渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

差料研磨 〜安藝國大山住仁宗重 天正八年二月吉日〜

2024年03月07日 | open


(以前、専門家にお願いした写真)
 
私の天正八年(1580年)作の差料
が研ぎ上がった。
実戦を経た痕跡のある刀剣だ。
織田信長が本能寺で死す2年前
の作。戦国時代の末古刀である。
11月の東広島美術館での郷土刀
展覧会にて展示する。主催は
広島県美術刀剣保存協会(日刀
の協力団体。日刀保の広
支部的組織)。
同時に私の関東の盟友所有の
同人作の宗重も展示予定。
もしかすると、私の古三原も
示の運びになるかも知れ
い。
 
ただし、私の友人の宗重には
日刀保の保存がついているが、
私の宗重と三原(正真)には紙
は付けていない。
特に三原は審査に出せば重
刀剣まで行く作だろう。
だが、そこまでの審査料は10
前の時点で80万円以上か
る。(今の金額は知らない)
私個人は紙は紙だとしか思っ
いないので無冠のままでい
い。
日本刀は肩書きよりも作品そ
ものに興味がある。位列
武家目利きの観点からし
か興
味がない。山野、山田
流等に
よる刀剣吟味が私に
とって第
一義だ。
本来日本刀の造り込みや鋼
の芸術的でさえある働きは
そのためにこそある。
日本刀はキャンバスに描い
た絵画ではない。人の命を
司るためにいにしえより鋼
鉄が鍛えられた。
そしてそれは国を治める者
たちの象徴に変化した。
さらには、鍛え上げられた
日本刀こそが日本人の魂の
象徴にまで昇華した。

この刀剣の本義を真正面か
ら見つめる事。
これは私は
血筋として絶対的に外
ない。
刀剣次第で、今の私がいるか
いないかを決する程に歴史的
に重要な事だったからだ。
日本刀が本質を忘れた絵に描
いた餅であったならば、私は
現世に存在していない。
本物の日本刀無くして今の私
は存在
していない。
そういう血脈の流れの中に生
まれたので、日本刀を単な
貴金属宝飾品収集のよう
な観
点から観る事は私には
皆無だ。
我が血、我が肉、我が生命と
共にあり続けるのが日本刀で
あるからだ。
これは、私が私的に望む望ま
ないとは関係なく、私が今こ
の世にいるという存在その
のがそうなっている。
日本刀の存在を否定する事は、
日本刀とは切っても切れない
歴史上の存在を否定する事で
あり、それは私自身の存在を
否定する事になる。
歴史的にはそうなる。
私が望まなくとも、生まれた
時からではなく、生まれる前
から私の命と日本刀はそうし
た関係にあった。
個人的に単なる趣味だから、
刀が好きだからとかとは関係
がない。
親がいたから自分がいる。
それをどんどん辿ると、日本
刀とは密接不可分の存在とし
て自分がいる事に気づかされ
る。
これは残念ながら、私個人の
力では覆す事は不可能だ。
過去の歴史的事実は改変でき
ないので。
 
ただ、日本刀から離れる事は
可能だ。個人の意思として。
しかし、存在の本質的構造は
変わらない。接し方が変わる
だけだ。
私と同じ種族でも、そうした
人たちは多くいる。というか
そうした人たちのほうが日本
人の中では多い。
かつて旧幕時代までに日本
と密接不可分だった種族は
口比率では約10%以下。
現代の人口が1億2500万人と
して、1250万人の帯刀本分者
の末裔たち全員が日本刀を保
存して残して行こうとする
思を持って実行している
か。
答えは完全に否だ。
今や日本刀は換金目的の為に
骨董売買商品として流通する
世の中だからだ。家伝の刀さ
えも残していない家が殆どだ。
 
ただ、自由売買は日本刀保存
の為に志ある人々を育成する
効力も発揮している。
心ある人々のおかげで日本刀
は残っている。旧士族の手柄
ではない。こことても大切。
旧士族あるいは旧華族の末裔
の人たちが主体で日本刀の存
続が叶ったのではない。
無論、武家華族は日本刀の
存続に最大限尽力したが、主
体は人の志だ。それは旧身分
とは無縁に心ある人々が動
車だったのである。
その功績の偉大さに敬意を払
わずにまた日本刀に接する事
はこれ叶わざるものなりなの
である。
刀剣界の先達たちの歴史的功
績は日本の光明といえる。
日本人だからそれができた。
日本刀は日本固有の物だから
だ。日本だから日本刀。日本
人だから日本刀。
ごく当たり前の事だ。
日本刀の世界は、日本人とし
てごく当たり前の事が実行さ
れている。
そこには透徹した日本人の魂
が存在している。
 
