突然ですが、おうちを建てます☆

お菓子作り、お庭、ハーブ、料理、うちの犬のことなどについて書いています。

ひとりごと(カモミール)つづき

2009-05-29 08:09:01 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご覧になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。


(5/30一部訂正)


私はよく
「中島勇一オフィシャルブログH・E・A・R・T」http://blog.livedoor.jp/healhearts/?p=32
を読ませていただく。
今まで何度も読ませていただいたのだが、たまたま、「ニーズ」に関する文章に魅かれた。
(詳細は上記アドレス参照)



以前、これを読んだとき、ああ、自分は「欲しがらないこと」をしているなあ、と思った。
でも、話の前半の親や夫へ「尽くす」というのはしていないので、このあたりは違うよなあ、なんて思ったりしていた。


だけど、昨日、これを読んだとときに、まてよ、と思った。
確かに誰かのために尽くして家事をしたり、プレゼントをしたり、というのは全くない。
大好きな彼のために料理をする、なんてこともなかった。
自分が食べたいものをつくり、それで彼も「おいしい」と言っていくれたら、さらにうれしい、という感じだった。

でも、別なことで「尽くす」と似たようなことをしていたことに気が付いた。

それは、不機嫌な相手には全て合わせる、ということ。
相手に合わせるために、自分の存在を消し、自分の意見や気持ちをつよ~く押さえ込み、完全に相手に合わせること。

これをしていることには、最近気が付いていた。
というか、不機嫌な相手には、こういう風に対応するもの、と当たり前のように思っていた。
だから、会社の人間関係でも、こういう場面(そんなに頻繁にはなかったけど)ではこういう対応をしていた。


気が付き始めたら、
「こんなに私は最善を尽くして、あなたに合わせているのに、なんでそれが分らないの?」
という気持ちが出てきていたことにも気が付いた。
会社の人間関係のときは、そこまでの気持ちは出てこなかったが(多分、つよ~く押し殺していた)夫に対しては、この気持ちが出ていた。


話はちょっとそれるが、昨年、リーディングしてもらったときに
「あなたの中には親に対して強い怒りがある。そして、自分の中にいない。自分の中にいないから、本当の自分の人生を歩んでいない。」
と言われた。
正直、ショックだったが、思い当たるところもあったので比較的冷静に聞いていた。
ただ、親に対する怒りの感情があったとしても、感じたくないなあ、と思った。

話が長くなったが、今思うと私は不機嫌な相手には自分を殺すことで対応してきた。
でも、本当の自分はそれを望んでいなかった。
その証拠に、見返りの気持ちがでてきているから。
それで、ニーズが満たされなくて私は怒っていたんだ。

カモミールの「鎮める」効果を、気が付かないうちに求めていたような気がする。

今日になって、横隔膜と胃のあたりの緊張を感じる。
「なんだろう」と思いながら、また、別の本のカモミールのページを見た。
細かいことは省くが、やはり関係していた。
もう少し自分とカモミールとむきあいたい。

(写真は
フリー写真・画像素材集 Endless Travel
からいただきました)








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ひとりごと(カモミール)

2009-05-27 15:55:17 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご覧になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。




先日、久しぶりにニールズヤードの講座でアロマテラピーを学んでいたときのテキストを見た。
そのとき、カモミールを見たら、どうもイメージは「鎮める」
試験に出そうな内容なんかでは
「カマズレンとういう成分を含み、これには抗炎症作用がある」
とのこと。
ああ、そうだった、そうだった、ととても忘れていたことに気が付いた。

炎症を鎮める
イライラを鎮める
怒りを鎮める
緊張を鎮める
と言う感じで、鎮めてくれるらしい。

カモミールはよく寝る前にお茶として飲む。
落ち着いて、よく眠れるような気がする。
でも、緊張してたり、イライラしたり、怒っているつもりはないんだけどなあ、と思った。


うちの庭にもローマンカモミールがある。
初めから、庭を造ったときに、カモミールは必ず植えるぞ、と思っていた。


エッセンシャルオイルのカモミールは普通に好きだった。
ただ、その後、もっと好きになるきっかけがあった。

ある日、たまたま東京都薬用植物園(小平市)へ行ったときに、花壇にカモミールのお花畑があった。
私が花壇の前に立った時、ふわっ、と風がふいた。
そしたら、カモミールのあの、りんごのような甘い香りがした。
抽出しなくてもこんなに香るんだ!、とささやかな感動と、癒される感じがした。

