突然ですが、おうちを建てます☆

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ひとりごと(法事)

2011-06-05 11:19:02 | ひとりごと

*カテゴリー「ひとりごと」は超個人的な気持ち等を書いていますので、ご興味のないかたは、飛ばしてくださいませ。

 

 

先日、祖母の三回忌だった。

祖父母のお墓は都心のお寺にある。

そのお寺さんで、法事は毎回行われる。

 

このお寺、都心でもかなり伝統のあるお寺。

私が1歳の時に祖父がなくなり、

なので法事のたびに、子供の頃から、このお寺には来ていた。

子供の頃は、

「法事のやり方も、お寺も、みんなこうなんだろう」

と思っていた。

でも、今になり、当たり前でないことが分かってきた。

 

親族がこんなにきちんと集まって、法事で先祖供養をしたり、

こんな和風の庭のあるお寺で、法事ができる、

ということは、当たり前でなく、

さらに私にとってはありがたいものであったことに、

今回は気が付いた法事だった。

 

お寺は昔ながらのつくりで、

昔だったら当たり前だったろうに、

今では貴重な純和風。

あまり、物は置いてなくて、シンプルなんだけど、

置いてあるものが一つ一つ主張していないのに、

ちゃんと見ると、色々感じられる。

都心なのに、すごく心が静かになる空間になっていた。

 

 

法事のとき、お坊さん2人がお経を読まれた。

子供の頃に、このお経を聞いて、どう思ったか、なんて

覚えていない。

親戚の甥たちは、

すごく退屈みたいで、

すんごく落ち着かない様子。

 

私が子供の頃は、

もっと、たくさん いとこもいたけど、

みんなちゃんと座っていた。

親が怖かったからねえ。

 

落ち着かない様子の甥達に対し、

私が厳しいおばさんになってやろうかとも思ったけど、

すぐに普段の自分自身への甘さを思い出し、

すぐに「厳しいおばさん」になるのをあきらめた。

 

話はお経に戻る。

静かな空間でお経を聞いていると、

涙があふれてきた。

祖母の葬式のときは、

悲しくて悲しくて涙があふれて、止まらなかった。

けど、今回は違う。

祖母に対しての、涙ではない。

 

最近、聞いた話を思い出した。

私は仏教のことをくわしく知っていたり、分かっているわけではないので、

違っているかもしれないが、

仏教では心のない状態の「無」が大切らしい。

多分、この坊さんは「無」になって、お経を唱えているように見えた。

それを思ったとき、

「このお坊さん、すごい」

と思った。

 

そして、お坊さんが「無」になってくれていることにより、

私も「無」の状態になれ、

その状態に何かを感じて

涙がでているような気がした。

 

「無」になったとき、

仏教ではどうなのかは知らないけど、

他の教えでは

「本当の自分」

があると聞く。

普段は雑念や思考、心にとらわれすぎて、感じられていない「本当の自分」の感覚を

このお坊さんのお経を聞くことで、

それで「無」の感覚になることで、

感じられて、涙がでてきたような気がした。

 

誰かにこのことを聞いてほしかったのだけど、

親族でこんな話ができる方いないので、

ちょっとこちらに書かせていただいた。

 

 

 


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