突然ですが、おうちを建てます☆

お菓子作り、お庭、ハーブ、料理、うちの犬のことなどについて書いています。

ひとりごと(法事)

2011-06-05 11:19:02 | ひとりごと

*カテゴリー「ひとりごと」は超個人的な気持ち等を書いていますので、ご興味のないかたは、飛ばしてくださいませ。

 

 

先日、祖母の三回忌だった。

祖父母のお墓は都心のお寺にある。

そのお寺さんで、法事は毎回行われる。

 

このお寺、都心でもかなり伝統のあるお寺。

私が1歳の時に祖父がなくなり、

なので法事のたびに、子供の頃から、このお寺には来ていた。

子供の頃は、

「法事のやり方も、お寺も、みんなこうなんだろう」

と思っていた。

でも、今になり、当たり前でないことが分かってきた。

 

親族がこんなにきちんと集まって、法事で先祖供養をしたり、

こんな和風の庭のあるお寺で、法事ができる、

ということは、当たり前でなく、

さらに私にとってはありがたいものであったことに、

今回は気が付いた法事だった。

 

お寺は昔ながらのつくりで、

昔だったら当たり前だったろうに、

今では貴重な純和風。

あまり、物は置いてなくて、シンプルなんだけど、

置いてあるものが一つ一つ主張していないのに、

ちゃんと見ると、色々感じられる。

都心なのに、すごく心が静かになる空間になっていた。

 

 

法事のとき、お坊さん2人がお経を読まれた。

子供の頃に、このお経を聞いて、どう思ったか、なんて

覚えていない。

親戚の甥たちは、

すごく退屈みたいで、

すんごく落ち着かない様子。

 

私が子供の頃は、

もっと、たくさん いとこもいたけど、

みんなちゃんと座っていた。

親が怖かったからねえ。

 

落ち着かない様子の甥達に対し、

私が厳しいおばさんになってやろうかとも思ったけど、

すぐに普段の自分自身への甘さを思い出し、

すぐに「厳しいおばさん」になるのをあきらめた。

 

話はお経に戻る。

静かな空間でお経を聞いていると、

涙があふれてきた。

祖母の葬式のときは、

悲しくて悲しくて涙があふれて、止まらなかった。

けど、今回は違う。

祖母に対しての、涙ではない。

 

最近、聞いた話を思い出した。

私は仏教のことをくわしく知っていたり、分かっているわけではないので、

違っているかもしれないが、

仏教では心のない状態の「無」が大切らしい。

多分、この坊さんは「無」になって、お経を唱えているように見えた。

それを思ったとき、

「このお坊さん、すごい」

と思った。

 

そして、お坊さんが「無」になってくれていることにより、

私も「無」の状態になれ、

その状態に何かを感じて

涙がでているような気がした。

 

「無」になったとき、

仏教ではどうなのかは知らないけど、

他の教えでは

「本当の自分」

があると聞く。

普段は雑念や思考、心にとらわれすぎて、感じられていない「本当の自分」の感覚を

このお坊さんのお経を聞くことで、

それで「無」の感覚になることで、

感じられて、涙がでてきたような気がした。

 

誰かにこのことを聞いてほしかったのだけど、

親族でこんな話ができる方いないので、

ちょっとこちらに書かせていただいた。

 

 

 

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ひとりごと(JINのセリフ)

2011-06-02 09:24:13 | ひとりごと

*カテゴリー「ひとりごと」は超個人的な気持ち等を書いていますので、ご興味のない方はどうぞ、とばしてくださいまし

 

 

今、テレビドラマの「JIN~仁~」に、夫婦ではまっている。

前回のシーズンのときは、見ていなかった。

たまたま、JINの再放送を見て、はまり、

今のシーズンは欠かさず録画して見ている。

こんなにはまったのは、「不毛地帯」「臨場」「龍馬伝」以来。

(なんか題名はどれも堅そうですね…)

 

最近、うちでは、なんとなく、

夫婦がそれぞれ、ひとりごとで

「仁せんせ~い」

などと言ってしまう。

意味はないんだけどね。

 

私の中途半端な知識のためとも思うけど、

昨年、龍馬伝を見ていたとき、

流れている時代とドラマの中での人物の様子、しぐさ、着物などに、

少し疑問を持つことが多かった。

だけど、JINではそれがない。

JINのHPを見ると、そのあたりの説明もあって、面白い。

そういう面でも、安心して見ることができる。

 

