再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

主要国の温暖化ガス削減目標出そろう!

2009-11-28 17:43:10 | ニュース

12月のコペンハーゲンでのCOP15を前に、米国に続いて中国も温暖化ガスの中期削減目標値を発表した。

これで主要国の目標が出そろったことになる。下表の数値は、すべて2020年時点の削減目標値である。

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主要各国の2020年時点の温暖化ガス削減目標値
       日本      米国      EU      中国
    各国目標       -25%      -17%   -20%~-30%   -40%~-45%
   1990年比    2005年比    1990年比 GDP当たりCO2排出を2005年比
  1990年比換算
  (推定値)
     -25%      -3%   -20%~-30%        -

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ここでの問題は基準年である。米国の目標値は、2005年比で17%減。日本でも前自民党政権では、2005年比15%減であったが、民主党政権になり、1990年比25%減と大幅にハードルを上げた。

2005年比を1990年比に置き換えると、日本は8%減、米国は3%減となり、EUなど比較すると数値上は見劣りするが、90年までのエネルギー効率を公平に加味すれば、日本の目標は突出していると言える。

また、今回、中国が初めて数値目標を掲げたことは評価できるが、削減目標値がGDP当たりなので、実際の削減が分かりにくくなる。例えば、2020年のGDP2005年の2倍となるのならば、40%削減というのは、相当のエネルギー効率のアップが必要となるが、それでも総量では2005年比20%増となる計算になる。つまり、経済規模が2倍になっても、エネルギー総量は1.2倍で抑制するということ。

高度経済成長期の中国の立場からすれば、この主張は理解できるが、日本を含めた安定した経済成長を目指す先進国は総量規制でいくべきであろう。いずれ中国も含めて、全世界が総量規制に向かわねばならないことは明白である。

その先頭を日本が切っていこうという意気込みは了としたいが、果たしてさまざまな経済不況や政治的な混乱の中で、この気概を持ち続けられるかどうか。これからの10年間では、日本国全体の覚悟と信念が問われることになるのであろう。


事業仕分けの是非

2009-11-21 10:23:03 | チャット

来年度予算編成に際して、民主党の売物の一つである「事業仕分け」が佳境を迎えている。

その是非についても、連日マスコミ等で報道され、かまびすしい状況となっている。

この種の新しい試みには、必ず多方面からの抵抗が生まれるものであり、その正論の一つとして、「仕分けの基準を明確にすべし」という意見がある。

確かにこれだけを聞くと、「その通り」と賛成したくなるが、実際として、多種多様な事業に明確でかつ共通の基準などあり得るのだろうか。

うがった見方をすれば、上記の意見は、ある種の反対意見である。おそらく基準を求めている人も、そのことが分かった上であえて言っているとも思われる。

この点に関して、今朝のテレビ番組で仕分け作業リーダーの民主党・枝野氏が言ったことが的を得ているように感じた。

「そもそも多種多様な事業に共通の基準など設けることはできない。むしろ、今回の仕分け作業では、仕分け人の半数以上をある程度納得させられるかどうかが、ある意味の基準である」と。

仕分け人に選定されている人が、あらゆる事業の背景や内容に精通しているなどというのは、あり得ないことであろう。それでも、それなりの専門性を持った人達であろうから、そのような人たちから、ある程度でも納得を得られないとすれば、それはそれでその事業は問題かもしれない。

限られた時間内での説明べたもあるかもしれないが、熱意と情熱があれば、それも乗り越えられるものだ。

企業内において新しいビジネスや事業をやろうとする時なども同じで、上司や経営者を説得できるかどうかが、ビジネスマンとしての最初のハードルである。

それすらも満足にできないビジネスや事業が、また上司すらを納得させられないビジネスマンが、もっと厳しい市場競争や顧客からの選別を勝ち抜けるとは、とうてい思えないという。

ただし、そこには盲点もある。そのテーマが、判断する人々のはるかに超えた能力を要求されるような内容であれば、そもそも正しい判断が下せるはずがない。

国の事業に果たしてそのような高度で新規性の高いものがあるのかどうか。むしろ、国の事業として、その種のものが相応しいのかどうか。

そもそも大勢が賛同するようなテーマには、本源的に新規性などは、あろうはずがない。

公共事業は、国民の税金を使う事業である。その意味では、実現性が低く当たれば大きいというような「いちかばちか」の事業は、公共事業にはそぐわない。

科学技術開発というと、それだけで聖域のような印象を与えるが、余程しっかりとしたビジョンと戦略に基づいてテーマが絞り込まれるべきである。また、時勢の移り変わりに即応して、柔軟に目標の見直しがされるべきだ。

