*カテゴリー「ひとりごと」は超個人的な意見、考え、感想などを書いていますので、ご興味のない方はとばしてください。
前回の「石見神楽」の記事を書いていたら思い出したことがあって、書きたくなった。
昔、10代の頃、私は誰が見ても可愛げのない子供だった。
生意気だった。
私は、神奈川の工場や住宅にかこまれた地域に育った。
祭りはあったが、子供のころは参加させていただいたが、高校生くらいになると、興味がなかった。
子供の頃は楽しかったので、子供のもの、という印象が強かった。
また、近所のおじさんおばさんもよく祭りの時はお世話をされていたので、大人が楽しむもの、という印象だった。
大学生の時の夏休みに、長野の木曽の民宿で住み込みバイトをさせていただいた。
そのとき「今日は祭りだよ」と教えられた時があった。
祭り、といえば、私が子供の頃からみていたものの印象が強かったので、
「祭りなら、知っているから珍しくないよ」
と思った。
でも、友人と一緒に実際に祭りを見に行った。
(バイト中なのに、そのあたり本当によくしていただいたのだ)
そしたら、今までの気持ちが吹っ飛んだ。
道の両脇に寄り、他の方に習って待っていた。
すると、むこうから、江戸時代のような服装をした方々の行列(大名行列のような感じ)の人々が、歩いてくる。
神輿もある。
祭りのときは、上にいらっしゃる神様がふもとに下りてくるらしい。
神様はこの神輿に乗っているらしい。
そして、今度はこのふもとので、神楽を見せるような舞台で、舞が始まった。
その舞も本当の舞。
こんなにちゃんとしているのに、報道機関などが来ているわけでもない。
見る人々も観光客が少しと地元の方々のみ。
余談だが、元々、ここは夏の観光客は少ない。
御岳信仰というのがあって、その信者さんはかなりいらっしゃる。
御岳信仰とは、御嶽山をご神体とした信仰。
信者さんたちは全国から団体で来て、山に登ってお祈りをされる。
私たちも、その信者さんたちが宿泊する民宿で働いていた。
でも、このお祭りに信者さんらしき姿はみなかった。
(信者さんは山伏のような白装束なので、すぐ分る)
話は戻り、このときの感動は今でも思い出す。
こんな山の中で(なんせ、木曽福島の駅からバスで30分以上)こんなに、ちゃんと伝統が守られている。
こんなところで育ったらよかったのになあ、とも思った。
それから、私は地域の祭りに興味を持つようになった。
それで、色々見て、なんとなく思ったことがある。
今より少し前は、地方には遊ぶところも少なかった。
だから、祭りは最近まで、大切(人間関係を作る、などの意味でも)な楽しみの一つだった。
今は古いものを見直そう、という風潮がでてきている。
でも、一時はそまつに扱われそうになった時もあった。
でも、きっと、地方では、そんなときでも、祭りは大切なものだったのだろう。
その後、色々地方の祭りを見た。
地域の方が純粋に一生懸命に楽しんでいて、いいなあ、と思った。
その頃はバブルの少し後だったので、余計に都会の遊びと比較していたのかもしれない。
伝統が守られている、と聞くとほっとする。
そして、伝統を継ぐ人がいない、と聞くと複雑な思いがする。
なんでだろうなあ、と思う。
前回の「石見神楽」の記事を書いていたら思い出したことがあって、書きたくなった。
昔、10代の頃、私は誰が見ても可愛げのない子供だった。
生意気だった。
私は、神奈川の工場や住宅にかこまれた地域に育った。
祭りはあったが、子供のころは参加させていただいたが、高校生くらいになると、興味がなかった。
子供の頃は楽しかったので、子供のもの、という印象が強かった。
また、近所のおじさんおばさんもよく祭りの時はお世話をされていたので、大人が楽しむもの、という印象だった。
大学生の時の夏休みに、長野の木曽の民宿で住み込みバイトをさせていただいた。
そのとき「今日は祭りだよ」と教えられた時があった。
祭り、といえば、私が子供の頃からみていたものの印象が強かったので、
「祭りなら、知っているから珍しくないよ」
と思った。
でも、友人と一緒に実際に祭りを見に行った。
(バイト中なのに、そのあたり本当によくしていただいたのだ)
そしたら、今までの気持ちが吹っ飛んだ。
道の両脇に寄り、他の方に習って待っていた。
すると、むこうから、江戸時代のような服装をした方々の行列(大名行列のような感じ)の人々が、歩いてくる。
神輿もある。
祭りのときは、上にいらっしゃる神様がふもとに下りてくるらしい。
神様はこの神輿に乗っているらしい。
そして、今度はこのふもとので、神楽を見せるような舞台で、舞が始まった。
その舞も本当の舞。
こんなにちゃんとしているのに、報道機関などが来ているわけでもない。
見る人々も観光客が少しと地元の方々のみ。
余談だが、元々、ここは夏の観光客は少ない。
御岳信仰というのがあって、その信者さんはかなりいらっしゃる。
御岳信仰とは、御嶽山をご神体とした信仰。
信者さんたちは全国から団体で来て、山に登ってお祈りをされる。
私たちも、その信者さんたちが宿泊する民宿で働いていた。
でも、このお祭りに信者さんらしき姿はみなかった。
(信者さんは山伏のような白装束なので、すぐ分る)
話は戻り、このときの感動は今でも思い出す。
こんな山の中で(なんせ、木曽福島の駅からバスで30分以上)こんなに、ちゃんと伝統が守られている。
こんなところで育ったらよかったのになあ、とも思った。
それから、私は地域の祭りに興味を持つようになった。
それで、色々見て、なんとなく思ったことがある。
今より少し前は、地方には遊ぶところも少なかった。
だから、祭りは最近まで、大切(人間関係を作る、などの意味でも)な楽しみの一つだった。
今は古いものを見直そう、という風潮がでてきている。
でも、一時はそまつに扱われそうになった時もあった。
でも、きっと、地方では、そんなときでも、祭りは大切なものだったのだろう。
その後、色々地方の祭りを見た。
地域の方が純粋に一生懸命に楽しんでいて、いいなあ、と思った。
その頃はバブルの少し後だったので、余計に都会の遊びと比較していたのかもしれない。
伝統が守られている、と聞くとほっとする。
そして、伝統を継ぐ人がいない、と聞くと複雑な思いがする。
なんでだろうなあ、と思う。