内燃機関搭載車両の新型が発表され
るたびに「改良」という単語が安易
に使われる。
だが、冷徹に車両を分析すると、
常に新しい物が良質化を付与される
という定式は存在しない事に気づく。
車両というクルマは、「◯◯年式が
最高に優秀」という現実がある
のがモーターリゼーションの歴史
の本当のところなのだ。
のがモーターリゼーションの歴史
の本当のところなのだ。
だが、資本の論理にのみ拘泥したな
らば、常に「新製品」を出さないと
ならなくなるという資本主義下での
企業のカラクリがある。
そこでは「本当に品質の良い物への
発展」という根幹視点は捨象される。
だが、企業の宣伝プロパガンダを盲
信する大衆たちは、「新しい物は全
て発展した良質性を具備する」と頭
から思い込み、消費者として消費に
動く。それはまさに「消費」だ。
その大衆による新車登場の動向実体
の見極めは、企業の徹底した巧み
なコマーシャリズム洗脳作戦に
よって静かに破壊される。
なコマーシャリズム洗脳作戦に
よって静かに破壊される。
消費者は見極めをできず、世の中の
事象や生産物は常に新しい物が
良性進化形と思い込む。
良性進化形と思い込む。
本当のところはどうか。
産業製造物の本当の姿は、「最新が
最良」という図式の上には立っては
いない。
だが、その本当の実体の実態が見え
にくくカモフラージュされているの
で、人には見えにくい。
あたかも、森林の中で森林迷彩服で
偽装した人間のシルエットを把握す
るように難しい。
だが、不動の定理は案外単純だ。
「良い物もあるし、悪い物もある」
というのが真実なのだ。
「最新物は何でも常に最良」とい
う図式は産業社会では定理として
は存在しない。
医薬品や医療関係等は最先端物が
最良実体に近い傾向はあるが、動
力走行車両や航空機の場合は、
最新物が最良の良質性を備えて
いる生産物となっているという定式
は存在し得ないのである。
最新物が最良の良質性を備えて
いる生産物となっているという定式
は存在し得ないのである。
これは、実相だから、否定のしよう
がない。
脳内の希望的観測や脳内妄想にのみ
捉われて、製品の真実を直視できな
くなるのは、それを扱って運転を
する人間という生き物にとって、
とても危険な事だ。
する人間という生き物にとって、
とても危険な事だ。