*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご覧になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。
そんななかで、分ったこと。
「コモンセージ」は昔(ヨーロッパにて)、「長寿をもたらす」「知恵を高める」ハーブとされていたそう。
「セージ」は「賢者」という意味、ラテン語の「サルビア」は「救済」を意味するらしい。
「賢者」かあ。
セージをそんな風に見たことはなかった。
でも、セージからのメッセージだったら…なんて、思ってみた。
過去の2件のなかで、「私が悪いんだ」と思うことで、自分の悲しみを感じないようにしていた。
でも、多分、心の奥底で、その悲しみを感じてほしいから、その悲しみが出てきている。
だから、じっくりそのことを感じることにした。
同時に、感情に沈むだけでなく、少し客観的に(セージのように賢くなって)見てみることにした。
それで思ったこと。
・私は不機嫌になった相手の気分の全責任を感じなくてよい。
・確かに相手は、私がしたことをきっかけけに不愉快になったかもしれないが、それで私に強く感情的になったときは、相手の心の中に何か悲しみがあるから。(でも、相手はそれに気が付いていないケースが多いが)
・不機嫌になった相手は、私に全責任を負って欲しいのではなく、単に「私はあなたのせいで、こんなにいやな気持ちになったのよ」という気持ちを尊重して欲しいのではないか。
私は好きな人とは、笑顔でいたかった。
でも、私がしたことで、笑顔どころか不機嫌にさせてしまったことが、悲しかった。
それで、せめて気持ちだけでも「私が悪い」と全面的に受け止めようとした。
でも、そうすると、自分の心に悲しがっていた。
最近、私の師匠から教えていただいたことだが、こういうときは同じ「ごめんね」でも「心により添えなくて、ごめんね」と思ってみたら、と言われた。
確かにこのほうが、心にすんなりきた。
同時に祖母のことを思い出した。
私が物心付く前は、祖母が世話をしてくれ、いつも心により添っていてくれた。
当然覚えていないはずなのに、なぜか、その感覚は覚えている。
でも、私が物心ついたころは祖母とは離れていて、同時にそのことも忘れてしまった。
そして、30才過ぎてもそのことを思い出すこともなかった。
私は物心つく前に祖母に、私のどんな気持ちにも、心から寄り添ってもらったことで、とても幸せに感じていた、ということ
でも、両親は祖母ほど精神的に余裕もなく、幼い私は寄り添ってもらえないことにすごく悲しみを感じたこと
あまりに悲しかったので、心から寄り添ってもたうことをあきらめたこと
これらは無意識でされたことだったので、幼い私には単に「満たされない気持ち」のみ感じ、いつも心の中に不安があったこと
こんなことも、最近、分ってきている。
子供の頃から、私の中には、自分をいつも、社会に会わせようとコントロールしようとする自分の存在が大きい。
それで、いつも無意識に緊張していた。
セージを生かせなかったこともそう。
いつも常に「人から後ろ指をさされないように」と行動するくせがつき、それができないと、自分を責めるようになっていた。
自分を責めて苦しめないと、また、同じようなことをしでかす、と思っていたから。
過去の経験から、他人は自分の都合のよいようには受け取ってくれない。
だったら、いつも正しくいれば、そんな心配や悲しみもなくなる、と思うようになっていた。
自分の本当の声を無視するようになっていた。
でも、それに限界がきていることも感じていた。
そんなとき、祖母のような、私の気持ちに全て寄り添ってくれるような、愛情の大切さが初めて分った。
自分を正当化するのでもなく、かばうのでもなく、ただ、そのまま受け止めてくれる。
それは、とてもリラックスして、安心できる感じ。
でも、それは、そこに昔からあったのに、当たり前のようになっていて気が付かなかった。
子供の私は心を閉じ、感じようとしなかった。
でも、祖母が亡くなった今になって、感じようとすると感じられる。
植物と同じだ、と思った。
そして、人の心の中にもそんな存在があるらしい。