*カテゴリー「ひとりごと」は、毎回、かなりマニアックなことを書いていますので、そんな話がお好きな方だけ、お読みいただければ幸いです…
先日、とあるワークショップに参加させていただいた。
講師2名、参加者8名で、みな、だいたい初対面だったのに、なかなか和気あいあいとした、雰囲気で楽しかった。
そのなかで
「隣の人とヘペアになって、その人のエネルギーを感じてみましょう~」
というのがあった。
今思うと、
「私、そんな力ないし、できないよ~」
って人がいてもおかしくないのに、そんな風に言う方はいなかった。
私も特に特殊な能力の勉強とか(オーラがみえます、など)していないが、なぜかそのときは何も不思議に思わずに、講師の指導にしたがって、やってみた。
やってみると、意外に私ってできるじゃん、って思った。
もしかしたら、外側から感じる感覚は、鋭いほうなのかもしれない。
(自分の内面のほうが重要なんだけど、これがなかなか…。自分を知るためには、自分の感覚に気が付きやすいほうがよいのに、押さえ込む癖がついていて…)
このエネルギーは、相手により雰囲気や強さが異なった。
そして今まで、相手のエネルギーを感じないように、していたことに気が付いた。
人間だけでなく、全てにおいて。
というのも、植物と向き合うようになったとき、気が付いたこと。
植物は自分から積極的には語らないけど、私が感じようとすると感じることができるんだなあ、と最近思うようになっていた。
庭の雑草を抜く時なんか、特にそうだった。
なんか雑草は雑草で、光合成で酸素を作ってくれているのに、私の庭に生えたためにぬかれてしまう。
なんか、悪いことをしているような気がして、それで、雑草さんの気持ちを聞くのが怖くて、雑草の雰囲気(パワー?)を感じようとしていなかった。
他人からみたら、ばかばかしい話だと思うだろうが、本当に雑草のパワーを感じるのは勇気が必要だった。
「バカヤロー、抜くんじゃねー」
って感じたら、抜けない…。
実際、感じてみると、そんな「バカヤロー」感じは全く無かった。
雑草はパワーがある。
ただ、「抜くな~」って感じはない。
ただ、そこに生きている。
それで、抜かれたら
「抜かれたな」
それだけ。
最近テレビで見た、白洲次郎のお話を思い出した。
ただ、自分を生きて、役割を果たす、みたいな。
また、抜くときに私がパワーを感じることで、パワーをもらえているような気持ちにもなった。
なんか変な話のような気もするけど。
うちの近所に大きな木がある。
今までも頻繁に、その前を通っていたのだが、感じたことはなかった。
それで、立ち止まり、感じてみた。
なぜか涙がぼろぼろ出てきた。
悲しいのではなく、癒してくれているように感じた。
ただ、人の往来があるところだったので、恥ずかしくて、すぐにその場を去った。
先日、とあるワークショップに参加させていただいた。
講師2名、参加者8名で、みな、だいたい初対面だったのに、なかなか和気あいあいとした、雰囲気で楽しかった。
そのなかで
「隣の人とヘペアになって、その人のエネルギーを感じてみましょう~」
というのがあった。
今思うと、
「私、そんな力ないし、できないよ~」
って人がいてもおかしくないのに、そんな風に言う方はいなかった。
私も特に特殊な能力の勉強とか(オーラがみえます、など)していないが、なぜかそのときは何も不思議に思わずに、講師の指導にしたがって、やってみた。
やってみると、意外に私ってできるじゃん、って思った。
もしかしたら、外側から感じる感覚は、鋭いほうなのかもしれない。
(自分の内面のほうが重要なんだけど、これがなかなか…。自分を知るためには、自分の感覚に気が付きやすいほうがよいのに、押さえ込む癖がついていて…)
このエネルギーは、相手により雰囲気や強さが異なった。
そして今まで、相手のエネルギーを感じないように、していたことに気が付いた。
人間だけでなく、全てにおいて。
というのも、植物と向き合うようになったとき、気が付いたこと。
植物は自分から積極的には語らないけど、私が感じようとすると感じることができるんだなあ、と最近思うようになっていた。
庭の雑草を抜く時なんか、特にそうだった。
なんか雑草は雑草で、光合成で酸素を作ってくれているのに、私の庭に生えたためにぬかれてしまう。
なんか、悪いことをしているような気がして、それで、雑草さんの気持ちを聞くのが怖くて、雑草の雰囲気(パワー?)を感じようとしていなかった。
他人からみたら、ばかばかしい話だと思うだろうが、本当に雑草のパワーを感じるのは勇気が必要だった。
「バカヤロー、抜くんじゃねー」
って感じたら、抜けない…。
実際、感じてみると、そんな「バカヤロー」感じは全く無かった。
雑草はパワーがある。
ただ、「抜くな~」って感じはない。
ただ、そこに生きている。
それで、抜かれたら
「抜かれたな」
それだけ。
最近テレビで見た、白洲次郎のお話を思い出した。
ただ、自分を生きて、役割を果たす、みたいな。
また、抜くときに私がパワーを感じることで、パワーをもらえているような気持ちにもなった。
なんか変な話のような気もするけど。
うちの近所に大きな木がある。
今までも頻繁に、その前を通っていたのだが、感じたことはなかった。
それで、立ち止まり、感じてみた。
なぜか涙がぼろぼろ出てきた。
悲しいのではなく、癒してくれているように感じた。
ただ、人の往来があるところだったので、恥ずかしくて、すぐにその場を去った。