そんななか、JINで印象に残るセリフがあった。

「時代の渦の中でグルグル回されていると、

自分の立っている場所が分からなくなってしまう。

どこを目指していたのかも分からなくなる」。

 

初めにこのシーンを見たときは、

「ふーん」

くらいにしか聞いていなかった。

だけど、その後、私の周りで、ことあるごとに、

このセリフを思い出させるようなことが起こっている。

 

「時代の渦」

というと、すごく大きなものに感じてしまっていた。

だけど、これを

「世間の常識」

「自分や周囲の人たちの思考や感情」

などに置き換えると、

「ああ、自分は自分の立っている場所が分からなくなっている」

と思うことが続いた。

そして、

「どこを目指していたのか、分からなくなる」

 

また、他の方々に対し、

「ああ、巻き込まれて、目指しているところが分からなくなっているんじゃないのかな」

と思うときもある。

 

「世間の常識」

「自分や周囲の人たちの思考や感情」

に巻き込まれたほうが、

寂しくないし、

自分に自信がないときなんか、

巻き込まれたほうが安心してしまうこともある。

 

そんな風に思えて、すでに巻き込まれているのかもしれない。

 

このJINの回では、田中さんのこういうセリフもあった。

「ともに渦に飲まれては、意味がない。
友として先生がなすべきことは、
その方の道標となることではないでしょうか。
暗い渦の中からでも、目的地を見失わぬよう、
明るく輝く、道標になるのです。

先生ご自身が、無尽灯のように」

 

寂しさから、巻き込まれそうになるのだけど、

ふと、周囲を見て、道標になってくれていた方に気が付くと、

「はっ」

とする。

そんなとき、自分の中で自分のいる位置が変わる。

最近、ちょっとそれを繰り返している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ひとりごと(公園)

2011-05-25 06:02:07 | ひとりごと

*カテゴリー「ひとりごと」は私の超個人的な気持ちなどを書いていますので、ご興味のない方はどうぞ飛ばしてくださいまし

 

毎日、うちの犬の散歩に公園へ行く。

まだ、このブログが建築日誌だった頃にも書いたが、

今の土地と家を買うと決めたきかっけの一つである、公園である。

その公園は単に遊具があって、その周囲に数本の木が立っている、という公園ではない。

規模は小さいけど、昔の自然をそのまま残して、保存している公園。

本当の保存区域には、フェンスが張られ、決められた時間しか入ることができない。

(そこは犬も入ってはいけない)

 

土地を買うとき、一番重要視したのは夫の会社から通勤に便利であること。

次に重要だったのは、私にとっては公園だった。

私の親は

「土地を買うなら交通の便がよいとこがよいに決まっている」

という人だったので(多分、これが多数の考えだろう)

私の考えに反対はしなくても、「なんでだ」みたいには思っていたようだった。

 

私が育ったのは川崎だった。

全国的にも川崎は工業地帯で有名だけど、

私の育ったところも、今思うと工場が多かった。

それも、かなり有名な工場。

私の家の近所は住宅街ではあったけど、

住んでいる方々は、その工場に働く方が多かった。

親は自然が好きなので、年に数回、山とか森林公園とか連れて行ってくれたけど、

私はなんとなく、身近に林があったらいいなあ、と子供の頃から思っていた。

 

近所に大小の公園はあったけど、あまりに整備されすぎていることに

子供ながらに違和感を感じていた。

ただの林があれば、それで十分なのに…

なんてよく思っていた。

 (大人になってから、森林の手入れは大変と知ったが…)

 

 

就職してから山形の友達の家に、他の元同級生と一緒に行ったことがあった。

車で案内してくれて、その道路沿いの森林の緑がすごく綺麗だった。

私がそれに感動していたら、その運転してくれた友達は

「いつも見ているから、分からないけど、それって都会人ぽいよね」

といわれた。

毎日みていると、そんなもんなのかな、なんて思った。

 

10年くらい前、横浜線の中山にある「四季の森」へ行った。

昔の自然をそのまま残そうとしている公園。

「四季の森」の周辺は住宅街なのに、

「四季の森」の中は自然が昔のまま(であろう)残っている。

中山駅からも、そんなに遠くない。

それで、家を買うなら中山、と内心思うようになっていた。

 

