再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

素振りの大切さを想う(2011年の終わりにあたり)

2011-12-29 09:04:25 | コラム
「貴方にとって、理想のバッティングフォームとは?」

某超一流プロ野球選手の答え。

「ヘトヘトになるまでバットを振って、その結果、振った形が私の理想のフォームだ」

どんな天才打者でも、日々の素振りは欠かさないという。大舞台での晴れやかな一打の裏には、手の豆をつぶしてつぶしても繰り返した素振りがある。

ビジネスマンも一流のプロを目指すならば、ビジネスマンにとっての日々の素振りが欠かせない。

素振りのスタイルは、多種多様である。若手の営業マンは、営業活動を毎日欠かさず上司に報告することであり、ベテランの技術者は、常に国内外の競合先の動向を把握することであり、中小企業の経営者は、足元固めと将来の成長戦略の両立策を考え続けることなど。

それぞれの置かれた状況と立場によって、素振りの形はいろいろあるが、それらの素振りに共通する大切なことがたった一つだけある。

それは、毎日毎日、ただひたすらに続けること。どんなことがあろうとも、周りの変化や出来事に一喜一憂することなく、バットを振り続けることである。

その地道な努力が報いられる大舞台はひょっとして明日来るかもしれないし、また永遠に来ないかもしれない。しかし、その日がいつ来てもいいように、ただひたすらバットを振り続けることである。

激動の2011年ももうすぐ終わり、新しい年が始まる。

もちろん気持ちを新たにして新しい年を迎えるものの、一日24時間はまったく同じように続いていく。

そして、来年もまた今年と同じようにバットを振り続けて行きたい。

皆様、良いお年をお迎えください!



COP17の総括

2011-12-25 09:46:48 | コラム
COP17(気候変動枠組条約締約国会議)は、本年11月28日から12月11日にわたり、南アフリカ・ダーバンで開催された。

1995年にベルリンのCOP1から、スタートして今回のCOPが17回目である。実に、1997年の京都議定書が採択されたCOP3から14年が経過している。

この京都議定書の第一約束期間は、2008年から2012年の5年間。2013年以降のポスト京都の取り決めをどうするか。2009年のコペンハーゲンでのCOP15でまとまるはずが、昨年のメキシコのカンクン(COP16)でもまとまらず、今回のダーバン(COP17)に持ちこされていた。

COP17開催前の下馬評では、京都議定書は延長されず2012年で終わり、次の枠組みも決まらず気候変動対応の国際協調は崩れてしまう恐れも十分にあると言われていた。

そんな中で、今回のCOP17の結果は、以下の3点に集約されるだろう。

第一に、京都議定書は延長が決定したこと。第二に、ポスト京都の新枠組みの採択(2015年まで)と発効スケジュール(2020年まで)が合意されたこと。第三に、日本が京都議定書後の新枠組みが発効するまで、京都議定書の第二約束期間からは離脱すること。

第一と第二の点については、危ぶまれていた崩壊はなんとかぎりぎりで食い止められ、国際的な気候変動への対応に継続性を持たせることができた。この点は大いに評価できる成果であった。

問題は第三の日本の方針と離脱するという決定がどうであったか。この点については、国内外で賛否両論がある。

米国や中国などのCO2の排出大国が入っていない京都議定書は意味がなく、そのままの延長には反対を主張し続けた日本。かろうじてEUの妥協により、京都議定書の延長は決まったことによって、日本はかねてからの主張を通して2013年以降で新議定書が採択、発効するまでは、国際的な削減義務を受けないこととなった。

一方、日本政府の基本的な考え方は、京都議定書から離脱するからと言っても、将来の削減活動や国際貢献を放棄するのではなく、新しい枠組みづくりへの積極的な関与と同時に自国の温暖化対策は着実に実行していくこととしている。

ここは少し分かりにくいところではあるが、要は自国での削減努力は、今まで通り、あるいは今まで以上に継続しつつ、第一約束期間で行ったような国際的な義務を果たすために排出権を海外から調達するようなことは、第二約束期間ではしないということ。

ちなみに第一約束期間では、一兆円近い税金が排出権購入のために海外に流出している。このことが果たして国益に叶うことなのかどうか。

どうせ海外でお金を使うならば、日本経済全体を元気にするような戦略的な使い方をした方が良いという考え方もある。

私個人としては、今回の日本政府の離脱判断については、初志貫徹できたとして一定の評価を与えたいと思っている。中途半端に妥協するのだけは避けて欲しかったので、良かったと思う。

ただし、問題はこれからの国内における温暖化対策をゆるめることなく継続・強化していけるか、また海外においても、二国間クレジットのように戦略的な活動を進めていけるか。その方針と共に具体的な活動成果が必須となる。

今の民主党政府にそうした力強いリーダーシップが期待できるかというと、その点が最も心もとないところでもあるが。

ただもう政府のみに頼るのではなく、経済再生の中核を担うべき産業界こそがリーダーシップを取って進めていくべきである。



政府の原発事故収束宣言発表に想う

2011-12-18 10:02:14 | ニュース
一昨日、政府が福島第一原子力発電所の事故において、原子炉の冷温停止状態を目指していたステップ2が達成されたとして、その事故収束の宣言を行った。

ただし、まだ原子炉内でメルトダウンした核燃料や建屋内に保管されている使用済み燃料などについては、その詳細な状態は把握しきれていないようである。

このようなまだ不安が完全に払しょくできていない状況での宣言について、国内のみならず海外メディアからも、批判が噴出しているようである。

細野原発担当大臣は、今回の宣言は決して政治的なものではなく、科学的に十二分に検討した上のことであると強調していた。要は、今後何か不測の自体が起こったとしても、二重三重の備えによって再び放射能を周辺に撒き散らすようなことはないという判断によるとのことである。

