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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

きょうの夕暮れ

2021年07月24日 | open


きょうは満月。
午前中、凄い大潮で、市内の西野川の河口
部(三原市役所の角)の橋は、海水が上昇
していて橋に溢れんばかりだった。
海岸線も海がせり上がっていた。

こんな雲。三原の上空。


ドラゴン!(笑




備後、安芸、そして備後

2021年07月24日 | open


朝。いつもの峠を何往復か登り下りして
下山。それから
西へ向かう。ガス欠寸前
になったので。



三原市内および三原市周辺も良いロード
が多くて嬉しくなる。


長い下り坂の彼方に陽炎が出ている。
夏だ。


環境良すぎて、全くスピードなど出し
たくなくなる。


安芸国竹原のバンブーロードを抜けて、
古代山陽道が浅い海(現沼田川)を渡る
安芸国の場所
にて、ほんとたまたま偶然、
仕事中の乗り屋の相方
が後ろの車にいた。
な偶然。奴の看護師姿は初めて見た。
3分ほど立ち話をした。

右が小早川氏の高山城。左が新高山城。


毛利一門は小早川氏の氏を乗っ取った。
小早川氏は元々は土肥実平の末で、
土肥氏は相模国の鎌倉武士だった。
毛利一門が小早川氏の名跡を襲った。
竹原小早川家と沼田小早川家があったが、

両家を順次抑え、旧臣を大粛清する事で
小早川隆景が当主となった。旧小早川
家臣を城に呼び出し誅殺するような手口
だった。戦国時代。綺麗も汚いもない。
人殺しが正義の世の中だ。もはや源平の
頃の清々しい「やあやあ我こそは」の

時代は数百年前に廃れている。勝てば官軍
的なえげつない武士の在り方は、戦国の世に
下剋上という非道な概念が普及することに
よって日本人の中に裏切りの根性が醸造
されて熟成されたといえる。
どんな手を使っても、どんなに非道な汚い

事をしても、人を殺して勝ちさえすれば
それで良い、それが正義だ、という日本人
の感性は戦国時代に築かれたといえるが、
それは武士発生以前の古代から日本の
ヤマト大王一族の謀略と騙し討ちの連続
の延長だった。
クマソを討った時などは女装までしての
騙し討ち。ヤマタノオロチと呼ばれたオ
ロチョン(古代語で鍛冶の事)族の「討
伐」では酒を飲ませて殺戮、桃太郎伝説
の吉備族(産鉄民)の討伐でも凄惨な虐殺
等を行なっている。
中世末期から近世初期の城を作った職人
たちの作業員皆殺し等の日本人独特のえ
げつない質性は、実は武士が醸造したが、
それ以前に古代大王の王権がそうした事
を実行していた。
日本は「美しい国」などではない。現実
を知ると、自己美化などはできない。
「村」に生まれ育った豊臣秀吉などは、
出世後、出自を隠したいがために一族に
褒美を取らすと陣内に呼び出し、血縁者
数十名を皆殺しにしている。それが天下人
だ。その人物が日本統一をして関白太政大臣
となり、貴族となった。
日本の貴族
の質は古代から一切変わっては
いない。

貴族などは尊き美しきものなどではない。

天正10年(1582年)、隆景は新高山城
から海上に築城した三原城に
移住した。
激動の天正10年、織田信長が明智光秀
に討ち取られた年だ。


弥生本郷遺跡というのは何だろう。
弥生時代の遺跡群の事だろうか。


ここら一帯は、古代の沿岸部であり、
一大古墳群エリアでもあった。
古墳あるところ在地王権あり。そこに
は必ず鉄の文化あり、である。これは
日本全国同じパターンだ。
そして、古墳造営作業者は王権によって
「守戸」と呼ばれる古墳の墓守として
古墳周りに集住させられた。
さらに古い時代の王権時代には多くの
人が生き埋めにされていたが、それは
やがて埴輪で代用する事になったので
まだましになったともいえるが、王権
というのは「貴賤」を設えることにより
成立する。美しい博愛主義などは決して
存在しない。
日本人の差別性は古代王権時代に成立した。
その差別社会の原初は、稲作により富む者
と持たぬ者の階級に分離して原始共産主義
社会が崩壊したため発生した、という日本
の歴史がある。