だから是非、うちの庭にも同じものを再現したかった。
カモミールは代表的なものは2種類ある。
ジャーマンカモミールとローマンカモミール。
育て方について調べたら、種は春と秋にまくらしい。
でも、春まきはアブラムシが付きやすいので、秋まきがお勧めとのこと。

それで、当初の予定では秋にまこうと思って、種まで買っていた。
ただ、4月くらいにホームセンターでローマンカモミールの苗を見て、あまりの可愛さに「アブラムシがついてもいい!」と思い、買ってしまった。

購入後はかなり満足している。
後で、私が薬用植物園で見たのはジャーマンのほうだった、と分ったのだが、でも、ローマンの葉も香りがする。
なにより、かわいい葉を見ているだけで癒される。

また、とても元気で、すでに2回も株分けして、みな元気に育っている。
(私のいい加減な土作りの土で成長できてしまうので、かなりタフなんだなあ、と思う)

そんな感じで、私の中ではカモミールには
「可愛くて癒される」
というイメージになっていた。

(今回は長くなったので、次回に続けます)

(写真は
サイト名
無料・フリー写真素材【SAKURA】
サイトURL
http://www.sakura39.org/
からコピーさせていただきました)





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ひとりごと(ユーカリ)

2009-05-22 09:35:29 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご覧になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。




私は20歳すぎてから花粉症になった。
症状は人それぞれかもしれないが、私は鼻にくる。
 
仕事をはじめてから、ごくたまに、贅沢にもアロマトリートメントをしてもらえるサロンへ行くようになった。
自分へのご褒美みたいな感じ。
担当の方にも恵まれ、色々エッセンシャルオイルのことを教えていただいた。
そのなかで、今でもお世話になるのが「ユーカリ(ラジアタ)」

ちなみに一般的に有名なのは「ユーカリ(グロブルス)」
こちらも粘液を切ってくれる効果はあり、花粉症の季節に宣伝されているのをみかける。
でも、私は「ユーカリ(ラジアタ)」のほうが効くようなきがしている。

昨年、好きな花屋さんで、ユーカリの苗を見つけた。
葉が小さくまるくてかわいい。
「ユーカリ」と書いてあった。
ユーカリになじみがあったこと、微妙な緑色と、葉がかわいいのに魅かれ、衝動買いみたいにして買った。

後でわかったことだが、エッセンシャルオイルに使われるユーカリの葉は細長いらしい。
なので、うちにあるのは同じユーカリでも、エッセンシャルオイルとしては使われない種類のようだった。
でも、剪定していると、ちゃんとユーカリ独特のすっきりするような香りがする。

話はちょっとそれるが、私にはいつも心の中に「もやもや」があった。
多分、それはいろんな種類のもやもや。
でも、ユーカリの剪定後、一つ「もやもや」の中身に気が付いた。
ユーカリさんが「すっきり」させてくれたかどうかは、よく分からないんだけど。

亡くなった祖母のことを思い出すと、今でも涙が出る。
そういうとき、心の中では
「おばあちゃんは現実にはいなくなったけど、どこかで見ていてくれている」
と思うようになっていた。
偶然だが、生前、私が中学生のとき祖母は私にこう言った。
「いつも誰かが見ていてくれているよ」
こういうこともあって、思い出して泣きそうになると、心の中で祖母に話しかけていた。

ただ、あまりにもこんなことをくりかえしていたので、自分でもこのままでいいのかな、と思うこともあった。
そんなときにもしかして…と思った。

私は悲しみを忘れたかったり、気にしないようになりたかったのではない。
悲しみを悲しみとして、感じたかったんじゃないか?
祖母への後悔も、後悔として感じたかったんじゃないか?

