*カテゴリー「ひとりごと」は超個人的な気持ち等を書いていますので、ご興味のない方はどうぞ、とばしてくださいまし
今、テレビドラマの「JIN~仁~」に、夫婦ではまっている。
前回のシーズンのときは、見ていなかった。
たまたま、JINの再放送を見て、はまり、
今のシーズンは欠かさず録画して見ている。
こんなにはまったのは、「不毛地帯」「臨場」「龍馬伝」以来。
(なんか題名はどれも堅そうですね…)
最近、うちでは、なんとなく、
夫婦がそれぞれ、ひとりごとで
「仁せんせ~い」
などと言ってしまう。
意味はないんだけどね。
私の中途半端な知識のためとも思うけど、
昨年、龍馬伝を見ていたとき、
流れている時代とドラマの中での人物の様子、しぐさ、着物などに、
少し疑問を持つことが多かった。
だけど、JINではそれがない。
JINのHPを見ると、そのあたりの説明もあって、面白い。
そういう面でも、安心して見ることができる。
そんななか、JINで印象に残るセリフがあった。
「時代の渦の中でグルグル回されていると、
自分の立っている場所が分からなくなってしまう。
どこを目指していたのかも分からなくなる」。
初めにこのシーンを見たときは、
「ふーん」
くらいにしか聞いていなかった。
だけど、その後、私の周りで、ことあるごとに、
このセリフを思い出させるようなことが起こっている。
「時代の渦」
というと、すごく大きなものに感じてしまっていた。
だけど、これを
「世間の常識」
「自分や周囲の人たちの思考や感情」
などに置き換えると、
「ああ、自分は自分の立っている場所が分からなくなっている」
と思うことが続いた。
そして、
「どこを目指していたのか、分からなくなる」
また、他の方々に対し、
「ああ、巻き込まれて、目指しているところが分からなくなっているんじゃないのかな」
と思うときもある。
「世間の常識」
「自分や周囲の人たちの思考や感情」
に巻き込まれたほうが、
寂しくないし、
自分に自信がないときなんか、
巻き込まれたほうが安心してしまうこともある。
そんな風に思えて、すでに巻き込まれているのかもしれない。
このJINの回では、田中さんのこういうセリフもあった。
「ともに渦に飲まれては、意味がない。
友として先生がなすべきことは、
その方の道標となることではないでしょうか。
暗い渦の中からでも、目的地を見失わぬよう、
明るく輝く、道標になるのです。
先生ご自身が、無尽灯のように」
寂しさから、巻き込まれそうになるのだけど、
ふと、周囲を見て、道標になってくれていた方に気が付くと、
「はっ」
とする。
そんなとき、自分の中で自分のいる位置が変わる。
最近、ちょっとそれを繰り返している。