突然ですが、おうちを建てます☆

お菓子作り、お庭、ハーブ、料理、うちの犬のことなどについて書いています。

今朝どれトマト

2009-06-30 09:26:30 | 家庭菜園
初めて苗から育てたトマトに、立派に実が付いた。
それで、今朝、収穫し、食べてみた。
昔、取れたてのトマトはおいしい、と聞いていたが、さて…

市販のものよりも甘くなく、はじめは「あれっ」と思った。
でも、トマトって本当はこんな味なんだろうな、とも思った。

話は変わるが、近所のスーパーの広告に
「今朝どれレタス 午前1時に収穫しました」
という広告があった。
午前1時って…夜中じゃないか…なんて、一人突っ込みを入れたくなった。

夜中どれレタス…

「○ーパーの裏側」という本の影響だろうなあ、と思いつつ、夜中に作業する農家の方の苦労を思った。
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イタリアンパセリ入りパン

2009-06-24 09:48:43 | ハーブ
うちのイタリアンパセリの生長が著しく、なんとか使いたかった。
ただ、パセリってだいたい料理の添え物な感じで、パセリメインの料理ってあまりない。
ネットで色々なレシピを見ていたら、イタリアンパセリ、レモンバーム、ローズマリー、こしょう(この「こしょう」が味の決め手だった)を入れたパンのレシピがあった。
これらのハーブのみじん切りをパン生地に入れて焼くもの。
かなりハーブを消費できそうな気がして、これを作ることにした。

今回はイタリアンパセリを大量に入れたので、作っている時から心配になった。
計量はしないで入れてしまったのだが、多分レシピの倍は入れたかも…。
イタリアンパセリはローズマリーほどではないが、少しくせはある味。
栄養はとってもあるんだけど、おいしくないと食べられないし。

なので、作りながら「イタリアンパセリくん、おいしくしてね」とかなり祈りながら捏ねた。

結果は写真のとおり。
見かけはまあまあ。
ただ、今回も思ったように中まで焼けなかった。
1回目 200度20分(レシピどおり)
2回目 180度30分
1回目に中の焼け具合に満足がいかず、2回目は温度を変えてみた。
でも、2回目中は同じ感じの焼け加減だった。

後で色々調べたら、パンは高温で一気に焼いたほうが、乾燥しすぎず、よいらしい。
知らなかった…

前回も似たような問題があったので、調べてみて、生地の成型に問題があったように思った。
それで、今回は成型に気をつけてみた。
でも、原因はこれではなかったらしい。

うーん、リベンジしたくなってきた。
今すぐ、また、作りたい…。
でも、まずはこのパセリパンを消費しなくては…

ちなみに味は思ったよりはおいしかった。
祈ったかいがあったよう(^^ゞ
夫もおいしいと言ってくれて、食べてくれたので一安心。
なんとなく、肉料理にあう感じの味だった。

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バジル入りパン(ベネシアさんのレシピ)

2009-06-18 10:03:07 | ハーブ
ベニシアのハーブ便り ― 京都・大原の古民家暮らし Venetia\'s Ohara Herb Diary
ベニシア・スタンリー・スミス Venetia Stanley-Smith
世界文化社

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この本の中から、バジル入りパンを作った。
本の中では「バジル入り全粒粉パン」となっていた。
でも、全粒粉が安くなかったので、粉は全て強力粉で作った。

最近、家のバジルがものすごく生長し、剪定しなきゃなあ、と思っていた。
でもバジルペーストを作るほどの量はない。
それで、これを作ることにした。

パン作りは高校生のとき以来。
そのときは本に書いてある通りに作ったらうまくできた。
なので、あまり心配していなかったが、結果は…。

書いてある通りの時間にオーブンから出してカットしたら、中まで焼けていなかった。
その後、さらに焼いたら、それなりのものはできた。

写真は作ったものの二分の一。
本に書いてあった分量の半分で作ったのだが、でかかった…。
思ったよりも時間がかかり、夜の10時半に完成。
味はおいしかった。
でも、焼き方に工夫の余地がありそう。
バジルを有効に使えたのもよかった。