昔、友達が
「カレーライスが食べたいのに、ハンバーグを出されても満足しない。ハンバーグはおいしくいただくけど、やっぱり後でカレーライスが食べたくなる」
と言っていて、妙に納得したことがあった。

また、違う場面。
20代のころ、子供のころのことで、親に
「あのとき、あんなふうに言われて本当は悲しかった」
と大人になってから伝えたとき(子供の頃は、どう表現していいのか分らず、いえなかった)
「あのときは、こうこうこういう事情があったから仕方なかったのよ。」
と言われた。
大人の事情は子供のときも感じていた。
(だから余計、言えなかった)
でも、何か親に分って欲しくて、しつこく言ったら、親は責められているように感じたみたいだった。
私も、何を自分が求めているのか分らなかった。

今思うと、子供の頃の状況の説明を聞きたかったんじゃない。
子供の頃から大人の事情は理解していた。
でも、ただ、
「そっか、悲しかったんだね」
と悲しみを受け止めて欲しかった。

子供の頃、感じた悲しみは子供にとってあまりに強かった。
それで、感じるのが怖くなって、悲しむ自分を否定した。
でも、心のどこかで否定された自分が「否定しないで」と叫んでいた。
それを私は親に悲しみを認めてもらうことで、自分を肯定できる状況にしようとしていたようだった。
これはユーカリを剪定するずっと前に、気が付いたこと。

話は戻り、親と私との間に起こったことを、私は自分の心の中でもしていたことに気がついた。
友達の話のように、自分はカレーライスが食べたいのに、「もっと栄養があるから」のように、よかれ、と思ってハンバーグを与えていた。

私は祖母の死をしっかり悲しみ、正面から後悔しようと決めた。

うちのユーカリの葉は、細長いのではなく、本当に丸い。
でも、香りはユーカリと似て、すっきりしている。
今の気持ちでユーカリを眺めていると、ユーカリが、まーるくまーるく(細長い葉のようにシャープではなく)私の気持ちをすっきりさせてくれるのを助けてくれたような感じがした。

(写真はクリエイターkaoriさん
http://www.photost.jp/photo_info.php?products_id=1338
からコピーさせていただきました。
このブーケの中の葉がユーカリです。)
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ひとりごと(雑草)

2009-05-21 10:33:02 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご覧になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。


庭の雑草をとっていると、「植物って生きているんだなあ」と感じるようになった。
小学生の頃、雑草取り、というのはあまり面白いイメージはなく、どちらかというと「やれといわれたからやる」みたいなだるいイメージだった。
何かを感じる、なんて一切なかった。

今、中年になって体験すると、それほどかったるくなく、勢いあまってがんがん抜いてしまう。
最近、害虫は雑草を食べるので、抜いてしまうと、育てている植物を食べてしまう、と読んだ。

(「完全版 農薬を使わない野菜づくり―安全でおいしい新鮮野菜80種 (単行本)」徳野雅仁(著)http://www.amazon.co.jp/%E5%AE%8C%E5%85%A8%E7%89%88-%E8%BE%B2%E8%96%AC%E3%82%92%E4%BD%BF%E3%82%8F%E3%81%AA%E3%81%84%E9%87%8E%E8%8F%9C%E3%81%A5%E3%81%8F%E3%82%8A%E2%80%95%E5%AE%89%E5%85%A8%E3%81%A7%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%97%E3%81%84%E6%96%B0%E9%AE%AE%E9%87%8E%E8%8F%9C80%E7%A8%AE-%E5%BE%B3%E9%87%8E-%E9%9B%85%E4%BB%81/dp/4896915224/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1242779512&sr=1-1)

実際、雑草に食べられた跡はたくさんある。
それで、ほどほどに(ご近所から見られて、ぼうぼうだなあ、という印象をもたれない程度)抜いている。

また、最近、ルッコラやミックスレタスの種をまいた。
すぐに芽がでてきた。
そうすると、なんか「ほっ」とし、癒されているのか、しばらく「じーっ」と鉢をながめてしまう。
風にゆれるハーブもそう。
なんとなく、ながめているだけで癒される。

自然に癒されたい、という気持ちは20歳過ぎてから起きてきた。
仕事をしていたときは、夏に長期休暇(といってもせいぜい5日だが)に自然を感じられるところに旅行にいくのが好きだった。
また、単なる休日にサロンでアロマトリートメントをしてもらうのも大好きだった。
特にローズの香りは高級感もあり(実際、本当に高価なんだけど)とも癒された。

今、思えばその頃の私は自然は「物」だった。
そう意識していたのではないのだけど、今になるとそう思う。
「頭が痛いから頭痛薬をのむ」みたいに薬と同じように「疲れているから、自然や植物療法で癒そう」という感じ。