しかし、いざ、買おうとしたときには、中山に地下鉄開通が迫っていて、

土地の値段が一気に上昇。

それで、実際探したのだけど、よさそうな土地が見つからなかった。

 

そんなこんなで見つけたのが今の土地。

近所の公園も「四季の森」よりは規模は小さいけど、

木々はいっぱい。

中に入ると癒される。

毎日こんな公園で犬の散歩ができて、ものすごい贅沢だなあ、と思う。

4月は桜が綺麗だった。

だけど、私はその後、一斉に新緑になる頃がもっと好きだ。

小さい黄緑色の葉が一斉に出てきて、

ものすごく綺麗に見える。

 

また、最近は雨上がりの曇ったときが、割と好きだ。

湿気のせいか、緑のにおいがする。

以前、外国へ行った時や国内の旅行でも、

こんな感じを味わって、「いいなあ」と思っていたけど、

近所のこの公園でも味わえたんだ、と今更ながらに思う。

写真にとってもあまりいい絵にならないので、撮影はしないけど、

こういう日は人も少ないし、かなり一人と一匹で浸ってしまう。

 

 

 

 

 

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しばらくお休みのごあいさつ

2011-04-06 11:55:38 | ひとりごと

このたびの東日本大震災で被災され皆様に、お見舞い申し上げます。

いかがお過ごしでしょうか。

こちらのブログもしばらくお休みしてしまいました。

それで、ついにしばらくお休みさせていただきたく思います。

特にすごく具合が悪くなった、とか、急にすごく忙しくなった、

というわけではないのですが、

どちらかというと、一時期持っていた

「食べ物やお菓子作りについて、書きたい!」

という気持ちが静かになってしまったため、という感じです。

 

お菓子は相変わらず、作っています。

青汁入りカステラ、青汁入りパン、(ファンケルの試供品の青汁粉末が家にあったので)

チーズケーキ、チョコ柚子シフォンなど。

 

震災以降は節電を意識して、あまり作らないですが、

一応うちはエコウイルというガスの発電があるので、

それを使って作ったりしています。

 

ちなみに今年のバレンタインデーは、

栗原はるみさんのレシピのアーモンドコーヒーケーキを作りました。

(夫にはチョコじゃないじゃん、と言われましたが、チョコ色だからいいじゃないか、といいました)

ちなみに、うちのチョコ(犬)は

こんなんだったのが、

↓こんなに、でかくなりました。

5キロはあります。

ミニチュアダックスだったはずなのに、

今ではデカダックスに近づきつつあります…。

散歩で会う犬友達からは、「おいしそうな色」と褒めて?もらっています。

 

 

ブログを始めさせていただき、

今まで色々な方にお読みいただいて、とてもうれしかったです。

どうもありがとうございました。

また、しばらくすると、再開させていただくかもしれませんが、

まずは、お休みさせていただきます。

 

 

 

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ひとりごと(グラウンディング)

2010-07-30 11:07:30 | ひとりごと
グラウンディングのこと。
私は数年前、初めてリーディングを受けたときに、
私はグラウンディングが弱い、
ということを知った。
その前にレイキのアチューメントを受けていたので、
グラウンディング、という言葉は聞いたことがあった。
でも、具体的にその方法の説明は受けていなかったので、あまり重要視していなかった。

その後、1年に1度くらい、リーディングを受けていたが、
そのたびに、グラウンディングが弱い、と言われた。
最初のうちは、自分でも色々方法を調べ、またはセミナーなどで指導を受けた。
でも、あまり変化がない。
リーディングだと、こちらが質問しなくても、丁寧に説明してくださる方も多い。
でも、大変失礼な話だが、
当時の私は、グラウンディングの説明を聞くのも、いやになるようになっていた。

それで、まずは一生懸命になることを止めてみた。
楽しんでやってみれば、というアドバイスもあるけれども、
「したいのに、できない」
という気持ちが、どうしても先にたってしまい、
それを無理に楽しめ、と言われているような気持ちになっていた。
それで、返って辛かった。
(あくまでも、私がそのように受け取っただけで、アドバイスをくださった方に、そういう気持ちがあったかどうかは分からない)

