再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

TPP論議に思う!

2011-10-29 09:36:15 | チャット
江戸時代の末期に、黒船が来て、この国は長い鎖国時代から開国に向かいました。

時の政府は、江戸徳川幕府。果たして、黒船の要求を飲むか飲まざるか、てんてこ舞いであったようだ。

一方、その時に何かしらの志ある民はと言えば、攘夷か開国かで国論は二分したとか。

それから150年以上が経過した現在から見ると、こうした議論のなんと滑稽なことか。その時にすでにあった大きな世界の流れから見れば議論の立て方自体が稚拙で幼稚ではないか。

さて、今の日本国において、TPP交渉に参加するか、どうするかが、まさに政府の中では二分して議論されている。

この議論自体が、江戸末期の状態と同一視できるかどうか。そんな単純な構造ではないのかもしれない。ただ、この国は大きく変わらなければならないことだけは確かではないか。

その意味では、長い鎖国状態にあった江戸末期と同じとも言える。

では、どう変わるか?

こうした国家ビジョンを今の政治家に求めても、所詮無理であろう。ましてや、そうした政治家を選び、かつ、いつしかハングリー精神を失ってしまったかに見えるわれわれ国民レベルでは、こんな大きなビジョンを描き切ることは不可能であろう。

温泉気分のわれわれが目覚めるのは、再度、黒船ショックを受けるしかないのではないか。

TPPでも、なんでも、大きな世界の流れに任せ、すべてを一旦受け入れる。そして、その結果に必死で対処する。日本人はそういう時にこそ、力を発揮できる人種である。

そんな開き直りの戦略しか、今のこの国への効果的な処方箋はないのではないか。特に、最近そう確信している。



ベトナム初訪問

2011-10-16 12:03:36 | チャット
先週の3連休明けの11日から14日まで、生まれた初めて、ベトナム国に行ってきました。首都のハノイで1泊、ホーチミンで2泊という駆け足の出張でしたが、親日的な新興国の一角であるベトナムを肌で感じることができたことは、とても貴重な体験でした。

ベトナムと聞けば、われわれ1950年代生まれの人間は、間違いなくベトナム戦争を思い出します。

1945年の太平洋戦争による日本の敗戦後、アジア、アフリカ地域での民族独立運動は、戦勝国である連合国に対峙する形で始まった。その中には、共産主義化への動きも急速に加速された。

ベトナムでも同様であり、一つの民族が連合国側と共産化とに分裂し、そこに米国を主体とした連合国側が介入していくという図式が展開された。

1960年頃から始まったベトナム戦争は、1975年の南ベトナムの首都であったサイゴン陥落により終結するまで、実に15年の長い年月にわたり、民族間の争いと、米国と北ベトナム(共産党側)との争いが続いた。

私が大学に入ったのは、1975年4月であり、ちょうどサイゴン陥落が4月30日、サイゴンがホーチミン市と改名し、南北統一がなされたのが5月なので、まさにクライマックスの瞬間だったのである。

そのあたりの国際社会の緊張や緊迫した状況をあまり感じることもなく、親の庇護の下に呑気な学生として学生生活を始めたことを、今さらながら赤面の思いである。

現在、大学生である息子や娘を見る目を自らに置き換えて、見直さねばとも感じている次第です。

それから35年あまりが経過。

ベトナムには、少なくとも表面的にはそんな戦争の傷跡は皆無であり、人々は活力一杯で高度成長を目指している様子。

今日よりも明日は良くなる。そう信じている人は、9割を超えるそうです。

ただし、ハノイもホーチミンも大都会であるものの、決してインフラが整っているとは言えず、全てがまだまだこれからである。

また、バイクの多さとマナーの悪さには、アジアの都会での特有ではあるものの、改善の余地が多々ある。

一方で日本が高度成長から安定成長まで辿った30年ほどの道のりをこらからの5年10年の短期間で達成しようという気概も垣間見える。今後、おそらくさまざまな成長の歪みも今以上に表面化するでしょうが、それらをすべて飲み込み、前に進むだけのエネルギーは膨大なものがありそうです。

エネルギー問題なども、まさにその一角。

先の見えない日本としては、やはりベトナムのような国の成長を支援しつつ、そこに居る人々の幸せを達成していく手助けをすることが、ひいては自らの国の成長にもつながるのだと思わざるを得ない。

闘わなくなった日本人。

出張直前に聞いた建築家の安藤忠雄氏の講演とも相まって、もう一度、自分自身を見直すとても貴重な契機となりました。



S.ジョブズの死去を悼む!

2011-10-08 10:01:40 | ニュース
10月6日(木)午前中。私がネットのニュースにて、彼の死を知った時。その日は、午後にある古くから関わりのあった会合での講演を頼まれていた日であった。

すでに講演データは、10日ほど前に事務局には送ってあったのであるが、その中に、講演の最後でぜひとも今の自分の気持ちを訴えたかったフレーズを入れていた。

Stay Hungry! Stay Foolish!

私は今の日本人全員がこの言葉通りに、自らの生き方を見直す時だと訴えたかった。

1945年の終戦で、すべてを失った私たちの先輩諸氏は、驚異的な精神力と根性で、実に短期間ですばらしい国へと復興を果たした。世界で一番安全、安心、そして豊かな国へ。

彼らのその驚異的なエネルギーの根底には、幾多の戦禍に犠牲となった多くの人々への鎮魂の思いがあったのであろう。

今の現役世代のほとんどは、こうした先人の遺産を食いつぶしながら、なんとか生きながらえているだけではないのか。このままでは、未来の日本人に引き継ぐものは、負の遺産だけになるのではないか。

最近のさまざまな情勢を見るに、本当にそう感じざるを得ない。

ただし、単に悲観的かつシニカルな姿勢ではなく、もっと健全なる危機感を抱きながら、一人一人がたとえ小さくとも自分自身の役目を知り、そして懸命に果たしていくべきだと感じている。

そのためには、現状に安住し、不平や不満を口にするだけではなく、少しでも良き世の中にするためにというある意味のハングリー精神が必要である。

世の中を斜に構えて見る傾向のある人からは、日常の些細なことにでも懸命に取組み、日々を生きている人を見ると、ある意味滑稽に映るかもしれない。

先がはっきりと見えない不安と不信の世の中で、それでも何かを信じて必死に今を生きる。

そうした必死の生き方こそをわれわれはもう一度取り戻すべき時ではないだろうか。

戦後の圧倒的な絶望感の中で生き抜いてきた私達の誇るべき諸先輩達のように。

「必死」とは、「必ず死す」と書く。

まさにこれこそが日本人の死生観であったはずだ。

Stay Hungry! Stay Foolish!

このS.ジョブズの言葉こそ、今の私達へのメッセージだったのだ。

彼の冥福を祈る・・・・・!