渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

京の街

2021年11月20日 | open
 
中学の頃から京都への憧憬がある。
毎年3回ほど京都に行った。
足が遠のいたのは90年代に入って
からだった。
高校の頃に私が京都に住みたいなぁ
言ったのを聞いていた京都の
大学
に進学した奴が久々に会った
時に
言った。
夏は暑いし冬は寒い。よそからの
観光客だらけで、地元感がないの
で付き合ってみると滅法意地悪だ。
とても住みにくい、と。
そりゃ俺ら江戸の東戎は住みにくい
だろさ。
でも、地元に住んでみると、外から
見た景観とは違う実態がよく見える
のだろうなぁ、とその時思った。
 
それでも京都にはある種の憧れが
私にはあった。先祖ゆかりの寺も
あるし。
それよりも、私の憧憬の念の源は、
とりもなおさず、幕末に日本の世の
中が大変動を起こすきっかけに
なった千年王国の地だからだ。
伊豆下田からではない。
激震地は間違いなく日本の首都京都
だった。
ただ、仮に私が幕末にいて京に命で
行くなったら、だんだら羽織
の諸
君と対峙しなければならな
かったか
も知れない。
だが、時期による。
長州征伐の頃は、芸藩は幕府寄り
で、新選組近藤殿も幕命で広島藩
まで出張していたりした。
しかし、状況は日毎に変化したの
で、いつのどの時点かで、諸人の
立場が大きく変わったのが文久元治
慶應の時代だった。
 
京都からの若者の人口流出が深刻
らしい。
観光客頼りで市の財政が維持できる
筈はない。
これは、企業誘致地方都市政策の
根源的な欠缺と全く同じだ。
企業誘致などは、企業が撤退したら
万単位の人口が減少する。
市政は財政破綻する。
中国地方では、広島県の三原市など
が典型だが、今なお企業誘致策
で乗
り越えようとしている。
無理だ。
町は今や福永武彦の作品の「廃市」
のようになって来ている。
「人が住みたい町」にならない限り、
市政財源は確保できない。
観光や企業誘致の一過性に偏重する
と、やがてそれらの基板が消滅した
ら、一気に土台が揺らぐ。
天下の京都でさえ、迷走段階に入っ
しまった。
 
 

京、晴れ

2021年11月20日 | open


京、晴れ、である。






この意味、外国人に理解できるの
であろうか。
否、現代日本人においても。


これが本物の五条大橋。
現在の五条大橋とされる新橋より
上ル。


2021年11月20日 | open


江戸時代から道割は変わっていない。
抜刀納刀の際には土佐英信流の壁添
のような技法が必要になる。
佐幕側にしても、精武流のような小
太刀剣術がかなり実戦的だった事だ
ろう。
また、新選組が幕法を犯して三尺近
い大刀を帯びたとの伝は、諸般の実
情を鑑みるに、俄かには措信し難い。

お気に入りの店。
ここは好きだ。


京の都は日本一食い物が美味い。