再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

カーボン総量規制の陥穽

2009-10-31 10:26:53 | コラム

CO2排出量取引や温暖化対策税など、新政権になり、積極的な地球温暖化対策が打ち出されようとしている。

これらの政策が今後の産業界や個別企業のビジネスにどのように影響するのか?それぞれに悲喜こもごもの状態ではないだろうか。

その中で確実に言えることがある。

それはCO2排出量が「総量」で管理・規制されるということである。

今でも国の省エネ法は、総量規制ではなく、「原単位」規制であるが、この壁を東京都が一挙に飛び越えた。都の規制は、明確な「総量規制」である。

この総量規制が今後の主流になることには間違いない。また、世界的な流れからも、日本だけが逃れることもできない。

では、総量規制になると何がどう変わるか?

まずCO2排出量の増減が景気の動向と正の連関を示すことになる。つまり、景気が良くなれば、当然排出量は増加する。逆に、不景気になれば、何もしなくても減産によるCO2排出量は減少する。

今までの原単位では、このまったく逆のことが起こっていた。したがって、世界的な不景気の中で、大半の製造業はかなり原単位が悪化しているはずだ。同時に、総量では相当減少しており、90年比の大幅削減も現実味を帯びてくる。

経済不況のおかげでCO2削減義務を果たせたというのは、産業界においてまったくうれしい話ではない。業績もアップしながら、CO2も削減できるという両立モデルを追求したいものだ。

また、総量規制のもう一つのポイントがある。それは排出枠があらかじめ与えられるということが何を意味するか。そこで規制の年限が決まっている以上は、早く手を付けた者が得をすることになる。つまり、様子見をすることは損をすることになる。

この点に気づいていない人が多いのではないかと危惧する。問題先送りは、後で最も大きな付けを払わせられることになることを理解すべきである。

結論として、総量規制の低炭素社会では、いち早くCO2削減行動を起こしつつ、同時に景気を良くしながら、さらにCO2総量を抑制する。

この循環モデルを実現できるような産業構造こそが、低炭素社会に求められるものになるのである。

総量規制の陥穽に落ち込むことも、仮に落ちてもそこに留まることなく、今こそ大胆な行動に移す時なのである。

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一週間毎の活動総括と反省

2009-10-24 08:56:36 | チャット

一週間でどれだけ進歩できるか。会社と個人レベルの両方で、たとえ1ミリでも前に進みたい。

時として、思惑が大きく外れ、1メートル後退したとしても、なんとか1メートルと1ミリ前に進めて挽回を期す。そして、何よりも大切なことは、ちゃんと成果が出ていること。自己満足ではない、実体のある結果が出ているかどうか。

ここ数年の土曜日という一日は、今週一週間の活動総括と反省の時としている。

形ある結果とは、会社の営業活動で言えば受注である。個人の成長では、たとえ小さなことでも、新しいことに挑んだかどうか。

その意味では、今週はとても前に進めたとは言えない。思慮と戦略と意欲と熱意がすべて不足していた。

ただこうした反省も今日一日で気持ちを切り替え、明日からはまた新しい一週間に立ち向かう。そのために来週のスケジュールを見ながら、目標を立て準備する。

この一年52週間の地道な積み重ねにより、一年毎の成長につながり、十年の大計に近づくことを信じて。


地球がひとつだと感じられるとき

2009-10-17 09:46:35 | チャット

江戸時代の末期に黒船来航によって、今の日本国に物理的に住んでいた人々は、自分たちが日本というひとつの国の民であることの重要性と必要性を感得した。

それまでは会津人であり、尾張人であり、薩摩人であったように、そこには日本国という概念が欠落していた。

これは外圧による大きなパラダイム転換であり、世界のどこにでも見られる人類の成長過程そのものである。

同じように考えると、世界に100カ国以上ある現在のこの地球は、江戸時代状態と見なせるのではないか。

では、イギリス人であり、アメリカ人であり、ロシア人であり、日本人であるわれわれが、その概念を超克し、われわれは地球人だと感じるときが来るのだろうか。そのためには、どんな黒船が必要なのであろうか。

