再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

成長の鉄則

2012-08-26 10:11:35 | チャット
人も会社も、その成長のプロセスにはある鉄則がある。

「三歩進んで二歩下がる」

人生365日のマーチではないが、まさにこの言葉通りに一歩一歩地道に進むしかない。

ただ大事なことは、毎日たった一歩だけでも前に進むためには、単に一歩進めばいいのではないことである。

成長の過程では、必ず行きつ戻りつがある。後退もある意味成長の大事なプロセスなのだ。

したがって、一日たった一歩でも前進するためには、少なくとも三歩ぐらいは前に進む必要がある。必ず付いて来る後退分を加味して、前に進む努力をしなくてはならない。

二歩ではだめで、やっぱり三歩がいいところ。四歩五歩なら、なお良いように思うが、あまり頑張りすぎると疲れてしまう。

疲れすぎず、とにかく休むことなく進み続けることが大切なのだ。

そして、同時に起こるさまざまな後退の事象に、決して気持ちを萎えさせられることなく、自分自身や仲間を信じて、前に進む気持ちを維持し持ち続けること。

時には、進んだ距離よりも下がった方が多く、実質マイナスの日もあろう。そういう時は、もっとも気持ちや気力が萎えるものである。

その時こそ、どう自らの心を整えて、また気力をみなぎらせることができるか。

そして、頑張りすぎることなく、また明日から淡々と三歩だけ前に進むことである。

人生や事業の成功は約束されないが、成長は必ずできる。

日々の成長さえ実感できれば、われわれは生きていけるものではないだろうか。



祖母の教え

2012-08-18 09:19:59 | チャット
先週から今週にかけて、一週間の夏休みをいただいた。いつも通り、実家に帰省し、家族と一緒に先祖のお墓参りにもでかけた。

幼少のころ仕事を持っていた母に代わって私を育ててくれた祖母が亡くなってから、もうすでに23年目の夏となる。そのお墓には、その祖母も眠っている。

明治生まれの祖母は、彼女にとって初孫である私には優しい一面もあったものの、一口で言えば「超頑固なクソばばあ」という感じだった。

実に細かい日常のことに、いわゆる「箸の上げ下ろし」に対して、一家言あるというか、「こうあるべき」という考えを持っていた。

私が何をしても、それが自分の基準に合わないと、実にうるさく注意、叱責された。長男たるものは・・・、食事中は・・・、風呂の入り方は・・・、などなど。その基準自体が、偏見や理不尽なものも多々あったように思う。

可愛いはずの孫に対してもこのようであるので、当然、母との嫁姑の関係は最悪。母のやることなすことすべて気に入らず、いつも文句や皮肉ばかり言っていた。

ただ不思議なことに、なぜかこんな頑固ババアのことを最近思い出すことが多くなった。

私がものごごろついたころの祖母の歳は、今の自分と同じぐらいか、あるいはもうちょっと若いぐらいか。

自分が歳をとったからなのか。

それも多分にあるだろうが、それよりも祖母の持っていたある種の気骨、明治の女としての矜持、それが正しいか正しくないか、はたまた道理にかなっているか理不尽かどうかではなく、自分自身の生き方に対する自信と明確な基準を持っていたことに、どこか心の中でひっかかっているのではないだろうか。

すべてのことに、自分自身の基準としての「あるべき論」を持ち、一本筋の入った生き方をすること。そのことの高貴さと大切さを祖母は私に教えてくれたのだと、四半世紀も経った今頃、気づかせてくれた。

いずれ彼の地で祖母と出会った時、昔のままに叱られないよう、今の自分を信じて、一本筋金の入った生き方をしていこう。

そんなことを心密かに誓いながら、祖母の眠る墓石に手を合わせた。



「人財」になるために!

2012-08-04 09:34:10 | コラム
前回の本コラムで4つの “じんざい(人材)”類型のことを書いた。

① 人財 ⇒ 自分で考えて自分で成果を上げられる人
② 人材 ⇒ 言われたことなら、自分でやりきれる人
③ 人在 ⇒ 言われたことを言われた通りにやるだけの人
④ 人罪 ⇒ 言われたこともできないのに不満が多い人

そしてその時思ったことは、一部の天才を除いて、普通は誰でもこの4つの「ざい」に心当たりがあるということ。

つまり、誰でも会社が切に求める「人財」にもなり得るし、ちょっとした何かのきっかけで「人罪」と堕すこともありうる。

日々、自分自身の心の中で葛藤をしながら、人は成長をしていくのであり、その自分との闘いを止めた時に、同時に成長も止まってしまう。

例え一人でも部下がいるリーダーであれば、自分自身との葛藤を続けることはもちろんのこと、一人の人間としての部下の成長をどこまで見守れる。

その部下の心の葛藤を理解し、時に温かく、時に厳しく、その成長の加速度を確認しつつ、万一低下していると感じた時には、そっと手を差し伸べる。

では、人が「人財」に少しでも近づくためには、なにか秘訣でもあるのだろうか。

前回紹介したポスターには、人財になるための以下の7つの条件が記されている。

① 明るく、元気なあいさつができる。
② 言われなくても、自分で考え、行動できる。
③ 人がイヤがることでも、進んで取り組める。
④ 常に「どうしたらできるか?」を考える。
⑤ 仕事の納期を、きちんと守ることができる。
⑥ ミスやクレームなどの報告を、すぐにできる。
⑦ 人が見ていなくても、手を抜かずに仕事ができる。

さて、どの項目も決してハードルが高いことではないように思われる。

しかし、すべての局面で、すべての仕事において、すべての人に対して、7つすべてができているかと考えると、これらの何でもないことが意外とできていないことに気づかされるのではないだろうか。

一見、なんでもないことでも、本当に本気でそれを日々徹底し続けること。これは簡単なようで難しいことである。

人間は命ある限り、成長の可能性はある。そして、その成長の可能性をひたすら信じて求め続ける意志の力。

その「意志の力」こそが、一人の人間の中から、誰しも持っている「人財」の面を引き出してくれるのであろう。