渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

早朝のコーヒー

2021年07月10日 | open



晴れたら早朝のコーヒーをもらいに
101km西へ弾丸で行くかな。
晴れたら。
曇りだろうと、せめて、雨でなければ。
マグカップ1個だけ持って。




いや、引きこもりが正解かも。









バス旅行

2021年07月10日 | open



やってみたいと思っているうちに
実現不可能になった事がある。
それが三原市営バスの乗り継ぎの
旅だ。
三原市営バス、尾道市営バスは
廃業となった。
三原市営バスは、現在三社の民間
バス会社が業務を引き継ぎ運行させ
ている。
まだかろうじて「バス乗り継ぎの旅」
は実現できるが、市営バス乗り継ぎ
というのは不可能となってしまった。
これは世界トップクラスのわがまま
俺様大将のスティーブン・セガール
でも無理。三原市を買い取ることが
できない限り無理。無理なもんは無理。

広島県三原市周辺のバス路線。




撮り鉄暴徒

2021年07月10日 | open







1970年代、暴走族には交通機動隊の精鋭
が一斉に警棒で殴りかかった。
1960年代〜1980年代、過激派に対して
は警視庁を筆頭に全国各地の武装機動隊
が殴りかかった。時にガス銃水平撃ちで
ノーヘルの看護担当学生の脳天を至近距
離から狙い撃ちで機動隊は人を殺したり
していた。

今の時代、国鉄が民営化になり、鉄道公
安官は廃止された。
だが、鉄道特別機動隊とか必要なのでは?
武装せる機動隊にスボコにどつき回された
らいい。この撮り鉄なる暴徒たちは。
暴走族や過激派のような確信犯ではなく、
わがままな暴徒であるというところが悪質
だ。楽しんでるからいいじゃないかとか、
俺の自由だろとか、権利だとか勘違いして
るんだろう。
そういうことをすると、どうなるのかを
国家権力によって指し示せばいい。
警官に半殺しに殴られたり、時に殺害さ
れる事があるなどとは、この撮り鉄たち
なる者らは思っていないのだろう。
電車に接触したり、線路に落ちて轢死事故
になったら、鉄道会社を悪者にしたがるん
だろうなあ、こういう奴ら。
ま、取り敢えず、武装警察機動隊に片っ端
からスボコ殴りされる事推奨。
死ねばいい、とまでは言わないが、思い知
ればいいとは思う。

新宿

2021年07月10日 | open



私は生まれは目黒区だが長年住み慣れ
た新宿区が好きだ。

新宿に居住する以前の高校時代からの
遊び
場も渋谷ではなく新宿だった。
池袋も
学校帰りによく寄ったが、高校
時代には遊びに行く
のは決まって原宿
か新宿。
映画館は歌舞伎座裏の噴水前広場にある
名画座
ミラノが一番行くのが多かった。
古い映画をやってたから。


映画『彼のオートバイ.彼女の島』(1986)
での主人公コオのアパートの撮影場所
は新宿区内ではないかと私は踏んでいる。
周囲の風景がもうどうにも新宿だし、
走行シーンでも新宿区~飯田橋界隈が
多い。
スナック「道草」は東京を時計盤に
見立てたら8時あたりの東急線沿線
の目黒区か世田谷区あたりなのでは
なかろうか。地形からして。
ただ、コオのアパートから歩いて行ける
場所にスナック道草がある設定だが、
これは映画では物語の上での設定で
あり、撮影場所は離れている事だろう。

新宿区という区は、江戸時代には武家
屋敷と街道沿いにのみ商家の町家が
あった江戸時代からの住宅密集地だ。
そして、人が多い所には何がある。
寺だ。新宿区は坂と寺がべらぼうに
多い。坂と寺だらけ。それが新宿区。
新宿区というのは戦後の新しい区分け
と名称で、戦前は四谷区、牛込区、
淀橋区だった。それが戦後に合体して
東京特別区の新宿区となった。
特別区というのは、区が独立した行政
区であり、そこに区議会があるという
制度。東京都以外の市政に等しいのが
東京特別区の23区になる。独立行政
なのよ、各区が。
なので、例えば広島市の東区とか
横浜市の中区とかとは実体が異なる
のよね。