その頃、自分はグラウンディングが強くなっている、という感覚はなくても、
人を見て、「この方は、グラウンディングしている」などは分かるし、
そういう方は、すてきだな、と思うことが続いた。
それで、マイペースに、グラウンディングのことに向き合っていた。

それが、ここ半年、少し自分でも変化がでてきたことに気が付いた。

まず一つは、とても恥ずかしい、と思うような経験をした時のこと。
詳細を書くと長くなるので、簡単に書くのだけど、
私がしたことで、多数の方に対し、とても悪いような気持ちになったことがあった。
同時に、そんな自分を恥ずかしく感じた。
恥ずかしい、で頭がいっぱいになった。

今までなら、たいてい、こういうときは、その恥ずかしさを忘れる努力をしていた。
テレビを見たり、
大好きだけど、いつもはがまんしているような、おいしいものを食べたり、
まんがを読んだり。

でも、このとき、その頃読んでいた本の内容が頭によぎった。
自分の感情とどうつきあうか―怒りや憂鬱に襲われた時
ジョン ラスカン
河出書房新社

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この中に、「心配」という気持ちは、その下に「感情」が存在している場合がある、というような内容がある。
つまり、その下の「感情」を感じるのが辛いか、または何かしら感じることに抵抗して、
感じないようにし(自分の感情を無視)、
その上に「心配」という気持ちを重ねて、その感情をさらに感じないようにしている、ということ。(説明がくどくて、すいません(‥;))

それで、私は、この「心配」というのは「恥ずかしい」も同じような気がした。
(もしかしたら、記憶は定かじゃないけど、「恥ずかしい」も掲載されていたかも…)

このとき、私の頭の中は
「なんで、あんな恥ずかしいことをしてしまったのか?」
という気持ちでいっぱいで、
とても心の中を掘り下げてみたい、という気分じゃなかったけど、
見てみることにした。
そのとき、グラウンディングの意識(私の場合は、レバナ先生の本の中のスキル)も、持ってみた。

そしたら、「恥ずかしい」の下には、
自分がしたいようにできなかった「悲しみ」
誰も味方になってくれるようなことを、言ってくれなかった「怒り」
があることに気が付いた。

この感情は、そのとき、目の前にいた人とは関係ない。
目の前にいた人は、私がこの感情を思い出すきっかけになってくれてはいるけど、
本当はこの感情は、私の心の中に、元々あったもの。

これは、幼児時や、過去世で心に残り、感じるには辛すぎて、押さえ込まれた感情。

今まで、こういう感情を癒す方法も幾つか習ったり、学んだりしてきたが、
このときはまずは、グラウンディングを意識してみた。
そしたら、しっかり、私の感情を受け止めてくれているような感覚と、
癒されるような、感覚を感じた。

これにはびっくり。

まず、思ったのは、
「ああ、私の中のこの感情を癒して欲しがっていて、今回のような出来事があったんだな」
ということ。
また、以前だったら、抑えた感情を癒す感覚は、こんなにすぐに感じられなかったのに、
早かったこと。
グランディングの重要性を、今までたくさん耳にした理由が分かる。
でも、私には、段階が必要だったみたい。


また、別の出来事。
夫婦喧嘩のきっかけ、となるパターンで多いのが、
「私はそういうつもりで言ったのではないのに、夫が悪いほうへ解釈し、激怒する」
というパターン。
このパターンでは、私も色々自分をみてきたこともあり、以前とは変わってはきていた。

初期:夫の機嫌をそこねるようなことを言った、私が悪いと思う。

中期:夫が私の言動に、極端に反応している、ということが感覚的に分かる。
「私が大切なのは、今、このことで自分がどう感じているか?である」
に気持ちを向けるように意識する。
こういうときは、私が謝れば、夫はとりあえずは納得する様子。
でも、悪い、と思っていないのに、心のにもない「ごめんなさい」とは言えない。
なので、私は自分の気持ちを大切にしたい。

最近:まずは、私の行動・言葉のどこに、夫の感情を刺激するような内容があったのか聞く。
そして、そのとき、夫の心の中にどんな感情が起こったのか、さらに聞く。
その後
「そっか、私はそういうふうに受け取るとは思わなかったんだ。ごめんね」
と言う。