こう思っていたら、祖母のことを思い出した。
祖母はもう10年前に亡くなった。
生前、祖母はいつも私のことを待っていてくれた。
でも、その本当の意味に気が付いたのはごく最近だった。
生きていた頃にも好きだったし、会うと、なぜか涙が出た。
そして、最近、その本当の意味に気がつき、さらに涙が出る。

前から、私は植物で癒された。
それを当たり前と思っていた。
最近、植物が生きていることを感じ始めたら、その癒しは愛情のように感じることがある。
間に合ったような気持ちがする。

(写真はクリエイターyo seeさん
http://www.photost.jp/photo_info.php?products_id=2461からコピーさせていただきました)
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ひとりごと(バジル)

2009-05-20 09:28:23 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご
欄になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。




うちのバジルは綺麗です。
3株のうち、1つはかなり虫に食われています。
でも、元気なので、そのまま様子を見ています。
(虫の姿は見えないので、多分ヨトウムシのせい)

ベニシア・スタンリー・スミスさんの本の中で、次のような文章を読みました。

「ベニシアのハーブ便り ― 京都・大原の古民家暮らし 」
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%99%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%96%E4%BE%BF%E3%82%8A-%E4%BA%AC%E9%83%BD%E3%83%BB%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E3%81%AE%E5%8F%A4%E6%B0%91%E5%AE%B6%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97-Venetias-Ohara-Diary/dp/4418075038

「ある学者の研究によると植物は害虫から身を守る自衛策を持っているということです。ある程度の量の葉を虫や動物に食べられることにより元気になる植物がいくつかあります。ところが、…」


また、虫に食われたハーブは、何かの成分を体内に出すため、よりおいしくなるらしい(科学的根拠不明)、というのも読んだことがあります。

真偽のほどは定かではありませんが、うちのバジルがもう少し大きくなったら、試食してみようと思います。
そして、以前、アパートのベランダで育てていたバジル(今はない)と味比べをしてみようと思います。
(ベランダのバジルは、ものすごくいいかおりで、美味しかったです)


バジルはとても綺麗です。
色が綺麗です。
植物は物じゃなくて、生きているんだなあ、っていう感じが見えます。
なにかをオーラのような感じが、バジルの周りにあります。
(見えませんが(^^ゞ)

ベニシアさんの文章を読んで、人間も同じかも、と思いました。
人間も困難とかあって、そうすると、体や心の中から何かが出てきて、より、綺麗になるのかも。
余計なものがそぎおとされ、本当のその人らしさが、出てくるのかも。

たまたま最近「艱難汝を玉にす(かんなんなんじをたまにす)」という言葉も読み、また、同じように思いました。


苦労があるのは当たり前で、人を磨いてくれる、ということは多分、みんななんとなく知ってるんだと思います。
だから、
「こんなことがあった」
ってぐちを聞いてもらうと
「そういうこともあるよね」
という言葉をくださるんだと思います。

でも、贅沢にも私は聞いていただき、そのお返事を いただくだけでは、心のもやもやは晴れませんでした。
だから、私はさらに自分を責めました。
「みんなこうやって支えあって生きているのに、なんで私はそれができないの?」
今ある現状に感謝していない自分を責め、さらにぐちを言っている自分を責め、聞いてもらっても、さらに気にしている自分を責めました。
そして、責める事で、気にすることを強く強く押さえつけようとしました。

押さえたら、何も気になることもすぐに忘れられるようになりました。
そして「これが大人なんだ」と思えました。

でも、違っていたようです。
それは体が徐々に教えてくれるようになりました。
押さえる、という経験がどういうものかを体験しました。






最近まで「自分よりも他人を優先する」べきと思っていました。
そういう人をみると「すごいひとだなあ」と思いました。

でも、実際にそうやってみると、心の中でなぜか「もやもや」することがありました。
なぜか、そうしたくない、という気持ちがありました。

私は「自分よりも他人を優先する」ということを実行できるようにするために、自分を「どうでもいい存在」にしていました。
今では、おそらく、その「もやもや」は本当の自分が「それは違うよ」と言っていたんだと思います。

最近になり、自分を大切に思うことの大切さを知りました。

「押さえていたこと」についても、昔だたら「じゃあ、今度から押さえるのをやめてよう」とやり方を変える、と言う感じで対応していたと思います。
ただ、今回はその「押さえていた」ときの気持ちをみていきました。

