば、もらえない制度とすべきである。年金等を当てにせず、健康である以上は働き続けたいという人は、今後、もっともっと増えてくると思う。

一方でさまざまな社会的な弱者に対しては、必要最低限の保護とサポートをしっかりしていく必要があるだろう。

つまり、負担増による将来への危機感を煽るのではなく、負担増を上回るような収入増への期待感を持たせるような明るい社会づくりを目指すべきなのではないか。

国からの支援やサポートのみに頼るのではなく、自らの知恵と力で自立した人生を歩み、人生を全うする。そして、運悪くそのようにできない人達を社会全体として支え合っていく。そのための負担には、元気な者が快く応じる。

もっと明るく健康的で、前向きな社会の実現に向けて、それぞれの世代がそれぞれの役割と義務を果たしていく。

そうした社会こそが、少子高齢化の急速に進む日本国の将来ビジョンになるのではないか。

まずは微力ながら自分自身も、その実現に向けた小さくても確実かつ具体的な活動をしていきたいと思っている。



エネルギー・環境戦略の国民的議論をどう進めるか?

2012-06-24 09:01:08 | コラム
昨年の6月に新しい国のエネルギー・環境政策を決めるべく、「エネルギー・環境会議」なるものが内閣官房・国家戦略室が事務局となり設置された。

それから丸1年が経過して、今週中にもやっとのことで新しいエネルギー・環境戦略の「選択肢」が提示されるようである。

当初の予定では、この選択肢なるものは、今年の春頃に出されることになっていたが、すでに初夏どころか梅雨時真っ最中と2ヶ月程度の遅れとなっている。

このスピード感のなさに、この国の大きな病巣があるように思うが、それはさておき。

この選択肢は、いくつ出てくるか、またどの程度のものが出てくるのか分からないが、これらは最終的な政府決定の前の「国民的議論」というプロセスのためにある。いつものような形骸化したものでないことを祈りたいが、果たしてどうなるか。

そして、その国民的議論の結果として、これも当初予定では今年の夏までには、国としての「革新的エネルギー・環境戦略」を正式決定する段取りとなっている。

昨日の某セミナーにて、この約1年間多数の有識者による前述の「選択肢」作成のための議論のプロセスと概要を聞いた。確かに、さまざまな立場のそれ相応な立派な方々が、膨大な時間を費やして議論した結果であることは理解できた。

しかし、こうした膨大な労力をベースとした選択肢なるものをこれから国民に分かりやすく説明しようとすればするほど、問題の本質に迫るのではなく表層だけしか取り扱えず、なかなか深い議論にはとても到達できそうもないのではないか。

そもそも革新的な戦略立案するためには、エネルギーの受給問題、原子力を含めた電源構成問題、地球温暖化問題、経済成長や産業構造問題などなど、実に多種多様な利害調整や利益相反を克服すべき諸問題が複雑に絡み合っており、またそれぞれに既得権者や反対者が多数おり、こうした中での落とし所(選択肢)を定めるのは並大抵のことではない。

さらに、こうした背景も前提も過程も知識もあまりない国民が、果たして国民的というような総括的な深い議論ができようか。それも1、2ヶ月という短期間で。

では、果たして誰が責任を持って、この国の将来を決める大事な意思決定をしていくのかというと、今の政府や政治家の在り方では、とても無理なのではないかと諦めが先に立つ。

少なくとも選択肢を真剣に議論をして、政府に答申いただいた有識者には、この選択肢についての結果に対する責任感はあまりないだろう。

有識者というのは、大体そうしたものである。

彼らが言うのは、最後は政治や政治家が決めるものだからというのが常套句になるのだろう。しかし、今の政治家諸氏に、いったどのくらいこの問題を重大かつ深刻な国家課題として捉えてくれていると信じて良いのだろうか。

今の国会の様を見ていると、本当に心もとない、というよりも、無力感に襲われる。

結局は両極端ではない、中庸的な結論でお茶を濁すことになるのであろうが、本当にそれでこの国の将来を託せる「革新的エネルギー・環境戦略」となるのであろうか。

当たり障りのない戦略で、果たして厳しい国際競争に勝てるのだろうか。勝てなくても良いのではないかと思っている人も決して少なくないよに思うが。

いずれにしても、こうして市井の片隅で嘆いてばかりいても何も始まらない。

要はこうした現実が今の日本国であることを真正面から受け入れて、その上で自分自身が何を主張し、具体的に何ができるか、そして自分が信じたことを実行に移すため前に進むしかない。

政治や政治家が悪いなどと他責の念に駆られることで、結局自分は何もしないことの言い訳だけはしないようにしたい。

覚悟と実行、そして自立。

これが混迷の時代に求められる生き方であると信じている。



挫折は生きるエネルギー源

2012-06-16 11:07:53 | チャット
自分自身が全身全霊を込めてやったことが、さまざまな理由で失敗した時、それこそ大きな挫折と呼んでいいだろう。

私のような弱い人間は、当初、その失敗の要因を自分以外に求める誘惑に駆られたものだ。

あのように失敗したのは、社会・経済環境の悪化の所為であり、心ない人々の仕業であり、あるいはたまたま運が悪かっただけであり、と他責の念に駆られていた。ほとんど自分自身と正対することを避けていた。