実は、この最後の「ごめんね」という言葉、以前はいえなかった。
理由は上記にも書いてあるが
「思っていないことは、言えない」
ということ。
でも、最近は何の抵抗もなく、言える。
以前のような抵抗がない。
これは自分でも楽な状態。

最近のちょっとうれしい話。



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ひとりごと(『龍馬伝』のお龍のセリフ)

2010-07-27 17:11:15 | ひとりごと
もう、大分前に放送した回になるのだけど、
いまだに心に残る、おりょうさんのセリフがある。

まずは、そのセリフのある第24回「愛の蛍」のあらすじ
2010/06/13放送

NHKHP
http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/story/index.html#24
より抜粋


京の池田屋に向かった龍馬(福山雅治)は、亀弥太(音尾琢真)の死を目の当たりにする。池田屋を襲撃したのは新選組だった。
怒りに震える龍馬は、引き上げていく新選組に挑もうとするが、居合わせた桂小五郎(谷原章介)に止められる。
桂は池田屋で殺された者たちの無念をいつか必ず晴らすと誓う。

龍馬はお龍(真木よう子)の家に身を隠していたが、亀弥太の死を防げなかった自分自身にいらだっていた。
そのころ、勝麟太郎(武田鉄矢)は幕府の老中に呼び出され、池田屋での策謀に神戸海軍操練所の浪士がいたことについて詰問される。
お龍は、亀弥太が志を貫いて死んだのだから褒めるべきだと龍馬に言う。
その言葉を聞き、龍馬も自分の志を取り戻す。
京を出発して、神戸に戻ろうとする龍馬。龍馬は伏見の船宿・寺田屋で亡き母にそっくりの女性を目撃する。


上記のあらすじにもあるが、お龍の台詞
「志を貫かれたんでしょ、あのお人は?
坂本さんは褒めておあげにならんとあかんのと違いますか?」

私はだいたいいつも、ドラマを見ていると主人公の気持ちになってしまう。
この回もいつもと同様、見ながら竜馬のように、亀弥太が死んで悲しい気持ちになっていた。
私は龍馬のように「救えなかった」という気持ちのくやしさはなかったけど、
でも、せっかく何か持って生まれたのに、死んでしまうのが悲しく思った。

そんなときに、お龍のセリフを聞いて、はっとした。

そうかあ、私は自分のなかの「こうあるべき」という見方で、
亀弥太を見ていたんだ。

それで、勝手に悲しんでいたんだ。

それは、亀弥太を思いやっているようで、そうじゃなかった。
それで、亀弥太に対する気持ちを見直してみた。
「よく、志を貫いたね」
そう思うと、不思議な安心感を感じる。


これらのことは、普段の生活でも、自分自身に対しても、
同じことをしているような気がする。

普段、自分に対し、
「こんなに辛いのは、あんなことをしたからだったのかも」
という言葉が浮かぶことがある。
でも、
「よく、志を貫いたね」
といような、心に寄り添う部分を、
自分の中にもっと感じたいな、と思った。




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ひとりごと(自信って…)

2010-07-26 12:45:51 | ひとりごと
*カテゴリーひとりごとは、かなり個人的な感想等を書いていますので、ご興味のないかたは、どうぞ、とばしてくださいまし。





先日、週末起業フォーラム『夏の大交流会』というのに参加させていただいてきた。

週末起業フォーラム
http://www.shumatsu.net/

元々、起業なんて興味はなかった。
ただ、大分前、たまたま通信教育で有名な「ユーキャン」の講座案内の冊子を見ていたら、
(私は昔から、カルチャーセンターなどの講座案内などを見るのが大好き)
「週末起業講座」というのを見つけた。

「会社を辞めず、好きな事を仕事にする ネットビジネスへの第一歩!」
http://www.u-can.co.jp/course/data/in_html/322/special.html

いま、受けさせていただいているセッションをしているにあたり、
セッションの内容も大切だけれども、
自営業者として基本的なことについて(例えば、青色申告とか)
大切なのに知らないことがあるかも、と思い、それで目に止まった記事だった。

でも、通信講座に申し込む気持ちにまではならず、
(この講座は、まず、どんなことを仕事にできそうか、というところから、
始まっているから、自分とは関係ない内容も多いような気がしたので)
でも、このフォーラムのHPだけはチェックしていた。
それで、「夏の大交流会」というイベントがあることを知り、
参加させていただいた。

