『有村架純の撮休』(2020)
有村架純自身が「有村架純」という
役を演じる一話完結のオリジナルド
ラマ。全8話のフィクション。
めちゃくちゃ良い。
こういう作品を作れる人がいるん
だ。
うーむ。
女優さん、男優さんの演技力への
依存度が極めて高い作品なので、
脚本とか大変そうだなぁ。
ありとあらゆる外連味を削ぎ落し
て、ごく自然な「普通の人の日常」
を描かなければこの作品が作品に
はならない。
これって、ホン書きとしては、簡単
そうでかなり難しい。
ドカーン、バキューン、チュドーン
のほうが簡単なのだ。
あるいは、原作を完全な文学作品
にしてしまうか。
脚本というのは、文学小説ではなく、
また戯曲でもない。
文筆の中でも独自の才能が要求され
る。
有村架純さんは関西弁上手いなあ
と思ったら、兵庫県伊丹市出身だ
った。
母親役の風吹ジュンさんの演技も
自然体で最高に良い。
この人、『蘇る金狼』(1979)の頃
よりも、ここ10年程のおばちゃん
役なってからのほうがずっといい。
ごくナチュラルに親子に見える。
二人ともプロ。プロの女優だ。
二人でロールキャベツを作って
いる。そこでのやりとり。
第一話の物語開始から間もない
時点でのシーンだが、第一話の
キモの部分かと思う。
ここの描写如何で、話の展開が
台無しになるか作品としてまと
まるかが決まる。
こういう情景は現実世界の、例え
ば我が家の母娘などを見ている
と、このシーンの二人の空気が
とても現実味があり、女優さん
の演技力に唸らされる。
それにしても有村架純さんが
すごくいい。
最近一番の「女優としての女優」
なのではなかろうか。
本物。
役者の演技力を引き出すのは監督
次第。そして裏方のスタッフだ。
映像作品というのはモータース
ポーツのレースと同じく、チーム
(=組)で作るものだ。
いくら一人の俳優、俳優のひとり
ひとりが優れていても絶対に良い
作品はできない。
そこを役者が勘違いすると、役者
自身が作品製作の阻害物となって
しまう。
第二話では伊藤沙莉さんが登場す
る。私は大好きな役者さんだ。
この人も演技に芯がある。子役で
こなした役は凄かった。
ただ、演技力抜群なのだが、どの
役をやっても「伊藤沙莉」さんに
なってしまう感を強める気がする。
どの役でも『全裸監督』の順子さん
のような。
でも、その微細な差異を演技の中
で演じているのが女優の伊藤さん。
役のキャラを小手先で巧く演じる
のではなく、役を自分に引き寄せ
て、その役が女優伊藤沙莉になる
という感じ。
彼女の演技力の魅力はそんなとこ
にあると思う。
本作の第二話でも、まるで順子さ
んのようなのだが、そうではない。
その微細な違いを見るのが、伊藤
さんの演技を観る楽しみでもある。