すると、それは「私を守ろうとしていたんだよ」というやさしい気持ちでした。
その気持ちを感じると、穏やかな気持ちになります。
昔だったら、そんな「自分を守る」なんて受け入れられない、許せない言葉でした。
今は、それは頭が自分をコントロールしていたと知っています。
「押さえていた」のは、きっと「私は私を大切に思っているよ」と気が付いて欲しくて起こったことだったような気がします。


「押さえていた」ことで、辛い気持ちになりました。
でも、それは私が私への愛情をもっていたから、私をこれ以上辛い思いをさせないようにするために、していたことでした。

こう思ったとき、同時に親のことを思いました。
「小さかった頃、なんであんなことをされたんだろう」
今でも消化できていない、子供のころに辛い気持ちになった記憶がありました。
頭では理解しようとしていても、気持ちがもやもやしていることがありました。
でも、今はそれが本当に愛情からしてくれたことだった、と素直に感じられています。
辛さの感じよりも、より愛情のほうを感じています。
今はそれがうれしいです。




話が少しそれてしまいました。
バジルは押さえるよりも、出していくと、どんどん綺麗になる、ということを見せてくれているように思います。

(写真は
フリー素材屋Hoshino
http://www.s-hoshino.com/kiyaku.html
からコピーさせていただきました)

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ひとりごと(ローズマリー)

2009-05-19 06:40:50 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご覧になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。



最近、庭のハーブをいかに生かすか、に興味があって、いろいろなハーブの本を読む。
特に、生ハーブを使った料理はよく読む。

私はそういうのを読むのは、多分好きなんだろう。
何度読んでも飽きないから。

でも、楽しんでいない。



庭のローズマリーを「じーっ」と見た。
今のところ、一番料理やお菓子作りで使っている。

「ローズマリーをどう生かせるか」
そればかり思って本を読んでいた。
そして今、またそう思ってローズマリーを見た。

「なんか冷たい感じ」
そう、冷たい。
頭で考えることって、冷たいんだ。
(常にそうとはかぎらないけど、そういうことが多い気がする)

私はローズマリーに冷たさしかもっていなかったのか?

また、「じーっ」とみて、心に起きてくることを見ようとした。
そしたら、心の中に子供の私がでてきて
「友達になりたかったんだ」
って言った。
それは、やさしい感じだった。

少しほっとした。
ちゃんと私の中に、やさしい気持ちがあった。

生かさなきゃもったいない
無駄をしないように
出来る限り合理的に

仕事をしていたとき、いつもそう思っていた。
それがいつしか私の日常生活にも浸透していた。
やさしい暖かい気持ちはどこかに隠れた。

だから心が疲れちゃったんだなあ、って思った。

(写真は クリエイターackyさん 
http://www.photost.jp/photo_info.php?products_id=1305
からいただきました)

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ひとりごと(カレンデュラ)

2009-05-18 12:34:49 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご覧になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。



前にも書いたように、うちの植物たちは、うちの狭い庭のなかで、私のこだわりのために、何度か場所替えをさせられている。
きっと、負担だったろうに、なんとか生きている。(^^ゞ

ただ、最近、2株あるカレンデュラの下のほうの葉の枯れ方が激しい。
枯れたものは取るようにしているのだが、ちょっと激しすぎる。

そのとき思い出したのは、ハーブは葉が混みあっているところは剪定すること、と色んな本に書いてあったこと。
ただでさえ、この2株の株間は狭かったのに、葉が茂りすぎたため、こうなってしまったのか?

それで、2株を離して植え替え、葉も思い切って刈り込んでみた。
これでいいのかどうか分らないけど…。

そんなとき、
きっとポールさんみたいな方に育ててもらったら、カレンデュラくんもかれることなく、すくすく育って幸せなんだろうなあ~
なんて思っている自分がいた。

ただ、まてよ、もうちょっと感じてみよう。


植物って愛そのものらしい。
それはオーラの泉の江原さんも言っていたし、なにより私がラベンダーから感じたこと。
そうだったら、うちのカレンデュラも
「あ~あ、ポールさんに育ててもらいたかった」
なんて言わないような気がする。
じゃあ、「ポールさんに育ててもらえば…」という言葉はどこから来たのか…。

そうかあ。
私はカレンデュラの気持ちになって思っていたつもりだったのに、実はまったくそうなっていなくて、それは単に私の気持ちだった。
カレンデュラが鏡のようになって、私の気持ちを映してくれた。