形式は、学会のような感じ。
お部屋が幾つかあり、そこで時間によってあるテーマに沿ったお話をされていた。
また、無料でコーチングやコンサルティングも受けられたので、
私はこれが一番の魅力で参加させていただいた。

当日、会場へ行くと、男性が大半。
もう、私はいい歳だけど、大学時代を思い出した。
(うちの大学も、男性が多かった)
年齢は20代後半~50代くらいの方が、中心のような感じがした。
最近、一人で人が多いところへ行くことは少ないので、少し緊張した。

本当は10時から、こちらの代表の藤井さんの講演があったのだけど、
時間的にその時間に伺うのは無理で、それを聞くことはできなかった。
でも、今回参加させていただき、
来年は調整して、是非藤井さんの講演を聞かせていただきたいな、と思った。

私はこの日の夕方も用事があった。
それで、今回は2つの講師の話を伺い、
コーチングとコンサルティングを受けさせていただいた。

このお二人の講師の方は、ご自分で起業されている方。
今までの、私の周りにはいないご経験をされている方のお話なので、
面白く聞かせていただいた。
「是非、起業するぞ」
という意気込みはないので、
私の見方は、もしかしたら、他の方とは少し違うかもしれない。

講師の方のお一人は、
「誰もしないようなくだらないことを、形にしたい」
という仕事をして成功されている社長さん。
もう一人は、
「(私の印象ですが)自分ができることをしていったら、それが仕事になっていた」
という、私と同い年の方のお話。

まず、前者の方の発想は面白かった。
(その前に、この方の人生経験のお話も面白かったけど、ここでは省略)
例えば、今までのお仕事の例のお話で、「ミカン箱」を作った話。
「ミカン箱」とは、あの「みかんの入ったダンボール」ではない。
本当に、昔、ダンボールが流通してなかった時代の、木の箱。

有名は話(私は知らなかったけど)で、
かの本田宗一郎さんは
「朝礼のたびにみかん箱の上に立って「世界一になる」と叫んだ」
らしい。
他にも、似たような方がいたらしい。
それで、今、ミカン箱のない時代、
「ミカン箱がなかったら、成功できないじゃん」
ということで、作ることにしたらしい。
お値段、約5万円。
どのくらい売れたのかは、お話にはなかったので、分かりませんが。

上記の後者の方のお話も、
兼業として、自分で何年も仕事をされている方のお話として
とても分かりやすくて、初心者にはよかった。
自分で仕事を始めるためのノウハウ本というのを、
実は読んだことがないこともあり、
(他の種類の本は、たくさん読むんだけど…)
やはり生の声を聞かせてもらえるのは、とってもよかった。

お二人に共通して思ったのは、
自分自身のことを、自然に見ているということ。
それが、すごくいいな、と思った。
私の思い癖で
「私には、まだ、知識が足りないかも」
「何か悪いことをしているかも」
など、こういうフィルターを通して、自分の行動を見ているところがある。
そうすると、自分を本当に客観的にみていない。
そうすると、自分の本来もっている、自分らしさ、能力に気が付きにくくなってしまう。

今回受けさせていただいた、コーチングでも、結局のところ
「自分に自信がない自分がいる」
というところに行き着いた。

話は変わるけど、この日、夕方は夫と出かけていた。
帰宅途中、この話をした。

夫「自信て、何もしないで、自信ってつかないんじゃない?
やっていくうちに、自信てついてくるんじゃないの?」

私「そうそう、20代の頃はそう思ってた。
そういうふうに、大人からも言われるしね。
仕事をしていて、『あ、自分にこの知識が足りない』と思うと、
それを勉強してた。
好きな分野だったし、全くそれが苦じゃなかった。
勉強して、それを仕事で生かせれば、それが自分の自信になってた気分になっていた。
あと、困難事例をこなしたりして、経験を積むと、それも自信になった。
でも、今、私が思う自信って、それじゃないみたい」

夫「…」

私「例えばね、前の仕事では、毎日色んな人に会ってたけど、
そのときは『20代の女子』に会っている、と思う客さんはあまりいなかったと思う。
やっぱり、○○会社の人、みたいに私でなくて、私の職場代表として、
私を見ていたと思う。
だから、私も自分に自信がなくても、やれてたみたい。
だけど、今は、やはり『私』として仕事をしていこうとしているから、
そこで、私の『自信がない』というところを、見ないわけにはいかなくなっているみたい。

