
私が高校2年(1950、昭和25年)の時に、
大学では「写真研究会」が発足しています
今から、60年前になります.
私は在学中の4年間、「写真研究会」に所属して
写真を勉強させていただきました。
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学生写真は、今と違って写真の
新境地に向かっていました
野心的な構図など
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「学生写真」というジャンルがありました.
そして組織として学生写真連盟(朝日新聞社)がありました。
三菱製紙の「月光V2(げっこうぶいつー)」印画紙で
黒く焼いたプリントがはやっていました.
年配の写真作家連はこの「学生写真」を経験しています.

世間の生活に慣れてきた私は
写真クラブ「京都シュピーゲル」
に入ります.
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私が入会したのは年度半ばでした。
ときどき月例で入選させていただきましたが
白黒部門のポイントはとれませんでした
本堂に会員の四つ切りの白黒プリントの
月例審査が終わってプリントを片付けてから
カラー部門の月例が始まります

ズームレンズ付きの豪華な
スライドプロジェクター「ローライ製」で
大きなスクリーンにマウントされたカラーリバーサルの
映写が始まります.
ネガサイズは,35ミリが大部分ですが
6×6判のマウントも審査の対象になっていました
私の入部翌年の冬の月例会で
カラーリバーサルが月例の3席に飛び込みました.
私に初めてポイントがつきました.
「新人××君、入賞…」と
会報にタイトル付きで記事が載りました
白黒部門ではさっぱりでしたが
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カラーで希望が沸いてきました…
