突然ですが、おうちを建てます☆

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ひとりごと(グラウンディング)

2010-07-30 11:07:30 | ひとりごと
グラウンディングのこと。
私は数年前、初めてリーディングを受けたときに、
私はグラウンディングが弱い、
ということを知った。
その前にレイキのアチューメントを受けていたので、
グラウンディング、という言葉は聞いたことがあった。
でも、具体的にその方法の説明は受けていなかったので、あまり重要視していなかった。

その後、1年に1度くらい、リーディングを受けていたが、
そのたびに、グラウンディングが弱い、と言われた。
最初のうちは、自分でも色々方法を調べ、またはセミナーなどで指導を受けた。
でも、あまり変化がない。
リーディングだと、こちらが質問しなくても、丁寧に説明してくださる方も多い。
でも、大変失礼な話だが、
当時の私は、グラウンディングの説明を聞くのも、いやになるようになっていた。

それで、まずは一生懸命になることを止めてみた。
楽しんでやってみれば、というアドバイスもあるけれども、
「したいのに、できない」
という気持ちが、どうしても先にたってしまい、
それを無理に楽しめ、と言われているような気持ちになっていた。
それで、返って辛かった。
(あくまでも、私がそのように受け取っただけで、アドバイスをくださった方に、そういう気持ちがあったかどうかは分からない)

その頃、自分はグラウンディングが強くなっている、という感覚はなくても、
人を見て、「この方は、グラウンディングしている」などは分かるし、
そういう方は、すてきだな、と思うことが続いた。
それで、マイペースに、グラウンディングのことに向き合っていた。

それが、ここ半年、少し自分でも変化がでてきたことに気が付いた。

まず一つは、とても恥ずかしい、と思うような経験をした時のこと。
詳細を書くと長くなるので、簡単に書くのだけど、
私がしたことで、多数の方に対し、とても悪いような気持ちになったことがあった。
同時に、そんな自分を恥ずかしく感じた。
恥ずかしい、で頭がいっぱいになった。

今までなら、たいてい、こういうときは、その恥ずかしさを忘れる努力をしていた。
テレビを見たり、
大好きだけど、いつもはがまんしているような、おいしいものを食べたり、
まんがを読んだり。

でも、このとき、その頃読んでいた本の内容が頭によぎった。
自分の感情とどうつきあうか―怒りや憂鬱に襲われた時
ジョン ラスカン
河出書房新社

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この中に、「心配」という気持ちは、その下に「感情」が存在している場合がある、というような内容がある。
つまり、その下の「感情」を感じるのが辛いか、または何かしら感じることに抵抗して、
感じないようにし(自分の感情を無視)、
その上に「心配」という気持ちを重ねて、その感情をさらに感じないようにしている、ということ。(説明がくどくて、すいません(‥;))

それで、私は、この「心配」というのは「恥ずかしい」も同じような気がした。
(もしかしたら、記憶は定かじゃないけど、「恥ずかしい」も掲載されていたかも…)

このとき、私の頭の中は
「なんで、あんな恥ずかしいことをしてしまったのか?」
という気持ちでいっぱいで、
とても心の中を掘り下げてみたい、という気分じゃなかったけど、
見てみることにした。
そのとき、グラウンディングの意識(私の場合は、レバナ先生の本の中のスキル)も、持ってみた。

そしたら、「恥ずかしい」の下には、
自分がしたいようにできなかった「悲しみ」
誰も味方になってくれるようなことを、言ってくれなかった「怒り」
があることに気が付いた。

この感情は、そのとき、目の前にいた人とは関係ない。
目の前にいた人は、私がこの感情を思い出すきっかけになってくれてはいるけど、
本当はこの感情は、私の心の中に、元々あったもの。

これは、幼児時や、過去世で心に残り、感じるには辛すぎて、押さえ込まれた感情。

今まで、こういう感情を癒す方法も幾つか習ったり、学んだりしてきたが、
このときはまずは、グラウンディングを意識してみた。
そしたら、しっかり、私の感情を受け止めてくれているような感覚と、
癒されるような、感覚を感じた。

これにはびっくり。

まず、思ったのは、
「ああ、私の中のこの感情を癒して欲しがっていて、今回のような出来事があったんだな」
ということ。
また、以前だったら、抑えた感情を癒す感覚は、こんなにすぐに感じられなかったのに、
早かったこと。
グランディングの重要性を、今までたくさん耳にした理由が分かる。
でも、私には、段階が必要だったみたい。


また、別の出来事。
夫婦喧嘩のきっかけ、となるパターンで多いのが、
「私はそういうつもりで言ったのではないのに、夫が悪いほうへ解釈し、激怒する」
というパターン。
このパターンでは、私も色々自分をみてきたこともあり、以前とは変わってはきていた。

初期:夫の機嫌をそこねるようなことを言った、私が悪いと思う。

中期:夫が私の言動に、極端に反応している、ということが感覚的に分かる。
「私が大切なのは、今、このことで自分がどう感じているか?である」
に気持ちを向けるように意識する。
こういうときは、私が謝れば、夫はとりあえずは納得する様子。
でも、悪い、と思っていないのに、心のにもない「ごめんなさい」とは言えない。
なので、私は自分の気持ちを大切にしたい。

最近:まずは、私の行動・言葉のどこに、夫の感情を刺激するような内容があったのか聞く。
そして、そのとき、夫の心の中にどんな感情が起こったのか、さらに聞く。
その後
「そっか、私はそういうふうに受け取るとは思わなかったんだ。ごめんね」
と言う。


実は、この最後の「ごめんね」という言葉、以前はいえなかった。
理由は上記にも書いてあるが
「思っていないことは、言えない」
ということ。
でも、最近は何の抵抗もなく、言える。
以前のような抵抗がない。
これは自分でも楽な状態。

最近のちょっとうれしい話。




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