私の三原の登録証は大名登録
時代の物で「無銘(三原)」
書かれている。昔は審査
登録
の際に審査官が極めも
記載し
たようだ。
 
いずれにせよ、11月の刀剣展
には私と刀剣会の友人の
2
(ふり)乃至3口が展示さ
れる。
日程が近づいたらまたアナウ
スしたいと思う。
 

志村けん × ビートたけし 北野監督 巌流島の決闘

2024年03月07日 | open

志村けん × ビートたけし 
北野監督 巌流島の決闘


絶妙(笑)。


映画『少年メリケンサック』(2008)

2024年03月07日 | open



久々に観る。
もうね、最高。
製作者も出演者も。
こりは傑作だど。


ナイフ

2024年03月07日 | open


何本も所有する必要はないけど、
これだ!と思えるナイフは1本
持っていると、心の在り様が
違いますよ。
特にアウトドア活動する人たち。
というか、そういう人たちは
当然ナイフは持ってるか(笑



木曜コーヒー

2024年03月07日 | open

木曜コーヒー: Morning Coffee Shop Ambience ☕
Smooth Bossa Nova Jazz Music for Relax -
作業用カフェBGM


まあ、なんてのか、こういう街の
オープンカフェでゆっくりと紅茶
を飲みたいわけなのよ。
仕事あっけどさー(笑
月末と月初は特に繁忙タイムに
なる。かなりの。
そら、よけい茶くらい飲みたくも
なる
べよ。




ジャックナイフ

2024年03月07日 | open



ある峠の頂上の駐車場で、ある
人が遊びでジャックナイフを
やっているのを見せてもらった。
やるねえ~。
おいらは前上げ走行はできても
後ろ上げはできない。
いろいろな技を見せてもらった
が、とても面白かった。
ジャックナイフターンなんて、
なんだありゃ。
目の前で見たらたまげるぜ。
砂山の砂を指でほじってみたく

なる。

ただ、見ていて気付いた。
ギクシャクしてないのよ、一切。
フワリとマシンを動かしている。
こいつぁ、技だぜ。


イタズラ

2024年03月07日 | open


この時、ソーッと忍び寄って、
クレヨンしんちゃんのカンチョ
をトン!
とやってやりたい衝動
にかられた(笑
1月の海なのでやめといた。



ウエストポーチ/ショルダーポーチ兼用

2024年03月07日 | open


普段はシップス製のショルダー
ポーチを自分で改造したウエス
トバッ
グを愛用している。




 
バイクに乗る時などは後ろに
回す。こんな感じ。下りたら
前に回す。


この形状がピタリと来るので、
かなり気に入っている。小さく
見えてかなりの容量がある。




ところが、学生の時以来、ウエ
ストポーチを最近購入してみた。
ベルトに通すタイプの本革製。
 
やや小さいがコンパクトで非常
に使いやすい。ジャケットの中
に隠れるので、二輪走行時にも
問題なし。チョイ乗りにはこれ
は使える。ショルダーポーチに
もなる仕様。




 

武術の要諦 〜とりわけ刀術〜

2024年03月07日 | open
 
200km/hオーバーの速度からの
フルブレー
キングで次の右コー
ナーに備える。
フロントフォークはフルボトム
し、前輪も
へしゃげ潰れ、後輪
は持ち上がる。
何Gという荷重がかかる瞬間で
あるのに、
上半身は硬直せず、
肩もこわばらず、肘は
緩く曲げ
て、右膝は次のアクションに備
て既に開いている。
無論、腕を突っ張ってハンドル
に体重を
乗せてしまうような事
はしない。
物凄い加圧領域の中でも、一切
この乗り手
は身体を硬直させて
いない。
 