「周りのせいにしてはいけない、全て自分の責任」
私の中でとっても強く自分に言い聞かせている言葉。
でも、心のどこかで傷ついていて、今でも環境のせいにしたがっている自分がいるんだなあ、としみじみ思った。

(写真はhttp://pkoko.jp/hana1_kinsenka.htmlから頂きました)





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ひとりごと(ジューンベリー)

2009-05-17 11:07:42 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご覧になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。


ジューンベリーはハーブではないけど…。
また、ジューンベリーと向き合って気が付いたことではなく、テレビがきっかけだったんですが。

テレビで
「ポール・スミザー 四季のガーデン生活」
http://www.bsfuji.tv/garden/

を最近見るようにしている。
植物の選び方、作業方法など、本よりも勉強になることも多い。

そんななかで、先日の放送でジューンベリーがとりあげられていた。
うちにも、30センチメートルくらいのジューンベリーを今年の2か3月頃に植えたばかりだったので、「なになに?」と言う感じで見ていた。

それは、木の苗の選び方を教えてくれている場面だった。
すでに花の咲いているものは大きくなりにくいので、花の咲いていないものを選んだほうがよい、とのこと。
また、幹の下のほうの枝はとったほうが、上に伸びやすいらしい。

このとき、私の頭が理解できずにいたことがあった。
多分、植物を育てている人のなかでは常識で、私が知らなかったこと。

木って、大きくなったほうがよいの?

頭の中で色々な思考がめぐるけど、それは省略。
私の中では
「植物はできるだけ人の手をくわえずに、好きなように育っていって欲しい」
という気持ちがあって、
「外観が、結果的に具体的にどうなってほしい」
という気持ちを持っていなかった。
(元気でいて欲しい、というのはある)
植物が育ちたいように育ったら、それがいいかなあ、と言う感じ。

でも、ポールさんが言うことも、気になる。

それで、なんとな~く思ったこと。
「木が大きくなる、というのは、その木が持っている力を最大限引き出してあげること…」

私の中で偏った考えがあったよう。
自分の頭の堅さを感じた。








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ひとりごと(うちのハーブくんたち)

2009-05-16 07:04:35 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご覧になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。



うちに
ローズマリー
チコリ
マスタード
コモンセージ
ローマンカモミール
ポピー
カレンデュラ
マリーゴールド
の苗を地面で栽培し始めたときのこと。
(今はもっと、種類が増えた(^^ゞ)

コンパニオンプランツの考えを活用したくて、一応設計図(花壇のどこに何を植えるか)を描いてから、はじめた。
でも、実際植えてみると、
「やっぱり、あれはこっちのほうがいい」
「やっぱり、これはそっちがいい」
と色々別の案が思い浮かぶ。

植物の種類にもよるかもしれないが、苗の植え替えはハーブたちにとっては、とっても負担なこと。
それを心苦しく思いながら、でも、移動させたくて、何回か植え替えた。

そんなときに思ったこと。
「私は頭でしかハーブを見ていないなあ」
きっとハーブと向き合えば、ハーブがどうして欲しいか教えてくれるような気がする。
でも、早く終わらせたくて、頭で「配置の見た目」「コンパニオンプランツの相性」を一生懸命考えて進めていた。
ハーブを感じていなかった。
あまり楽しんでいなかった。

「ごめんね」
同時に母のことを思い出した。
きっと私を育てていたときの母も、同じ感じだったのかなあ、なんて思った。

(写真はチコリ
http://mirabeau.quu.cc/photo/yumeshima/yumeshima_0736.html
から頂きました)

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ひとりごと(ラベンダー)

2009-05-15 01:07:39 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご覧になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。



まだ、マンション住まいだったときのこと。
そのときは、ラベンダーの香りのボディーシャンプーを使っていました。

いつものように洗いようタオルにシャンプーをつけたとき、
いつものようにラベンダーの香りに癒されました。
そのとき、
「ラベンダーの香りって愛だなあ」
という言葉が浮かびました。
(ちなみに私は普段、愛なんて言葉は使わないんですが)

ラベンダーの香りってとても癒してくれて、でも見返りを求めないなあ、なんてきがつきました。

(写真はhttp://photo.hokkaido-blog.com/html/08/kanayamakolavender1.html
からいただきました)

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