フルバンク!フルロック!超加速!
バンクセンサー擦りまくり白バイ隊員
によるワンポイントアドバイス
二輪の乗り方も武術での体使いと
共通する事項が沢山ある。
ガチガチの上体硬直、肩が上がって
固着状態でスポーツや武術は一切
できない。
二輪の操作操縦とて全く同じ事。
武技と同じく、大切なのは下半身
なんだよなぁ。
プロである白バイ隊員に硬直姿焼き
状態の人間は皆無。
1980年代初期、横浜から原付
で広島まで弾丸をやった時、
兵庫県赤穂市内の国道2号線の
下り線側に奇妙なドライブイ
ンがあった。
立ち寄ってみたら個人的に大
戦中の兵器を集めて展示して
あり、「豪華日本一 日本陸
海軍軍隊館」と称した展示館
になっていた。
異様な空間だった。
1960年代末期に開業したドラ
イブインで、2005年に廃業。
その後2012年頃までは廃墟の
まま建物が残存していたが、
2015年に解体され、跡地には
当時流行の太陽光発電の売電
施設が建築された。
仕事の出張で旧「ドライブイ
ンよろい」の前を通った時、
「うを!無くなってる」と気
づいた。
大学の頃はまさか広島県に将
来住んで、西日本中国地区を
担当して9県を飛び回る仕事
に就くなどとは思ってもいな
かったので、中国地区に東京
本社から初めて転勤してから
この赤穂を通り、大学の時に
見かけた「よろい」を見つけ
た時には感動した。
思わず立ち寄ったが、1980年
代初期のままだった。飯は相
変わらずうまくはなかった(笑)。
廃業廃墟時代のドライブインよろい。
2021年現在のよろい跡地。
後方の山の杉の木が同じ形。
現在の「よろい」の前の国道
2号線。
西への下り線側から見ると、
ずっと直線が続き、前方がやや
直線の坂になっていてその先は
地形により見えない。この景観
が印象的な街道。
左側が旧よろい。死亡事故現場
でもあるようだ。
赤穂市の国道2号線のよろい横
の街道の景色は、現岡山県浅口
市の金光あたりの景色に似てい
る感じがする。
やはり西に向かい前方が直線の
坂になっていて、その先が見え
ない地点がある。
街道走り人には癖がある。
峠にしろ町中にしろ、道を
コーナーと直線のレイアウ
トで覚えているのだ。
これはもうどうにも身から
抜けない癖となる。
走り人同士での会話では、
「あそこの左直角コーナー
の先の右へのS字で」
というような表現をする。
そして、走り人同士はそれで
通じる。
どこどこ何番地のどこ、など
という警察の現場検証のよう
な表現はストリートライダー
は用いない。
特徴として、路面の状況と景
観景色で周辺状況や乗り方を
覚えている。
それはあたかも「筑波の第一
は左ガードレールの切れ目が
目の端から過ぎた瞬間にブレ
ーキ開始」というような感じ
で。
これ、ストリートの二輪の乗
り人(特に乗り屋)に共通す
る「癖」だ。
四輪車の人たちは建物等を目
印にして場所を特定説明する
傾向が強いのだが、二輪乗り
たちは路面=道路そのものを
主軸として考察し、説明する。
それはそうだろう。どこどこ
のコーナーのマンホールはど
の位置にあるから危ないから
さらにクリップを奥にとか、
そういうことを日常的に考察
して気をつけて公道を走って
いるのがストリートの二輪乗
りだからだ。
道幅を目いっぱい使った走り
方の時も、白線は踏んでいる
ように見えてタイヤの接地部
分では踏んでいない。つまり、
路面のペイント線は踏まない。
それを白線やセンターを踏ん
だように見えているとしたら
眼力がド素人丸出しだ。物は
言わない、書かないほうがい
い。
自分が識別認知不能者である
ことを自己暴露することにな
るからだ。5ちゃんねらーとか。
ただ二輪に載って移動している
だけの人たちは、四輪運転者と
同じく、二輪乗りたちとは異な
る景色を見て、異なる感性で場
所を確認しているかも知れない。
そして、現代では大流行りのナ
ビを使い、ナビ頼りで道を走っ
ていると、そうした乗り人とし
ての方位感覚や野性的な帰巣能
力、到達能力は著しく鈍麻し、
まったく使い物にならない生物
となって行くことは必至だ。
なるべくナビゲーションは使わ
ず、どこかにきちんと停止して
から位置確認等のみで使うほう
がいい。
まして、モニター見続けで二輪
を運行させるなど危険極まりな
い。
ナビもインカムも、安全に配慮
して有効的に使用しましょう。