「狼少年ケン」(1963-1965)
放送はNET(10チャンネル)で1963
年11月25日〜1965年8月16日。
これはもう子どもたちに大人気の
アニメだった。
三つ児の魂百までではないが、3才
の時に私が観ていたこのアニメの
主題曲は今でもほぼソラで歌える。
小学生に入った頃も、再放送があっ
たのか、中学年になった頃、同級
生たちはちょいエロの替え歌で歌っ
たりしていた。
「がっちりつかんだおっぱい~
離しはしないぜ~」てな具合で。
まあ、小3前後の男子などはそんな
もんだ。
「男子が悪いと思います!」と
学級会ホームルームで女子生徒が
先生に告げ口したりするパターン
ね。スカートまくりが大流行の頃。
あの全日本セクハラブームの嵐は
すごかった。
いきなし、日本の小学生男子が
イタリアンテイストになっていた。
しかし、主題歌の歌詞の
ボバンババンボン
ボンボババボバ
ボバンババンボン
ボンバボン
を正確に言える3歳児はほぼいなか
った。
これは放送が終了して2年後に小学校
に入ってからも。
「ちがうよ~、それ。こうだよ~」
とか正確に歌える奴がいると、
「すげ~」とか仲間内で羨望の眼差し
だった。
子どもたちは学校帰りに空き地に
「秘密基地」を作ったり、広っぱで
いつも何人もが集まって草野球を
やっていた時代。
大抵広っぱの空き地には、新興住宅
地建設のための土管が積んであったり
した。
そうしてできた住宅地を関東以外の
地方では「団地」と呼ぶらしいが、
首都圏で団地というのは公団集合
ビル住宅の事を指した。
その言葉の違いは、私は39歳の時に
初めて中国地方の人との会話の中で
知った。取引先の役員自宅に招かれ
た時、「うちの団地」と言っていた
ので、私も子ども時分に団地に住ん
でいた、とか言ったら話がよく通じ
なかったのだ。単語は同じでも表す
ものが異なるのをその時知った。
1961年の東京の団地。
住む人はほぼ勤め人か新たな会社
経営者だった。
公団住宅は戦後日本の文化住宅と
して大人気で、抽選は宝くじに
当たるほどに当選しない。
水洗トイレ、システムキッチン、
ガスの内風呂という最先端近代
住宅であり、出始めた三種の神器
と言われたテレビ、冷蔵庫、洗濯機
と共に日本人の憧れの生活だった。
応募資格には所得制限もあり、安定
した高収入を得ている層しか応募
できなかった。そのため、都心部の
安定企業に勤める勤め人が集中した。
後の日本人に発生した「中流意識」
はこうした都市部の文化層的世相を
背景として形成されて行った。
ここに写っている子どもたちは、
私より5歳~8歳程年上の昭和20年代
後半~30年代初期生まれの子ども
たちだろう。私が1歳の時の写真だ。
今、『オオカミ少年ケン』の第一回
放送を観てみると、1968年の5年後
の近未来を描いた作品だった。
主題曲は今でもほぼソラで歌える。
小学生に入った頃も、再放送があっ
たのか、中学年になった頃、同級
生たちはちょいエロの替え歌で歌っ
たりしていた。
「がっちりつかんだおっぱい~
離しはしないぜ~」てな具合で。
まあ、小3前後の男子などはそんな
もんだ。
「男子が悪いと思います!」と
学級会ホームルームで女子生徒が
先生に告げ口したりするパターン
ね。スカートまくりが大流行の頃。
あの全日本セクハラブームの嵐は
すごかった。
いきなし、日本の小学生男子が
イタリアンテイストになっていた。
しかし、主題歌の歌詞の
ボバンババンボン
ボンボババボバ
ボバンババンボン
ボンバボン
を正確に言える3歳児はほぼいなか
った。
これは放送が終了して2年後に小学校
に入ってからも。
「ちがうよ~、それ。こうだよ~」
とか正確に歌える奴がいると、
「すげ~」とか仲間内で羨望の眼差し
だった。
子どもたちは学校帰りに空き地に
「秘密基地」を作ったり、広っぱで
いつも何人もが集まって草野球を
やっていた時代。
大抵広っぱの空き地には、新興住宅
地建設のための土管が積んであったり
した。
そうしてできた住宅地を関東以外の
地方では「団地」と呼ぶらしいが、
首都圏で団地というのは公団集合
ビル住宅の事を指した。
その言葉の違いは、私は39歳の時に
初めて中国地方の人との会話の中で
知った。取引先の役員自宅に招かれ
た時、「うちの団地」と言っていた
ので、私も子ども時分に団地に住ん
でいた、とか言ったら話がよく通じ
なかったのだ。単語は同じでも表す
ものが異なるのをその時知った。
1961年の東京の団地。
住む人はほぼ勤め人か新たな会社
経営者だった。
公団住宅は戦後日本の文化住宅と
して大人気で、抽選は宝くじに
当たるほどに当選しない。
水洗トイレ、システムキッチン、
ガスの内風呂という最先端近代
住宅であり、出始めた三種の神器
と言われたテレビ、冷蔵庫、洗濯機
と共に日本人の憧れの生活だった。
応募資格には所得制限もあり、安定
した高収入を得ている層しか応募
できなかった。そのため、都心部の
安定企業に勤める勤め人が集中した。
後の日本人に発生した「中流意識」
はこうした都市部の文化層的世相を
背景として形成されて行った。
ここに写っている子どもたちは、
私より5歳~8歳程年上の昭和20年代
後半~30年代初期生まれの子ども
たちだろう。私が1歳の時の写真だ。
今、『オオカミ少年ケン』の第一回
放送を観てみると、1968年の5年後
の近未来を描いた作品だった。
そして、物語の内容もアニメの表現
も当時のディズニーに負けていない。
感服する。
【公式】狼少年ケン 第1話「二本足の狼」
視聴はyoutubeサイトにてどうぞ。
視聴はyoutubeサイトにてどうぞ。