時代劇映画で特別出演として漫才や、コントのトリオが出ることがあります
喜劇の監督、斉藤寅次郎さんは、
「何か面白いことをやって…」
漫才や、コントのカット割りをしませんでした。
漫才の持ちネタを映画で演ずる場合、タイトな二人のショットをネタが落ちるまで長く回します。
漫才の二人をばらして、一人ずつ大写しにしたりしません。
カメラは据えっぱなしです。それは、いくら監督がその漫才のネタを知っていても、
漫才は二人の間のやりとりですから、カットを細かくすることができません。
漫才台本に基づいて演じているのですが、本番のときアドリブで二人のうちどちらが主でどちらが従かわかりません。
漫才さんも本番で演じてみないとわかりません。
コントなどトリオの場合は、タイトなスリーショットでそのネタが終わるまで放っ
ておきます。
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テレビの寄席番組では、舞台の一つの漫才は15分ぐらいです。
3台のカメラをどう切り替えても舞台の漫才は続いています。
真ん中のカメラが二人のルーズなショットを押さえています。
両側のカメラが漫才さんのそれぞれ一人の大写しを狙っていますから、時々、切り替えます。
すると、画面に写っていない方にネタが動いていることがあります。
二人の漫才は一人に切り替えるきっかけが難しいです。
二人のショットの画面が持たなくても仕方がありません。
二人のショットが保たないときは、二人のネタが面白くないということです。
落語の噺家をいろんなサイズ、大写し、少しルーズなショット、座布団に座った、ルーズなショットと切り替えるディレクターがいます。
落語も正面からのルーズなショットが落ち着いていて私は好きです。
カメラの切り替え方で、話が面白くなるはずがありません。
漫才、落語、コントなど、一応、リハーサルをやりますが、本番通りには彼らは行いません。
「ここでこうしてあーして…」
「オチはこうこうです…」
と口で説明するだけです…。
それに反して、マジシャンの松旭齊Kさんは、熱心な奇術師で、本番通りキチッとリハーサルをやってくれました。
彼のカット割りへの注文は、画面から決して指先がはみ出すようなサイズで撮ってくれるなです。
奇術師の指先が画面から切れて写らないと、ウソに見えるというのです。
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