で、新宿区には坂と寺。
この上掲の地図の赤い寺だけではなく、
もっと沢山の寺が嘘みたいにある。
コオのアパートの撮影場所の特定は
寺と墓地とアパート前の坂が重要な
情報となる。
寺を背にして狭い坂を下った部屋の外
に墓地がある場所。これだ。

まだ、私はそれがどこだか特定できて
いない。
ただ、多分だが、新宿区内だろうと
推測している。

幕末に新選組の母体となった天然理心流
の試衛館道場があった柳町付近をカワサキ
走るコオ(竹内力)。
ずうとるびの新井君が運転する車が幅寄せ

して来たので、懲らしめるシーンだ。
車をひっくり返した場所は、凸版印刷の
そばの
坂道。



本気で知りたい「あそこ」

2021年07月10日 | open
 






これはホントにどこなのよ?と。
 
あと、このコオのアパート。
公開は1986年なので、撮影は同年の早い
時期か前年になる。
今はもうこのアパートは無いかも。
しかし、窓を開けたら寺院の墓地だ。
墓地はさすがに無くならねえべ。


映画『彼のオートバイ.彼女の島』は、
二本立てのオマケ作品だった。
メインは角川自らが作った『キャバレー』
だ。
公開時、映画館ではどちらも映画として
はくっそつまらねえ作品だと思ったが、
『キャバレー』は映像がとてつもなく
良かった。
絵になる。ほぼセットだと判ったが(笑
『彼のオートバイ.彼女の島』は、なんで
ポスターやパンフと本作品での題名表記
が違うのかなあと思った。映画の作品タイ
トルは本当は「彼のオートバイ.彼女の島」
だ。「.」は丸ドットではなく、菱形の
ドット表現。
 
そういうとこ、結構大切な事なのに、
なぜだかこの作品は題名がまちまち
で、メディ
アとかもかなりテケトン。
そもそも、片岡義男の原作は「彼のオート
バイ、彼女の島」だ。ドットでもスペース
でもない。
この作品は、なんで題名がバラバラなの
か、その理由は私は知らない。
 
推測だが、コオのアパートは、新宿区の
ような気がするよ。旧江戸エリアの。
そして、田村高廣さん以外全員が素人
学芸会だった『彼のオートバイ.彼女の島』
は、35年経った今、妙な味を感じて何度
も観ている。
まるでスルメイカみたいな映画だ。
噛めば噛むほど味が出る。
そして、観るたびに新たな発見がある。
DVDでは大林監督のインタビューが収録
されていて、それによるとかなり行き
当たりばったりで作った作品のようだ。
心意気だけで撮ったような。
それがじわじわと効いてくる味のある
作品になっているのかも知れない。



幾星霜を駆け抜けて生き残っている日本刀

2021年07月10日 | open





東京の先輩の所に刀が届いた。
午前中に連絡あり。早い!
昨日中に兵庫県から発送予定との
連絡があり、本日午前中に都内に
到着。
先輩は購入を決めた。
これまた早い(笑)。さすが江戸っ子。
逡巡は無い。


この刀、私が画像で観る限り、かなり
真面目な作だ。
戦国戦乱を乗り切った刀であるので、
満身創痍で痩せてはいるが、造り込み
は意欲的でとても好感が持てる作だ。
鋩子の造りがまず良い。三原のような
長い返しは実用的見地からだろう。
そして、棟には地斑(じふ)のように
海上に島が点在するような棟焼きが
ある。
この棟の焼きは、美術刀剣界では下作
とする斯界独特な高慢ちきな見解が
あるが、実用性などに無知な連中が
勝手に作り上げた的外しの思念でし
かない。
意味がある事しか刀鍛冶はやらない。
そこを見ずして何を見る。
日本刀を見る。それは作者とのやり取り

なのだ。

この棟の焼きというものは、刀が見える
人にしかその存在は見る事ができない。
水田国重のうち山城大掾を受領(ずろう)
した大月伝七郎の作には、棟にまるで
初代虎徹の玉垣刃を焼いたような作がある
が、あそこまで明瞭な焼き入れ処理では
なくとも、軽い棟焼きは実用的な見地
から処理をする刀工はかなりいる。
これは赤がねをかませての反り直しで
生じたものではなく、明らかな作刀上
の工法の処理として棟側にも軽い熱変態
を施していることが看取できる作品は
結構存在する。