その意味で21世紀になって顕在化した地球温暖化問題は、まさにこの「黒船」の一つになるのかもしれない。

世界のさまざまな利害をもった人々が、地球人としての節度とふるまいの必要性を意識し始めることが、地球温暖化問題の解決に向けた大きな一歩になる。

その必要性を痛感する前に、解決に向けた大きなパラダイム転換をしなければならない。なぜなら、この種の問題は「後悔は先に立たない」からである。

一日も早く誰もが「地球はひとつだと感じられるとき」が来ることを期待したい。


オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞!

2009-10-11 12:32:44 | ニュース

先週末、オバマ大統領が「ノーベル平和賞」を受賞という驚きのニュースが流れた。

まだ大統領に就任して9カ月足らず。本人の受託スピーチにもあるように、実績を評価されたのではなく、今後の「核のない世界」に向けたリーダーシップを期待してのこと。

確かに彼のプラハでの演説は、極めて当たり前のことを言っているが、そのことを米国の大統領が全世界に発したということが意味と意義があるのだろう。

「核兵器を唯一使用した国としての道義的責任」を口にしたが、米国がこのように謙虚な姿勢にならない限り、世界平和など夢のまた夢である。そのことは、前大統領が証明してみせたではないか。

「何を言うかではなく、誰が言うか」

常識的で当たり前のことを真のリーダーたる立場の人間が言うからこそ、世界は動くのである。

同様に、地球温暖化問題もこの核の問題とまったく同じ構造を持っている。世界の温暖化問題を引っ張るリーダーが必要である。

故に日本の総理大臣が国連で発した言葉は大変大きな意味があろう。

地球上の人類の持続可能性を高めることは、すべての人の願いである。そのためには、核兵器などに頼らない、気候変動もない、貧困も災害もない、明るい未来を創っていく必要がある。

なにせ地球はほんとうに小さな一つの惑星に過ぎないのだから。


政権交代とは一体なんだ?

2009-10-06 23:02:40 | コラム

一度、決めたことを納得いく理由もなく覆されることは、誰しも実に腹立たしいものである。

今回の前政権の補正予算に対する民主党の対応は、まさに「はしごはずし」の極みである。

景気対策として出された補正予算に対して、民間企業としては、その要請に応えるべく、いろいろと知恵と汗をかき、案件獲得に努力してきた。やってその事業への申請をして、事業執行を期待していたら、今回の政権交代である。

補正予算から無駄を発掘して、その執行を停止する。

その基本思想はよしとしよう。ただし、その宣言によって、ほとんどの無駄ではなく、有効な事業までがすべてストップしていることを新政権はどう考えているのか。

10%の無駄をカットするために、残りの90%の有効な事業に遅延を余儀なくする。これが政権交代なのか?一生懸命、やってきた民間企業の努力は、一体どう評価されているのか?

何十年と続いたダム事業を止めるのと、短期的な補正予算の執行を止めるのとは、まったく次元が違うのではないか。

前政権がいったん決めた補正予算などは、基本的には滞りなく執行すべきではないか。新政権がその真価を発揮すべきは、今後の本予算であるべきである。

こんな新政権の対応では、景気もますます落ち込むのではないかと心配になる。

今後のこともあり、ぜひとも主張しておきたいのは、政権交代時にあっては、少なくとも前政権の予算措置に対しては、ある程度の節度を持って守られるという法規制が必要なのではないか。

そうしないと、国を信じることができなくなり、ひいては日本国の産業界において、大きなマイナス要因となると思う。

民主党よ!産業があっての国力であり、産業政策を誤ると政権維持は難しいと思う。この政権には、新産業を育成できるだけの知見はないのではないかと、憤りさえ覚える今日この頃である。