就職活動とかしていたら、みんなそこで、『自分らしさ』と向き合うんだろうけど、
私、しなかったからなあ」

夫「俺も就職活動、したことない」

私「例えばさあ、私がね、夫と結婚した理由が
『毎日ちゃんと給料をもらってきてくれるから』
だったら、どう思う?
確かに、大切で、ありがたいことだけど、でも
『じゃあ、相手が俺じゃなくてもいいじゃん』
って思ったりしない?
やっぱり、私も言葉にはしにくいけど、夫らしさに魅かれて、結婚したと思うんだよね。
そのその人らしさがを自分で感じられて、それが自信になるような気がする。」

夫「それは難しそうだね」

私「そうそう。
(しばらく、空白)
でももし、20代で、私が自分に自信があったら、
もっと合コンとかで、楽しんでたかも。
自分から、がんがん話かけたりしてたと思うし。」

夫「それって、もし、そうだったら、俺と結婚してなかったとか?」

私「(笑)いやいや、結局結婚してたかもしれないけど、
もっと楽しい楽しい20代の青春を送ってたんじゃないかなあ、なんて」
(注:失礼な妻とお読みの方は思われるかもしれませんが、
実際は私よりも夫のほうが、合コンしてたし、
楽しい青春時代を送っているので、こんな話をしてます。)

夜、11時頃夜道を歩きながら、こんな話をしていた。
この時も、夫が何か助言してくれたわけではないけど、
ただ聞いてくれただけで、そのうち、自分の中の答えがでてきた。
無意識にコーチングしてくれて、ありがたいなあ、と思った。
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ひとりごと(ボリジ)

2010-04-19 10:01:35 | ひとりごと
*カテゴリーひとりごとは、かなり個人的な考え、思ったこと、などを書いていますので、ご興味の無い方は、とばしてくださいまし…。











昨日紹介させていただいた、北野佐久子先生の本
「基本ハーブの辞典」
には、ボリジの歴史も書いてある。

ヨーロッパで、ボリジはどのように言われ、利用されてきたか、という歴史。
「私、ボリジはいつも勇気をもたらす」
「ボリジのない庭は勇気に欠けた心のようだ」
という古いラテン語の詩があるらしい。
また、昔、ボリジには
「心の憂さをはらし、気分を引き上げる」
効果があると称されていたらしい。

またディオスコリテス(ネロの軍医だった)やプリニーは
「この葉と花とを浸したワインを飲めば、あらゆる悩み、悲しみが払われ、
楽しく陽気になれる」
といったらしい。
また、オデュッセイアを書いたホーマーも
「(ボリジの入った)ワインが全てを忘れさせる効力があった」
と書いているそうだ。
(これは、ボリジの効果でなく、ワインのアルコールの効果じゃないの?
って、少し思ってしまったが…)

それで、思い出したのが、先日見た夢。

あまり想像したくないことだが、母が亡くなった夢だった。
突然だった。
死因は胃の急な出血だった、とのこと。

今まで、母に対しては、恥ずかしい話だけれども
「こうしてほしかった」
「あんなこと言って欲しくなかった」
など、過去に色々な思いを持っていた。

しかし、夢の中で「亡くなった」と聞いた瞬間から、
「こうして欲しかった」
という気持ちが一瞬に消えた。
そして、
「あんなことをしてくれた、こんなこともしてくれた」
というしてくれたことばかり、思い出し、感謝の気持ちでいっぱいになった。

ものすごく、不思議な感覚だった。
なんで、
「亡くなった」
ということで、一瞬にして、こんなに意識が変わるのか。
最近では母へ
「こうしてほしかった、あんなことしてほしくなかった」
とは言わないが(自分の中のこと、と思うになったので)
でも、過去の悲しみをふとした瞬間に思い出すこともある。
それはそれで、いいと思っていた。

でも、夢の中では、それもなかった。
ただ、してくれたことの感謝で、いっぱいになっていた。


話はボリジに戻る。
ボリジの話の中の「忘れる」「勇気」ということ。
夢の内容と重なるような気がした。
「もう、あなたは癒されているんですよ。忘れて大丈夫ですよ。勇気をもって。」
勇気が必要かどうかは、ちょっと?だけど、
でも、そういう風に言われているような気がした。
そして、夢が教えてくれたことで、一番ありがたかったのが、
「忘れると、感謝しか残らない」
ということだった。