申し訳ないが、大学の先生方だけに任せておいて、そのようなシビアな判断ができるとはとうてい思えない。

国の将来を左右するような戦略性の高い事業(研究開発テーマ)こそ、そこにリスクマネーを引っ張ってくるビジネス感覚溢れたリーダーが必要なのだと思う。


沈まぬ太陽

2009-11-14 12:49:42 | 読書感想

急な出張が入り、自宅から大阪までの往復6時間の列車内をどう過ごそうかと、思わず東京駅構内の書店で「沈まぬ太陽(山崎豊子著)」を購入した。平積みで目立つところにあり、文庫本で携帯しやすく、今映画で話題になっているなどなどが、衝動買いの理由。

ただ長編全五巻だったので、まとめ買いしてしまったので、結局1冊の新刊本より重くなってしまった。

とりあえず第一巻だけ買って、後から残り4冊を買えば良かったなと、新幹線に乗ってから気づきました。

その時の日帰り出張では、第一巻をほぼ読み終え、それからは通勤やちょっとした空き時間を見つけては、読みふけっております。

現在は、第三巻目の終盤であるが、この巻のテーマは、例の「御巣鷹山事故」である。

1985812日夕方。もう四半世紀前のこととなったが、私自身もはっきりとあの瞬間を記憶している。

お盆休みの初日、独身寮から田舎に帰省し、久しぶりの両親・家族との夕食前にテレビを見ていた時。123便の機影がレーダーより消えたという第一報がテロップで流れた。

それからの1週間ほどの夏休みは、ほとんど事故関係のニュース報道にくぎ付けとなってしまった。

そんな昔を思い出しながら読み進めると、電車の中であるにも関わらず、思わず涙を抑えることができないほど、鬼気迫る筆致に引き込まれる。

極めて今日的な企業の話題でもあり、また当時の自分には考えも及ばなかった企業経営上の教訓を得ることができるすばらしい著作である。

事故は起こるべくして起こる。そして、企業の盛衰もまたしかり。

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即断即決と沈思熟考

2009-11-07 09:30:20 | チャット

多少大げさに言えば、生きることは常に意思決定の連続である。朝起きて、何をし、何を食べ、何を話し、何をするか。そして、夜寝るまでに、実にさまざまな決定をしている。

もちろん、定常的に、あるいは定型的な行動、作業、習慣もあるだろうが、それでも、昨日と今日、今日と明日は、絶対に同じではない。

ましてや、ビジネスの現場では、まさにこの小さな日々の決定から、結構大きな決定まで、意思決定の連続である。

特に問題なのは、決定した時はそれほど大きな影響がないと思っていたにも関わらず、実際後になって、大きな波紋を呼ぶような決定もままある。このような場合は、ある意味一番難しいかもしれない。

最初から重要かつ重大な問題だと認識できておれば、大半の人は慎重に考え、熟慮の上、意思決定するであろう。

熟慮の末の決定が必ずしも良い結果をもたらすかどうかは分からないが、それでも考えた末のことであれば、たとえ失敗してもあきらめもつくというもの。

というか、慎重に検討すればするほど、失敗を恐れるが故に、決定を先送りしたり、結局は中止することになる。だからこそ、失敗の数も減ることになる。

だからと言って、ビジネスの世界では、沈思熟考が即断即決に勝るとも言えない。対応の仕方如何によっては、貴重なビジネスチャンスを掴むことも逃すこともある。

「チャンスは前髪をつかめ」

「直観は過たない。過つのは判断である」

即断即決を薦める言葉も多々あるが、あわててつかんだ前髪が大変な疫病神のものだったりということも、なきにしもあらず。直観が狂うことなど、日常茶飯事。なんでもっとじっくり考えなかったのかと、反省することが多いのも事実。

30年近いビジネスマン人生を歩んだにも関わらず、まだこの程度のことで日々苦闘している。だからこそ、ビジネスの現場はおもしろいのかもしれないが、と自らを慰める今日この頃である。

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