時として、深く傷ついた心を癒すために、他人を強く憎んだりもした。

しかし、時を経るに従い、いつしかそうした怨念にも似た想念がいかにも自分勝手な独りよがりな思いであることに気づいてくる。

冷静な気持ちで自分自身の心の内を深く見つめることができるようになると、実は失敗のすべての原因が、自分の非弱さであり、未熟さであり、無知さであることが見えてくる。

だからこそ、あの時の自分を客観的に見つめると、思わず罵り、嘲りたくなり、砂を噛むような気持ちが沸き上がり、胸の内が一杯になる。

そのような挫折の苦く辛く悔しい経験は、5年以上が経って今でも、なぜか時々鮮明に蘇ってくる。そして、それらは大きな固まりとなって腹の奥底に沈殿している。

その固まりから、身体の奥底で青白く燃える一筋の炎が立ち上がっている。その炎は、一見激しいものではない。むしろ、見た目は冷たくさえ感じられるような、実は超高温の炎なのである。

人生の成否は、死を迎える瞬間にこそ分かる!

その覚悟を持って、その瞬間までは、誰にも見せることも見えることもない炎を燃やしつづける。

実は、あの挫折こそ、私のその後を生き続ける最大かつ唯一のエネルギー源となったのだ。そう前向きに思えるように、やっとなったということか。

ただ未だ乗り越えてはいない。

それは人生最後の瞬間で良いと思い定める。



営業はアートなり

2012-06-10 10:02:59 | チャット
先週1週間は、久しぶりに関西方面の営業活動に注力した。

以前から感じていることではあるが、新しいことを営業としてご案内する場合に、東方面よりも西方面のお客様の方が、反応が良い。これは決してデータなどはないが、私の長年の体感とでも言おうか。

特に、創業間もない弱小ベンチャー企業の営業マンがひょっこりやって来ても、西方面のお客様は、それなりに話を聞いていただける確率も高く、原則あたらしもの好きである。

そして、さらに成約までの確率が上がるのは、そこに紹介者などの人脈がある場合である。西方面のお客様は、人と人のつながりを重視するというか、相手の顔を立てるというか、そうした人情味の機微が営業の成否を決めることが多いような気がする。これもデータはないが。

そして、最後に、

「よっしゃ!いっぺん、あんたにやらしたげるけど、ぎょうさんまけといてや!」とくる。

金には厳しい、つまり基本ドケチであるものの、このような温かい言葉は、実績のあまりないベンチャー企業の営業マンには、「よっしゃ、やったろ!」という気にさせる大変ありがたいものである。

思えば、大阪や京都には、京セラ、日本電産、村田製作所、立石電機(オムロン)などなど、創業者一代で世界的な大企業まで成長した企業が多い。

こうした企業を育てることができたのも、西の方面のお客様の魂であったのではないだろうか。

営業は何度やっても難しく、厳しくそして楽しい。いつも新鮮な出会いと気づきに溢れている。

二度と同じことを繰り返すことのない一回生の美学。人の生き様にもつながるものがある。

やはり営業はアートである。そして、人生も一度しかない。




社長冥利

2012-06-02 10:38:26 | チャット
昨日6月1日は、当社第5期(2012年8月期)の第4四半期の初日を新本社で迎えました。

そして、夕方から社員や協力会社の皆さんと一緒に、新本社開所パーティを行いました。

そこで何とサプライズが・・・!

ビジネスマン人生も32年と長きに亘りますが、職場で自分の誕生日を祝ってもらったのは、実は初めての経験です。

一昨日の5月31日が56回目の誕生日でしたので、一日遅れではありますが、パーティ参加の皆さんが「Happy Birthday to You!」と合唱いただき、用意された立派なケーキのろうそくの火を消すという照れくさい儀式をすることとなりました。

びっくりするやら、恥ずかしいやら、照れくさいやらで、さらに酔いも手伝って、気が動転し、すっかり舞い上がってしまいました。

皆さん、本当にありがとう!

たぶん、昨日は動揺のあまり、ちゃんとした御礼もできなかったと思いますが、何卒お許しください。

私は本当に社長冥利に尽きる幸せ者だと、二日酔いの頭痛の朝を迎えて、あらためて感じております。

また、来週からは8月決算に向けた厳しいビジネスの現実が始まりますが、皆さんと、そしてそのご家族や友人ともども、一緒にHappyになりましょう!

今後とも、至らぬ社長をよろしくお願いします。

PS:会社のfacebookページを作り始めました。まだ手探り状態のものでレベルが低いですが、これからも1ページ1ページをしっかりと刻んでいきたいと思っております。ぜひ、一度ご覧あれ。