昔はレシピ本に載っているケーキやパンがおいしそうだったから、食べたくて作っていた。
(おいしそうなケーキを買いたくても、自由に買えなかったし)
過程はどうでもよく、結果(おしいかどうか)が重要って感じ。

でも、今回、パン作りってこんなに楽しいんだ、って初めて思った。
発酵を待ったり、焼きあがるのを待つのは、お菓子作りとはまた違うわくわくした感じ。

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レモンバームのシフォンケーキ

2009-06-17 09:42:36 | ハーブ
昨日、「レモンバーム入りしフォンケーキ」を作った、とは書いたが、実はあの時点ではしっかりと味見はしていなかった。
翌日、しっかり食べたところ、かなり美味しかった。

本にのっていたレシピと比べ、かなり変更したので、ちょっと味が心配だった。
お菓子作りの基本はレシピどおり、とは素人の常識みたいなものと思っていたから。

レモンは皮とレモン汁のみを入れるのに、私はレモンのはちみつ漬けにしたものをフードプロセッサーにかけて加えた。
(レモンの白いところを入れると、苦味がでる、と書いてあったのに…)
レモンのはちみつ漬けを大分前につくり、そろそろ消費しつくしたかったのだ。

また、レモンバームの葉はかなり入れた。
砂糖の量はまよったが、レシピどおりに入れた。
それで、レモンのはちみつ漬けを入れていたので、ケーキにしたときに甘すぎてしまうんじゃないかと、少し心配した。

実際の味は、レモンバームのお陰で香りもよく、味もレモン風味たっぷりでおいしかった。
たまたま会う機会があったので、両親へもあげたら、好評だった。


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ハーブのシフォンケーキ

2009-06-16 23:10:30 | ハーブ
なかしましほ さんのシフォンケーキの本を買った。
夫が「シフォンケーキが好きかも」と言っていた頃、たまたま本屋でよさそうなこの本を見つけて、買ってしまった。 
シフォンケーキは普通、卵黄と卵白を分けて作るが、そのさい、卵黄が余るような作り方のレシピが多い。
でも、この本は必ず卵を使い切る。
ただ、普通のシフォンケーキよりもちもちしているので、あのやわらかさを求めている方にはお勧めできない。

作ったのは
ペパーミント入りチョコシフォンケーキ
レモンバーム入りレモンシフォンケーキ

こんな題名のレシピはこの本にはない。(^^ゞ
勝手に私がハーブを加えた。

ペパーミントは本当は家で増やすために、苗が欲しかったのだが、どこにも売っていなかった。
それで、スーパーの野菜売り場にパックで販売されているペパーミントを買って、鉢に植えた。
(ペパーミントはすごい生命力なので、これだけで成長してしまう)
でも、パックの葉、全部植えたらすごいことになるので、残りをケーキにした。

レモンバームは一月まえに苗を買ったらすごい元気。
それで、剪定もかねて、使いたかったから。

チョコシフォンケーキは友人にも少し分け、好評だったので、それもまたうれしかった。

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ひとりごと(またまたラベンダー 2)

2009-06-09 06:40:02 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご覧になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。



前回までは、ラベンダーとの付き合いを書いた。
今回は、その後の話。

私はたまに「緊張しているように見える」といわれることがある。
自分ではそんなつもりはない。
ただ、最近、ハコミセラピー関係の本を読んでいたときに、気になったところがあった。
(「ハコミを学ぶ―科学・魂の成長・サイコセラピー」ロン クルツ著 手塚郁恵翻訳 http://www.amazon.co.jp/%E3%83%8F%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%82%92%E5%AD%A6%E3%81%B6%E2%80%95%E7%A7%91%E5%AD%A6%E3%83%BB%E9%AD%82%E3%81%AE%E6%88%90%E9%95%B7%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%83%94%E3%83%BC-%E3%83%AD%E3%83%B3-%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%84/dp/439332224X/ref=pd_sim_b_3)



ハコミセラピーでは、カウンセラーはクライアントへ
・この場は安全だ
・何を言っても受け入れてもらえる
・大切にされている
・聞いてもらえる
・分ってもらえる
と感じてもらうことが大切らしい。