人工河川部の沼田川の右岸を上る。


このあたり一帯も完全に海だった。
現沼田川河口から13km上流地点。
川の流れが淀んで川面がプールのよう
に見えるのは
海水が潮の満ちる時に
逆流してきているからだ。

この数キロ上流が江戸期までの本来
の河川の河口になる。地名は船木。


三原市の広島空港下のワインディング。
いくつかあるが、これは勾配がかなり
きつい峠道。






日本一の高さの高速道(無料区間)で
あるフライトロードを抜けて、世羅
フルーツロードに入る。
景観が素晴らし過ぎて言葉が出ない。
ずっと先まで蛇行しながら続く道が
一望できる。


少し走ればこのような場所があるのだから
中国地区はツーリングやドライブには適し
た良質ロードの宝庫だ。


世羅にはいくつもの固有名のロードが
あるが、これはフルーツロード。
快走で行けるが、途中に信号機のない
交差点がいくつかあるので、絶対に
速度超過は宜しくない。




絵に描いたような景観だ。
この中を走ることができる。


振り返ると、ロードの頂点地点。
ずっと登っていて、道の先の視界
が途切れるが、この頂点を過ぎたら
一気に下側の景色が広がる。


広島県最北の市である三次(みよし)の
ファミレスで遅い昼食。ドラゴンライン
を何往復もし過ぎた。ガソリン空になって
しまったし(笑)。下山してから海岸線
のスタンドで満タン給油した。


なんと半世紀前のパターンの信号が現役!


三次(みよし)は古い城下町で、
江戸初期からは浅野因幡守どの
が治めていた。広島浅野家の家筋。
浅野以前には付近の古戦場にて
壮絶なイクサがあった。
降伏した敗残軍の将兵五百人以上
が全員毛利により斬首された。
その高杉城は備後国国人の江田氏
の臣祝氏の居城だった。1554年に
城は落とされた。この城を攻めた
毛利臣下の高杉氏の末裔には長州
の高杉晋作がいる。

懐かしい信号機を見て、ふと一気に
450年の昔に思いが飛んだ。


江(ごう)の川を越えて国道54号線を
北上。布野村という場所にある道の駅
に到着。




これまた半世紀以上前の郵便ポストだ。
オブジェではない。現役。




現三次市内には三原という地名の場所が
ある。
ふむ。そういえばロードを走っていたら、
国道に「みはら洞門」という落石防護
洞門が二つあった。
「みはら」は三原市の瀬戸内海沿岸部、
岡山県芳井町北部付近、備後国中部に
美波羅、そしてここにある。
産出場所不明の「三原鉄」なるものは
それらのいずれかの場所で製鉄された
錬鉄だろうが、もしかすると三次市内
の可能性もある事を本日気づかされた。
日本の冶金鍛冶職の世界での謎の一つ

に「三原鉄」がある。
現在もその鉄が残っているのだが、それ
が一体どこで生産されたか、現在は全く
不明なのだ。高級大工用打ち刃物では
貴重な地鉄(じがね)として使用された
りもする。
三次は「妖怪」伝説が多くある土地だ。

これはもしかすると、オロチ伝説、吉備
の鬼伝説と共に、産鐵民との関連が民俗
学的見地からは類推する事ができる。







この道の駅は、小河川が脇にあり水遊び
ができる。
ただし、清流ではないのでご注意を。


車両販売のピザ屋さんの窯。
これ、移動簡易炉として参考になる。


美味しいと評判のアイスクリーム屋さん
ですが、時間が過ぎて閉まっていました。
残念。ジェラートアイス食いたかった。


昨日通った松江道で下りた口和ICがすぐ
そばだ。君田は君田村と書いて「きみた
そん」と呼んでいた。この近所の作木村
も「さくぎそん」という呼び方。


国道54号線。ぐる~っと回るようなルート
で松江に通じる。


道の駅から別ルートで三次市内に戻る。
先ほどの古い信号機の交差点に出た。


銀山街道を南下する。古い街道だ。


三次市街地方面を見る。
ここのすぐ左はJR八次(やつぎ)駅だ。


走っていて即「これは古い街道」と
判断できた。


JR八次駅。完全無人駅だ。三次の
次の駅。


駅の待合室。ベンチの様式からして、
築50年くらいか。


芸備線と福塩線が通っている。
単線、未電化鉄道だ。

八次駅は三次から一つ目の駅だ。


プラットホームの注意書き。


線路南方面(上り)。


三次方面(下り)。


八次(やつぎ)駅前には「and COFFEE」
というカフェがある。
残念ながら16時で閉店で入れず。
マスターがよい感じの人。またいらして
ください、お待ちしています、との事。


ジュース100円!