しかし、刀が見えない人には、その刀が
どのような状態になっているか、どこが
どうで何がそこにあるのかが一切見え
ない。
いわゆる「刀が見える人」というのは、
刀身に発生している物理的な現象を
つぶさに一つももらさず素直に見て
取ることができる人の事をいう。
この「刀が見える、見えない」という
のは、経験値や学習進度などは一切
関係がない。刀が見える人は最初から
いきなり見える。刀が見えない人は、
一生見えない。どんなに日本刀の事を
書籍で勉強しようと、あるいは多くの
日本刀を実見しようと、刀が見えない
人は一生見えないままだ。
これは最初から「見える人、見えない
人」というのは決まっているのだ。
きっと人間を作り出した神の采配なの
だろう。

そして、いあい道などの日本刀を使う
人たちで刀が見える人は皆無に等しい
という人の世の現実がある。
私が思うに、これは刀を運動用具程度
にしか捉えていない人たちだらけと
いう事が、日本刀が見えないという
現実に拍車をかけているのではと
思えるフシが強い。
要するに、いあい道をやっている人たち
は「日本刀には興味はない」のである。
刀を振っている自分に興味があるだけで。
それでは百年経っても日本刀の真実に
肉迫することなどは不可能だ。

刀が見える、見えない。これは人が
オギャアと生まれた最初の時から
決まっている。
ただ、刀剣の勉強をする事によって、
眠っていた日本刀が見える資質が
開花して、見れば見る程どんどんと
刀が見えて来る、という事はある。
私も小学校中学年まではよく見え
なかった。
ただ、家伝の日本刀や親戚親族の
家に残る日本刀を見るたびに「刀身
上のここ
にあるこれは何だろう」と
いう疑問が
数えきれない程にたくさん
あったので、
日本刀を本格的に勉強し
始めた。

書籍による学習開始は小6の時からだ。
それが中1の時に、一気にブワッと刀
が見えるようになった。
ありとあらゆる刀身上の現実をその
ありのままで捉える事ができるよう
になったのは、日本刀を手に取って
真剣に見始めてからたった一年だ。
開花とか開眼とかというのはこれ
なりしや、と中1の時に感じた。
たまたま歴代が日本刀に深く関与する
家筋だった事もラッキーな偶然だった。
刀に触れ合う(触らせてはくれな
かったが)機会が他の家の子よりは
多かったのはこれ幸いだった。

本日、一口の日本刀と出会った先輩が、
幾星霜を駆け抜けて生き残って来た
その刀に接することで力が自らの内部
に湧き出て、来週の手術を乗り切って
くれることを切に願っている。

「力を貰う」「勇気を貰う」などと
いうものは人間界には存在しない。
気力も体力も知力も勇気も夢も希望も、
誰かから貰うものではない。
自分の中から湧き出て来るものだ。
他人や自分以外の事象は、その自発的
な力の発生の触媒の役目をするだけ
なのだ。
「勇気を貰った」「優しさを貰った」
「元気を貰った」e.t.c.
これらは大嘘なのだ。
そんな他力本願の性根でいる限り、
絶対に自分の状態は好転したりは
しない。
自分の力で切り拓くのだ。雄々しく、
逞しく。
少なくとも武士の意気地はそうである。
生まれた時からそのように徹底的に
躾けられる。
独立自尊。己がすべてを決裁する。
それがサムライってものだ。

もちろん、壮絶な生き方をしてきた私の
先輩には無用の論だが、世間一般的には
そこの大切なとこを解かっていない人
が多いようなので、口はばったいが、
あえてここに記しておく。


愛の

2021年07月10日 | open




2003年の西荻窪のスタジオUENでの
忘年会。高校大学時代の友人家族
たちと。
ここにいた家族のうち二名の女性が
まだ若くして病気でこの世を去った。

全員酔っての大酒飲み忘年会だった。
飲むクチの私が下戸に思えるほどに
みなさんよく飲む。
私の高校時代の友人もこの場に3名程
いた。ブルースバンドを組んでいた奴
やソロで上手かった奴とか。
俺なんて即興だからと言い訳は言いたく
はないが、酔ってて歌詞出鱈目だしよ~。
ま、なんてのか初合わせの即興ジャム
でのテケトン。
でも、音のつむぎってのは、テケトン
がいいよ。
かっちりきっちり譜面通りなんてのは
俺たちには似合わない。

まだ若いのに奥さんが病気で突然死んで
しまう。
つらすぎる。