ハコミセラピーを受けたことはない。
でも、上記のように相手がいてくれたら、リラックスして、構えず、安心して話せるような気がする。

それで、気が付いたのが、私の心のなかには、上記と正反対の声がいつもある。
・いつ何を言われるか分らない。(安全でない)
・いつも適切か適切でないか批評される
・自分より、社会や周りの人が大事
・辛い気持ちやいやな気持ちは感じても辛いだけなので、感じないように押さえる
・正しいことだったら、理解するが、間違っていたり一般的にどうでもいい感情(なぜか気になるとか)は、聞こうとしない。(気にしないのが一番!みたいな)

ちょっと極端かもしれないが、私の中にはこんな私がいて、私をコントロールしている。
そうか、だから緊張してたんだ…。

はたから見たら「へんな人」だろうなあ、とは思うが、本当に見事に正反対のことをしていた。

ただ、今まで理由がなくてこういう風に思っていたのではない。
やっぱり、辛かったり悲しかったりした経験から、こういう癖がついた。
「気が付いたから、じゃあ、明日から変えよう」
って簡単にはいかない。
しようとすると、やはりそれもコントロールしてしまっていること。

それで、
「まあ、いずれなんとかなるかなあ」
くらいに思っていた。

ある日、体の不調を感じていて、フォーカシングをしていたときのこと。
以前から、上記のように厳しい(というか、意地悪に近いかも…)自分が心の中にいるので、フォーカシングのときは、想像で祖母に話しかけることが多かった。
ただ、なぜかこの日は祖母とラベンダーが重なってでてきた。
それで思ったのが
祖母もラベンダーも人の全ての感情(苦しみ、怒り、とか)を全て知っていて、だから、ものすごい広さで受け止めてくれているように感じる、
ということ。

話はそれるが、人に「こんなことがあったのよ」と話した時、
「ああ、大変だったねえ」
と言ってくれるときがある。
その響きは人により異なる。
ただ、挨拶的に、会話の流れから言ってくれる人
心から慰めの気持ちで言ってくれる人
私はもっと大変だったのよ、とさらにもっと大変な人がいることを教えてくれる人

どれがいい、とかいうのではない。

祖母は戦中戦後を過ごし、色々な気持ちを感じたことがあるはず。
でも、そのうえで、私の気持ちをそのまま、批評しないで受け止めてくれる感じがある。
一方、経験しているからこそ、出てくる「分ってくれる」という感じもある。
そしてなぜか、ラベンダーも同じ存在のように思った。
人の色々な感情を知っているから、世界中のどんな人の心も癒してくれているような…。


「何を思っても大丈夫だよ。全部受け止めてあげるから。」
そう言ってくれているような気がした。




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ひとりごと(またまたラベンダー)

2009-06-08 06:40:38 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご覧になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。







ラベンダーとの付き合いはながい。
アロマテラピーが流行り始めた頃、あちこちでラベンダーグッズが見られ、流行り物にはあまり興味をもたない私は全く関心がなかった。
20代後半頃、自分で自分を癒しながら、仕事をがんばろう!と思っていたとき、アロマテラピーをするようになった。

勉強しながら、色々なエッセンシャルオイルを購入しては、そのオイルを生かしきれず、「もったいないなあ」と思うことが多かった。
でも、ラベンダーだけはそんなことは全くなく、今までに3,4本は使い切っている。

アロマの勉強中によく聞いたことだし、自分も本当にそう思うのだが、ラベンダーは本当に万能。
特に、いつでもどこでもリラックスさせてくれるありがたい存在。

リーディングは過去2回しか受けたことはないのだが、そのなかで
「ラベンダーが見えたよ」
と言っていただいたことがあった。
それにどんな意味があるのかどうかは分らない。
ただ、庭付きの家に越すことが決まったとき、「ラベンダーを植えよう」とすぐに決めた。

はじめにラベンダーの育て方を調べたら、
「他の植物が育ちにくい厳しい環境に生育している植物なので、水や栄養をやりすぎないように」
とあった。
そうか、厳しい環境がいいのね、と思い、うちの庭に園芸屋さんで買ってきた苗をそのまま植えた。
そしたら、数ヵ月後、みごとに枯れた。(T_T)