40年前価格(笑)。
ペプシを買った。






今は「and COFFEE」という店。
別場所から移転して来た。


以前はオレンジファズというカフェだった。
ここも美味しい軽食もあったようで、
人気だったらしい。


帰宅後調べて分かった。やはりここは
石見銀山街道。江戸期にはあった街道
である。


この駅はなんだかとても感じが良い。


なんたって、駅名がヤッキー(笑)。


ここはブレイクポイントにしようと思う。
カフェ 「and COFFEE」に入り浸って。
店内も見たが、よい感じのカフェだった。

てなことを本日阿蘇に行ってる乗り屋
に言ったら、二人は既にオレンジファズ
時代に行った事あるらしい。
ミニバイクでふらりと行ってみたそうだ。
片道80kmくらいあるのに(笑)。
まあ、毎月阿蘇にサクッと行くくらい
だからなぁ。
にしても、いろんなとこに行ってるねえ。
おいらが「ここ良さげ」と偶然発見した
場所にはほどんど既に行っている。
ただ、私の場合は、事前に調べたりは
しないで、いつもいっつもたまたまの
偶然だ。ネットで事前検索などしない。
走っていてたまたまめっけた店ばかり。
そして、結構ラッキーヒットが多くある。
事前調査などはしないのはぶらり旅の
醍醐味でもある。

家までもたないので、三次市内で満タン
給油。
ということで、三次から弾丸で三原市街

まで帰還した。
あしたも朝から走る。四連チャンだ。
今週5日目になる。
阿蘇行きのための準備運動のようなもん
だ。

旅は楽しい。いろいろな発見と出会いが
あるから。
二輪を持ってる人は、どうぞ走ってくだ
さい。どうぞ乗ってください。
今だけですよ。エンジン付の車両に乗れる
のは。

龍雲

2021年07月24日 | open


午前、9時50分。
Mt.ドラゴンキングの山頂にて、我、天空
完全なる龍を発見せり。
千と千尋のハクみたい。

久和喜第一踏切より北は、7/26〜8/12
までは通行止め。
久和木第二踏切から久和木神社のほうを
回るか、和田登山道からのアプローチ
ないこの峠には来られなくなる。






けさの広島県三原市の竜の王の山。

けさの大分県湯布院の山。




他にも日本全国、走りびとたちは各地を
走っている事だろう。

由布から阿蘇へ

2021年07月24日 | open










本日、朝8時半前に既に由布に到着して
いる連絡が広島の人からあり。
これから阿蘇だろう。
毎月、広島から阿蘇に行ってる。
彼らのバイクはすぐに10万キロ行きそう。
変な人たち(笑
ま、違和感全くねえすけど。

近々に彼らと共走りで私も阿蘇に行く。

島根のたたら跡

2021年07月24日 | open

島根県にあるたたら角炉跡を訪問。

平家に見えますが、地下が道路に面して
いる掘り込み式です。




館内は十分に見応えありました。
2階と水車小屋たっぷりと見た。
パネル説明写真も豊富で、操業時を模した
職人マネキンも何体も設置されています。
これは勉強になる。
許可なく写真撮影が禁止なので、内部の
画像はありません。


