稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

実は親父が亡くなりました。

2018年04月15日 | つれづれ
実は親父(粕井貫次)が亡くなりました。4月7日土曜日です。
深夜の1時頃に息をしていないことに義姉が気づきました。

突然の事なので心の準備も何も無く、
お通夜が4月14日、葬儀が15日ということで、
親しい親族(親しくない親族も一部いますが)だけでのお別れでした。

一言で言うと、本当に幸せな人生だったと思います。
戦争で生き残って、したいことをして好きに生きてきた人です。
亡くなった夜も、大好きなビールを飲んで寝たと聞きます。
きっと自分で死んだことにも気がついていないかも知れません。

きっと昨年9月に亡くなったお袋が、
「あんた、皆に迷惑かけんと早よこっちへ来ぃ」と呼んだのでしょう。

14日、15日の葬儀の模様などはまた後日ご報告します。
取りあえず、私の心境は4月8日のブログにUPしております。

別れ・・・
https://blog.goo.ne.jp/kendokun/d/20180408


(4月7日の朝、訃報を聞いて実家に駆けつけた)


(ひとり追悼の酒を飲む)



【プロフィル】粕井貫次(かすい・かんじ)
大正2年12月、大阪生まれ。
昭和18年9月、大阪専門学校卒業と同時に
第13期海軍飛行専修予備学生として三重海軍航空隊に入隊。
19年1月に博多海軍航空隊で練習機教程を終え、
4月に詫間海軍航空隊へ転属になり実用機教程を終了。
7月に九州の出水海軍航空隊国分分遣隊
(後の国分航空隊)で分隊士兼教官として勤務する。
20年1月に神風特別攻撃隊(特攻)が結成され、乾龍隊に所属。
人吉海軍航空隊へ移動し特攻訓練に入る。
4月に観音寺海軍航空隊に移動し、7月に特攻出撃のため国分基地で待機。
8月に特攻出撃命令が下り、出撃30分前を体験。
終戦により帰還する。元会社社長、奈良市在住。
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