大東亜戦争の影響で
それまでの日本の映画界が
整理されて、若いスタッフは
従軍カメラマンとして南方へ
また、父親は若い人を連れて
3年という約束で満映へ
渡満します
勿論、父親だけでなく
われわれ家族も一緒でした
満州の冬は,いままで経験したことのない
厳寒と,春の黄砂は本場ですから
すごいところでした
やがて、満州で敗戦を迎えて
日本へ引き揚げてきます
… … …
戦後、日本は見事に復興して
再び、映画が娯楽の王者に返り咲きます
制作すれば儲かる映画はますます
予算をかけて大作が作られました
… … …
父親はモノクロ作品「源氏物語」「大阪物語」「大仏開眼」
カラーで「地獄門」「楊貴妃」などをこなしました
娯楽の王者、映画の世界に
テレビが登場してきました
最初、テレビは映画の敵とは思えなかったのですが
映画館の観客が減少しだして、映画界はオヤッと
気が付きました
… … …
映画の斜陽化は日本だけではありません
父親は惨憺たるハリウッドを見てきています
テレビは世界の映画界を斜陽化させました
二十歳代に活動写真に、そして映画界の第一線を
歩んできた父親が
新しく勃興してきた未熟なテレビを見て
「映画は我々、一代で終だったなあ…」と
直感的に悟ったのでした