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(写真は、ボリジのつぼみ。たくさん。これが全部一気に咲いたら、すごそう…)
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ひとりごと(意味ありげな夢)

2010-04-11 13:30:57 | ひとりごと
*カテゴリーひとりごとは、かなり個人的な感想等を書いていますので、ご興味のないかたは、どうぞ、とばしてくださいまし。




朝、夢を見てから、目が覚めた。
かなりはっきりした夢。
内容が面白かったので、すぐに夫に話した。
内容はこんな感じ。

夢の中では、夫と朝食食べていた。
夫が会社の同期のO君の話を、し始めた。

夫の会社の同期のOくんは、最近、土曜日のランチに、友人宅へ訪問しているらしい。
そして、ランチを食べた後、お礼にその友人宅へ100万円置いていくそうだ。
その100万円は、うち、10万円はその友人へのランチのお礼代。
残りの90万円は、Oくんが飼っている、鳥のピーちゃんのため。
ピーちゃんは放し飼いなので、いつか、この友人宅へ来るかもしれない。
そのとき、90万円の一部を使って、ピーちゃんにご飯を上げて欲しい、とのことらしい。

夢の中で、私はこの話を聞き、
「鳥のために、100万円を友人にあげるなんて、すごい。
でも、それだけ、Oくんにとって、大切な鳥なんだろうなあ」
と思った。


こんな夢だった。
それで、その夢を見て、起きた後、夫へ話した。
それで、話しながら
「もしかして、これは、何かのお告げ?」
って思った。
なぜなら、なんかわざと、気になるような感じの内容の夢。
なぜ、Oくんは単に友人へ90万円渡さなかったのか?
なぜ、ランチのお礼に100万円を渡す、ということをわざわざしているのか?

また、なぜ、Oくんだったのか?
Oくんは夫の同期で、私はそれほどお話したことがない。

なんとなく、謎解きはせきているのだけど、それがあたっているのかどうかが不明。
当たっていたら、後日報告するかも。
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ひとりごと(茄子は茄子らしく)

2010-04-05 09:18:57 | ひとりごと
*カテゴリーひとりごとは、かなり個人的な感想等を書いていますので、ご興味のないかたは、どうぞ、とばしてくださいまし。





先日、何かを読んでいたら、こんな内容が書いてあった。
何で知ったのか忘れてしまって、「どこから引用」とかかけないのが、ちょっと著作権的に気になるのではあるが…

人は本来既に生きるために必要なものを、持っているらしい。
だから、
何か新たに身につけようとがんばったり、
自分でないほかのものになろうと、変わろうとする
そんな必要なない。
大切なのは、自分が何を持っているか、
自分の中をよくみること。

これは、先日書いた、龍馬伝の吉田東洋のセリフの感想にも似ているなあ、と
後から思った。

それと関連して、先日のハコミのワークショップのときにも、
似たような気づきがあった。

あるセッションで、二人組みになった。
詳細は省略するが、そのなかで、私の心の中でなぜか
「なすび」
が浮かんできた。
そう、あの夏になる、
「茄子」
その茄子は広い畑のなかで、たくましく育っている。
茎は地面から上に伸び、その茎に立派な茄子がなっていた。

そして、その茄子は
とっても「茄子」らしく
つやつやして
とってもきれいな紫色で
自然と一体になっている感じだった。
そして、茄子は「茄子として」
すでに必要なものを、全部もっているように思った。
そして、堂々としていた。


そして、そのシーンを眺めていたら、なぜか「どっつ」と涙が出てきた。
「茄子は茄子らしく、していていいんだ」
そんな言葉が浮かんだ。
涙が止まらなかった。

なんか変な漫画みたいな話で、自分でも
「なんで茄子を見て、泣いているんだ」
なんて思う自分もいた。

たぶん、それは、私が今、欲しがっていた、
誰かに言って欲しかった、セリフなのかもしれない。
(実際は、誰かが言ってくれたのではなく、勝手に私の心の中で起こったことです。
夢、みたいな感じですね)

なんか、こんなにシンクロが重なることも珍しいので、
たぶん、かなり大切なことなのかも。





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