さらに調べていくと、私が買った 学名 Lavandula angustifolia は日本の本州の環境では育てるのは難しいらしい。
ちなみに、エッセンシャルオイルに使われるのは、この、Lavandula angustifolia なので、このラベンダーは欲しかった。
ネットで調べたら
・元々地中海地方で育ちやすいものなので、日本の高温多湿はラベンダーにとっては厳しい環境
・一応多年生だが、日本の本州では3年すると枯れることが多い。
とか、色々厳しいことが書いてある。

でも、やっぱり欲しくて、2009年5月に再度購入。
すでに花が半分咲いているもので、よい香りがした。
植物のラベンダーはエッセンシャルオイルよりやわらかい、甘い香りがした。
同じラベンダーでも、抽出したものと、植物でこんなに違うんだ~と思った。

ただ、購入後、元気がなくなった。
茎がどんどん垂れてくる。
なぜだ?!

再度調べた。
はっきりした理由は分らなかったが、どっちみち、入梅前に一度ばっさり刈り込みが必要のよう。
ラベンダーは乾燥を好むから、花を咲かせたままでは、蒸れてしまうらしい。
また、今、刈り込めば、また、7月に花を咲かせる、とのこと。

それで、ばっさり刈り込んだ。
少し垂れているとはいえ、きれいに紫色が咲いていたのでもったいなかった。
刈り込んでいるときは、ものすごく良い香りがし、楽しかった。
(植物学的には、もしかして「切らないで~」と抵抗して、出している香りなのかもしれないのですが…)

でも、刈り込み後、しばらく本当に枯れた感じだった。
かなり心配になった。
でも、昨日見たら、ちゃんと新しい葉が出てきていて、ほっとした。

(つづく)


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ひとりごと(フィーバーフュー)

2009-06-05 00:40:06 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご覧になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。



亡くなった祖母のへの気持ちで、後悔していることがある。
祖父が亡くなった後、祖母は非常にさびしがっていた。
高校生だった私は、なんとなくそれは分っていたが、だからといって積極的に何かをすることはなかった。
それは、自分自身のことでいっぱいいっぱいだったため。
また、色々なことの悲しさで、心を閉じていたため。

最近、物心付く前に祖母がしてくれたことを思い出し(覚えていないのだけど、不思議なことに感じは覚えている)よく泣くような気持ちになる。
あんなに祖母は私の気持ちに寄り添ってくれた。
私も祖母にもっと寄り添いたかった。
もっと一緒に楽しい時間を味わいたかった。
そんな気持ち。
もう、二度とできないと思うと、悲しくなる。


そんな風に思っていたとき、花瓶にさしておいたフィーバーフューが目に入った。
これは、家のフィーバーフューを剪定したときのもの。
捨てるのもかわいそうだったので、花瓶に挿していた。
花瓶に挿したとき葉と蕾しかなかったのに、今は小さい白い花が咲いている。
玄関横に植えたフィーバーフューには、今はたくさん花が咲いている。

フィーバーヒューはマーガレットのような形をした花。
キク科なので、葉は春菊と同じかたち。
葉や茎は春菊よりももっと薄い白みがかった緑。
忘れていたが、私の祖母の名は菊代という。
(おばあちゃん、とは呼ぶけど、菊代さん、とは呼んだ事がなかったので、忘れていた)
それで、何か関係するような気がして、フィーバーフューについて調べた。


少し話はそれるが、フィーバーフューもハーブであり、ヨーロッパでは昔から薬草として使用されていたらしい。
でも、買ったときはそのことを全く知らなかった。
どちらかというと
「最近、ハーブばかり買っているから、そうじゃない、普通のお花を買おう!」
と思って買ったのだ。
商品名も
「タナセツム ジャック ポット」
とあった。
聞いたことはなかった。
でも、店の商品前に掲示してあった広告の花の写真に魅かれて、買った。
(買った時は、まだ、花はなかった)
私はどうもカモミールとかマーガレットとか、キク科の植物が好きらしい。
(春菊もよく食べる)

帰宅後、『タナセツム ジャック ポット』ってどんなもんだ?と思ってネットで調べたら、ハーブの一種と初めて知った。
ハーブとしては
「フィーバーヒュー」
という名前。
ああ、また、ハーブを買ってしまった…、と思った。