さて、なぜこんなことが出来る
のでしょう
か。
この二輪の操縦方法は、実は武
術、とり
わけ刀術と全く同じ
事をしている。
それは「抜重」。
脱力とは異なる。
この抜重なくば、日本刀は全く
切れない。
緩めと締め、これの使い分け方。
これは手の中(うち)の極意の一に
も通じる
だが、固めと弛み
の使い分けだ。
刀術の柄手の奥義の「ひなたぐ
そ」もそれ
の類別に属する。
 
拵を着けた定寸の木製の軽くし
なり易い
ツナギの刀身を真っ向
から思いっきりの速度で振っ
てみるが
よい。
そして水平で止める。
その時、左右に全くぶれずスッ
と全て
の慣性と力が消滅するよ
うに止める。
勿論、敵の面を斬り抜くつもり
で思いっ
きり振る。ゆっくりで
はない。
しかし、水平位置ではピタリと
ぶれずに
止める。
まるで、水平位置から思い切り
上に刀を
振り被る映像の逆回
しのような具合に。
 
日本全国、どれ程の人たちが
これを出来る
のか。
力任せでは絶対に出来ない。
出来ている人は、知らず知らず
のうちに
「抜重」が出来ている。
その人は、切れる。
 
やり方は多くのヒントがあるが、
要諦は
各々が師事している先生
に習ってくださ
い。
軽い刀をぶれずに振る事が出来
ない人は、
重い刀を正確に振る
事は出来ません。

要するに、二輪の操縦も日本刀
の操刀も、「術」なんだよね。
会得するまでは多少時間がかか
るが、体得すると何て事はない。
だが、その時すでにレベルは格
段に上がっているから、凡人か
らは非凡に見えたりする。
ところが、術者にとってはごく
普通の当たり前の事柄となる。




サイドバッグ

2024年03月07日 | open



ある事を見つけたのよ。
街乗り用のスクーターに着ける
サイドバッグを探していたのだ
けど、うまい具合に良いのがな
い。
すると見つけた。
バイク用ではなく、ショルダー
バッグにはなかなかデザインや
機能性で良い物が多いのよ。
その大きめのショルダーバッグ
ならば、かな
り選択肢が広がる。
これの内側が車体に疵つかない
タイプならば、これを街乗りの
スクーターの横に抱か
せるのも
アリだろう。

上部に取っ手の付いた鞄タイプ
のショルダーバッグも豊富だ。
車から降りたら外して肩にかけ

てもいいし、手に持ってもいい。
こりゃあ、いいものみっけた
ぞ!(1971年森田健作風)


高速度巡行

2024年03月07日 | open
 

TON-UPの遥か上。四輪から
撮影。東関にて1982年。

高速度巡行では風圧を処理す
るために伏せる。
この画像はタンク上にタンク
バッグを装着しているので、
これ以上伏せられない。

目ざとい人は気づくだろう。
ライトを点灯させている。
当時の二輪は常時ライトオン
の仕様ではない。
だが、私は高速度走行では
ライトをオンにしていた。
当時それをやる人はほぼいな
かった。
ライトオンの理由は他車に自
車の存在を知らせる為だ。
この10年後あたりから、二輪
車はライトを常時点灯にする
仕様が標準となった。

当時はよく言われた。
「ライトつけっぱなしだよ」
と(笑
消し忘れと思われるのが普通
だった時代だからだ。
そして、人とは違う事をして
いたので尚更目立ったのだろ
う。
だが、それでよかった。
二輪車は目立たないと交通視
認性の観点からは危ない。

なお、このRZ350は計測不能
まで速度が出た。
それでもまだエンジンは回る。
タコメーターの針は上がり、
速度計は目盛り表示の遥か先
をまだ上昇した。
ただし、私が出しているので
はない。車が出しているのだ。
乗り手が速いか遅いかはコー
ナーで決まる。直線で何キロ
出るとかは車の問題だ。乗っ
てる奴の手柄じゃない。時々
勘違いしてる奴いるけど。
車が出せる能力がある車両か
どうかと、それに乗ってる奴
がどうかは無関係だ。
二輪は速い車種は速い車種な
りに、遅いモデルは遅いモデ
ルなりにそれぞれ楽しみがあ
る。
面白くない二輪などは存在し
ない。
必ず何かの面白さがどの二輪
にも存在している。
それを見つめて乗るのが楽し
い。

この車は良いモデルだった。
フルブレーキからの寝かしこ
みでフロントがよじれるのだ
けが弱点。あとは非常に出来
が良い車。