たたら場の向かいには工作建物。


このたたらの動力は水力です。
水路は見当たらないので、現在は埋めら
れたのでしょう。




マムシ注意。


付近の案内図。


この奥出雲は、かつて滅多矢鱈とたたら
がありました。
豊富な砂鉄が採れたため。
出雲の砂鉄は備後備中の赤目(あこめ)砂鉄
とは成分が違う物です。
直接精鋼で効率よく鋼が製造できる。
金属的な質は最良ですが、刃物鋼として
は中世の小だたらに大きく劣ります。
キラキラしてとても綺麗で金属的には良質
ですが、刃物鋼として刀剣に使用すると
刃こぼれしやすい。
この量産鋼が出回るようになってから日本
刀の素材そのものが変わってしまった。
それゆえ、近世(織豊時代以降が近世)以降
の江戸初期の刀鍛冶である、長曽祢虎徹
里などは、当初「古鐵」と銘して従前
の刃物としての良質鋼を用いる事に徹底
的に拘泥しました。
この角炉たたら場は明治34年(1901年)に
操業開始です。日本国内で初めて国会が
開設され、憲法も制定されて間もない富国
強兵時代。

7月も終わりなのに紫陽花。
土壌のpH度合いが判ります。


綺麗に咲いている。


手水鉢があるので何かと思ったら、カナ
ヤゴ神の神社がありました。




金屋子さんは天目一箇神(あめのまひとつ
のかみ)と同神ともいわれています。
日本の神話では、神とされる存在は実在
の人物の神格化がほとんどです。
カナヤゴさんも、製鉄鍛冶技術を持って
いた技能集団の長であった可能性が高い。
天岩戸の頃には日本に居住していたので
しょう。
仏教伝来の500年程前の日本の神々は、
「神は仏の眷属」などという外国の概念
は存在しません。日本の原初的な原始的
な「宗教を超える概念」であり、今でも
多くの日本人のアイデンティティを規定
しています。それは作られた「宗教」で
ある神道とも異なる。


崖の上にカナヤゴさんの祠が建てられて
います。
本来、原始神道は、社殿などはなく、
小さな祠は神との接点となる出入り口の
象徴として置かれました。
日本の神は、その場に座っているのでは
なく、天に居て、呼びかけに応じて応え
る、という形です。
この金屋子神は、和式刃物や鉄を扱う者
たちにとって絶対欠かせぬものです。
自動車メーカーでも生産工場では毎年11
月に神事としてふいご祭りをして、仕事
を停止し、御神酒を供えている会社もあり
ます。


でかいアリ発見!


体長2センチくらいある。
でかすぎて気持ち悪い。
アゴが鋭いですね。クワガタみたい。


存分に堪能、勉強になりました。
たたら場の丘を下り、本線に戻り、さらに
出雲の旅を続けました。


なんだか、風景も土地全体が神々しい。
この国だけは十月は神無月ではなく、
神有月と呼ぶ。
瑞穂の国日本でそれは島根県だけ。
ただ、大国主は海人族であり、ヤマトの
大王の一族とは別な種族で、先行的な
列島への大陸半島からの移住者でしょう
ね。縄文時代末期から弥生時代初期にかけ
ての。先行渡来者ですが、同じ渡来者の
ヤマト大王族よりも多くの先進技術を持っ
ていた。
ヤマトはそのうちの製鉄技術だけは何と
しても欲しかった事でしょう。
吉備国の先住者に対しては武力で征伐し、
出雲国の先住者に対しては、傀儡化させる
事で対処しています。
鬼退治のような逸話まで創作して散々な
目にあわせた吉備へのしうちとは違い、
出雲に対してはヤマトは相当神経質に気を
使っています。
それが十月には全国の長たるカミが出雲
にお伺いを立てに出向く事まで定めた。
懐柔による「国譲り」で出雲を掌中に収め
たヤマトでしたが、出雲の事は相当恐れて
いた事が伺い知れます。
出雲は神の国。
勿論、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教
でいう神(その三教は同一神)と日本の神は
存在が違います。また、外国宗教である
仏教でいうところの仏の眷属とする神とも
存在が異なります。日本独自の概念。
出雲を走ると、何かを確実に感じる。
言い知れない、2000年の血の中の記憶
ある何かを。
未踏ならば、日本人よ、出雲に行くべし。


日の出前の備後国三原

2021年07月24日 | open
朝5時9分。
 
日の出前の瀬戸内海。


備後国三原城とJR三原駅。
向こうに見えるは安芸国筆影山と竜王山。


市街地西側を見る。
丘の上にある建物は広島県立大学の校舎
だ。元県立広島福祉大学。
 
きょうも一日が始まる。