話は戻り、フィーバーフューについて書いてある本は、あまり持っていない。
アロマテラピーでは使われない。
きっとメディカルハーブ関連の本には出ているんだろうけど、もっていない。
ネットで分ったことは

学名:Tanacetum parthenium L.
科名:キク科
別名:ナツシロギク(夏白菊)

tanacetum=不滅
parthenium=パルテノン神殿
比較的花が長持ちする事から、変わらぬものの象徴とされる事があるそう。
英名のフィーバーフューは、ラテン語の「解熱」と「追放する」を意味する合成語らしい。
薬効があるようで、「フィーバーフュー」で検索すると、健康食品ぽいHPの案内がたくさんでてきた。

「変わらぬもの」とは、正に私にくれた祖母の気持ち。
先日のセージのときもそうだったが、祖母も愛情をたくさんくれた。
多分、今、私が
「もっと寄り添いたかったんだ」
と言って悲しんでいるのを見ても
「ああ、そうなんだねえ。」
と、にこにこして聞いて受け止めてくれる感じだろう。
私が愛情深かろうと、そうでなかろうと、祖母は私のそのままを受け止めてくれた。
多分、今も。


そう思っていたら、私の中に過去の悲しみがあるから、こんなに悲しいことに気が付いた。
過去に親や友人へ「寄り添って欲しい」と思っても得られず、求めることを止めたこと。
求める気持ちを感じないようにするため、心を閉ざしたこと。
逆に求めている人をみると、「私も寄り添って欲しいのに」という気持ちがでてきて、苦しかったこと。

最近読んだ本の中で、次のような内容があった。
(一語一句は異なります)
(『こころの力が広がるとき―無意識からのメッセージを受け取るヒプノセラピー』 中島勇一 著
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/490326212X/)
恋人との関係において、自分にないと思って相手から得ようとするのが執着。
ないと思っていても、本当は自分にあることに気が付かないだけ。

私の場合、亡くなった祖母に今になって執着していたよう。
でも、寄り添ってくれた感覚は、自分のなかにその存在を感じるために、とてもありがたい感覚。
それを自分のなかに感じたい。






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ひとりごと(セージ)4

2009-06-04 08:35:31 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご覧になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。



そんななかで、分ったこと。

「コモンセージ」は昔(ヨーロッパにて)、「長寿をもたらす」「知恵を高める」ハーブとされていたそう。
「セージ」は「賢者」という意味、ラテン語の「サルビア」は「救済」を意味するらしい。

「賢者」かあ。
セージをそんな風に見たことはなかった。
でも、セージからのメッセージだったら…なんて、思ってみた。

過去の2件のなかで、「私が悪いんだ」と思うことで、自分の悲しみを感じないようにしていた。
でも、多分、心の奥底で、その悲しみを感じてほしいから、その悲しみが出てきている。

だから、じっくりそのことを感じることにした。
同時に、感情に沈むだけでなく、少し客観的に(セージのように賢くなって)見てみることにした。
それで思ったこと。
・私は不機嫌になった相手の気分の全責任を感じなくてよい。
・確かに相手は、私がしたことをきっかけけに不愉快になったかもしれないが、それで私に強く感情的になったときは、相手の心の中に何か悲しみがあるから。(でも、相手はそれに気が付いていないケースが多いが)
・不機嫌になった相手は、私に全責任を負って欲しいのではなく、単に「私はあなたのせいで、こんなにいやな気持ちになったのよ」という気持ちを尊重して欲しいのではないか。


私は好きな人とは、笑顔でいたかった。
でも、私がしたことで、笑顔どころか不機嫌にさせてしまったことが、悲しかった。
それで、せめて気持ちだけでも「私が悪い」と全面的に受け止めようとした。
でも、そうすると、自分の心に悲しがっていた。

最近、私の師匠から教えていただいたことだが、こういうときは同じ「ごめんね」でも「心により添えなくて、ごめんね」と思ってみたら、と言われた。
確かにこのほうが、心にすんなりきた。


同時に祖母のことを思い出した。
私が物心付く前は、祖母が世話をしてくれ、いつも心により添っていてくれた。
当然覚えていないはずなのに、なぜか、その感覚は覚えている。
でも、私が物心ついたころは祖母とは離れていて、同時にそのことも忘れてしまった。
そして、30才過ぎてもそのことを思い出すこともなかった。