日本の一国民として、またこの問題については、まったくの一傍観者でしかない自分自身の立場からは、この度の政府の判断を信じ、現場で必死に作業をされている方々への尊敬と感謝の気持ちを表すしかないと思っている。

原発事故で避難生活を余儀なくされている方々や海外からのある程度の批判は許容せざるを得ないかもしれないが、少なくとも国内の大半の傍観者からは、政府への批判ではなく、もっと温かい応援と支援であるべきではないか。

政府も現場も、自分達のためというよりも、われわれ日本人全体の尊厳と生命の安全のために日々努力してくれているのだから。そして、今後何十年もこの重荷をわれわれ日本人が皆で背負っていかねばならないのだから。

いろいろ不確定で不明瞭な点を突いて批判することは比較的容易なことである。また、批判することで、より安全性や除染活動が促進されるのであれば良いが、そうでないのであれば、今はその時ではないのではないか。

信じて託し、そして祈る!

一日も早く、被災された方々の平穏な日々が戻ることを祈りたい。



本格的エネルギーマネジメントの時代

2011-12-10 10:03:05 | チャット
今年2011年の6月15日に、ISO50001が発行した。この国際規格は、エネルギーマネジメントシステムの国際的な標準である。

その中身は、わが国の省エネ法の枠組みとそれほど大差はないが、規格の策定には、なんと2007年6月に米国から提案があり、それをブラジルが後押ししたそうである。

ISO規格は、英国発が多い中で、米国が主導したことは珍しい。

ESCOやその計測・検証システム(M&V)の概念とビジネスを発展・拡大させてきたのも米国であることから考えると、エネルギーマネジメント分野での米国の戦略も垣間見える。

省エネ先進国を自負する日本ではあるが、本家本元のエネルギーマネジメントにおいても、その国際標準化には一歩も二歩も後塵を拝しているようだ。

ただ中身を見れば、第一次オイルショック後の1973年に制定された省エネ法をしっかり理解して、その要件を満たしている日本企業にとっては、まったく違和感のないものとなっている。

しかしながら、法律遵守という受身的な対応と、ISO50001が求めるトップマネジメント主導による積極的なエネルギーマネジメントとは、そもそもの姿勢と原点が違うことも確かである。

この違いは、決して小さなことではない。これは日本の現場レベルでの対応がかなり充実しているだけに、早急に修正し、改めるべき点ではないか。

やっていることやできることが国際的に正しく評価・認識されない。日本国または日本人のこのプレゼンテーションの拙さは、今に始まったことではないが、少なくとも省エネルギー分野だけはそうあって欲しくないし、そうならないようにその分野に身を置く者としてなんとかしていきたい。

今開催中のCOP17でも、日本の姿勢と主張は、極めて理解されにくい。温暖化に消極的な日本というレッテルが張られようとしている。これも極めて残念なことである。

3.11によってエネルギー政策の転換が必須の状況であり、その基本の中の基本として、エネルギーマネジメント思想の普及と定着を急がねばならない。

本格的なエネルギーマネジメント時代の到来に、日本は世界のリーダーシップをいくべきである。

最近、そんな思いを強くしている。まずは隗より始めたい。



中小企業の社長学

2011-12-03 11:12:21 | チャット
世に「中小企業の社長学」なるものが結構多数あり、本屋を徘徊するとどうしてもその種のタイトルに目を留めてしまう。

日本国内の企業数では、99%がこの中小企業にあたるようだが、私自身はあまり中小企業という響きは好きではない。なにか「しみたれた」感じがしないでもないから。

多少のひがみ根性からかもしれないが、自らは「中小企業」ではなく「ベンチャー企業」であると思っている。

この違いは何か、これだけでも一冊の本が書けるような大きなテーマであろうが、少なくともベンチャー企業に中小企業は多いが、中小企業だからといって、必ずしもベンチャー企業ではない。逆に大企業をベンチャー企業と呼ぶことはあまり似つかわしくないが、大きくなってもベンチャー精神を忘れていないベンチャー的大企業もあるだろう。

それはさておき、この中小企業または中小のベンチャー企業の社長学なるもの、その第一章第一項に必ず出てくる金言のようなものがある。

「雨が降っても、雪が降っても、それは社長の責任!」

自分自身、二度目のベンチャー企業の創業に挑戦している身として、実はこの言葉こそを日々自らに問いかけ続けている。

この言葉の持つ深い意味を心から理解し、日々の経営判断や業務執行に活かしているか?

言葉では分かっていても、実践が難しいことは、実は世の中にあまたある。この言葉もまさにその最たるものの一つであろう。

この言葉は社長としての最低限の覚悟を要求しているもの。そうした覚悟を持って、日々一言を発しているか、意思決定をしているか、決断をしているか、指示をしているか、自らの行動を律しているか、などなど、毎日毎日、自らに問いかけると、実に反省することが多いことに気づく。

そこで最近、毎週5日間、つまり1週間毎で自分自身を採点することを始めた。

今のところなかなか良い点が取れない。今週の5日間も65点。

60点が最低の合格ラインであり、65点ならなんとか及第点かとは思うが、時には100点満点も取りたいし、常に100点を狙っていくべきかと。

この自己評価の採点基準は誰にも明かすことはしないが、自ずから社長の成績は1年の決算数値でもはっきりする。

ただ数字だけではない、もっと総合的な意味での高得点を目指したい。