1964年10月10日の晴天に恵まれた東京オリンピック開会式は、赤いブレザーを着た日本選手団の行進は初めて見るカラーテレビで美しく見事なものでした。
NHKは、輝度分離の4管式のイメージオルシコン管カラーカメラで 放送しました。
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テレビが始まったときはイメージオルシコン管を使ったモノクロのテレビカメラでした。
この イメージオルシコン管は、感度を上げるために電子倍増部というのがあります。
大道の香具師が蝦蟇の油の口上で紙を刀で切りながら「1枚が2枚、2枚が4枚、4枚が8枚」と半分にした紙をまた半分に切る場面があります。
それと同じように、撮像管の光電面から帰ってきた電子が、この電子倍増部に突き当たると、一粒の電子が二粒になり、次の電子倍増部で二粒が四粒に電子の数が増えてゆきます。つまり感度が高くなるのです。
この構造のおかげで、テレビ・スタジオのセットを照らす照明は少なくてすみました。
これが、イメージオルシコン管を使ったテレビカメラでテレビ局が運営できるという真空管(撮像管)でした。
しかし、次第にテレビもカラー化が考えられて、この感度の高いイメージオルシコン管で、カラーカメラを作られました。
イメージオルシコン管は大きくて、レンズを通った光をダイクロイックミラーで赤、緑、青とそれぞれわける構造で3本のイメージオルシコン管が必要です。
大きくて重いカラーカメラの高低の調節には電動モーターが付いていました。
この馬鹿でかいイメージオルシコン管式カラーカメラはテレビ局で、なかなか普及しませんでした。
イメージオルシコン管の映像は、水彩画のような少し淡い色彩でした。
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オランダのフィリップスでプランビコン管の名称の撮像管が出来ました。
この撮像管がアメリカに輸入されて、イメージオルシコン管より小さくて、しかも、色彩が油彩のようにべったりと油絵の具を塗ったような発色で、CBSが早速採用しました。
やがて日本にもフィリップスからプランビコン管を使ったカメラが輸入されました。
続く…
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