私は物心つく前に祖母に、私のどんな気持ちにも、心から寄り添ってもらったことで、とても幸せに感じていた、ということ
でも、両親は祖母ほど精神的に余裕もなく、幼い私は寄り添ってもらえないことにすごく悲しみを感じたこと
あまりに悲しかったので、心から寄り添ってもたうことをあきらめたこと
これらは無意識でされたことだったので、幼い私には単に「満たされない気持ち」のみ感じ、いつも心の中に不安があったこと
こんなことも、最近、分ってきている。

子供の頃から、私の中には、自分をいつも、社会に会わせようとコントロールしようとする自分の存在が大きい。
それで、いつも無意識に緊張していた。
セージを生かせなかったこともそう。
いつも常に「人から後ろ指をさされないように」と行動するくせがつき、それができないと、自分を責めるようになっていた。
自分を責めて苦しめないと、また、同じようなことをしでかす、と思っていたから。
過去の経験から、他人は自分の都合のよいようには受け取ってくれない。
だったら、いつも正しくいれば、そんな心配や悲しみもなくなる、と思うようになっていた。
自分の本当の声を無視するようになっていた。

でも、それに限界がきていることも感じていた。


そんなとき、祖母のような、私の気持ちに全て寄り添ってくれるような、愛情の大切さが初めて分った。
自分を正当化するのでもなく、かばうのでもなく、ただ、そのまま受け止めてくれる。
それは、とてもリラックスして、安心できる感じ。

でも、それは、そこに昔からあったのに、当たり前のようになっていて気が付かなかった。
子供の私は心を閉じ、感じようとしなかった。
でも、祖母が亡くなった今になって、感じようとすると感じられる。
植物と同じだ、と思った。


そして、人の心の中にもそんな存在があるらしい。


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ひとりごと(セージ)3

2009-06-03 08:33:07 | ひとりごと
*注 タイトル「ひとりごと」では建築日誌はかいていません。建築日誌をご覧になってくださる場合は、2008年の記事をごらんください。


もう一つの思い出も似たようなもの。
自分が悪気なくしたことで、相手を非常に不機嫌にさせてしまい、
「ああ、そんなに私は悪いことをしたのか」
とすごくショックだったことがあった。
そのときも、
「ああ、世間の常識では彼女(相手)の言うことのほうが正しくて、私の意見はおかしいんだろうなあ」
と思い、悲しい気持ちがしたが、それを感じてしまうと、言い訳をしているような気がして、それを押し殺した。
(実際は、きちんと普通にあやまっただけ。)

話はそれるが、私はフォーカシングが苦手なことから分ったが、感じることが苦手だった。
最近聞いたことだが、自分の感じることに鈍いと、他人の気持ちを感じることも苦手らしい。
それはあるだろうなあ、と思う。

話はもどり、じゃあ、私が感じることに鈍いから、母や相手を非常に不機嫌にさせてしまったのか、とも思った。

そんなことを思いながら、セージを見た。
私はセージに対し、もったいないことをした、と思っている。
うまく生かせなくてごめんなさい、みたいな。
次にセージに会ったら、顔向けできない、みたいな気持ち。
(ちょっと大げさですが…)
また、それを感じたくないとも思っている。

ただ、同時に何が分ったかも考えてみた。
なぜ、衣をつくるとき、混ぜすぎてはいけないのか、大葉はなぜ、片面しか衣をつけないのか。

ふたたびセージを眺めた。
植物は愛そのものらしい。
セージを生かして、おいしく料理ができなくても、セージは何も言わない。
きっと、にこにこして
「また、取りにおいでよ」
と言ってくれるだろう。
つらい気持ちを感じているのは、私の中に悲しみがあるから、とはっきり感じた。

セージの意味を知りたくなって、調べてみた。
エッセンシャルオイルでは「クラリセージ」が使われる。
ただ、「クラリセージ」と食用の「コモンセージ」は種類が異なる。
クラリセージの説明は色んな本にでているのだが、「コモンセージ」についての記述は少ない。(あ、持っている本のなかで、という意味で)


(次回へ続く)












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