今日のうた

思いつくままに書いています

山海記(せんがいき)

2019-06-18 09:37:48 | ③好きな歌と句と詩とことばと
佐伯一麦(かずみ)著『山海記』を読む。
仙台で東日本大震災を経験した作者は、水辺の災害の記憶を訪ねる旅に出る。
次の文章から、日本は災害大国であることを改めて思い知る。

「時代によって活動期と静穏期があるものの、記録があるこの千六百年ほどの間に、
 死者が出た地震は日本全国でざっと数えただけでも百七十回以上も起きており、
 均せば少なくとも十年に一度の勘定にはなると知ると、
 どういう国土に住んでいるんだ、と彼は嘆息を洩らした。
 いっぽうで、曲がりなりにもそれだけの厄災を辛うじて生き延びてきた
 者たちの末裔である、という思いも兆した」

2011年八月から九月かけて台風12号により紀伊半島を襲った大水害をたどって、
彼は奈良県十津川村へとバスの旅をする。
土砂崩れのことを蛇抜けとも言い、蛇が付く地名は鉄砲水や山津波が発生した
場所に付けられる。
かつては東京目黒区にも蛇崩(じゃくずれ)という地名があった。

また次の言葉から、災害はどこでも起こりうることが分かる。

「東日本大震災後に、江戸時代に仙台藩が飛砂や塩害を防ぐために防潮林として
 植えてきた黒松や赤松は、潮風や痩せ地でも根を深く張り、生長も早いものの、
 土壌保持力が小さいために津波には弱かったと言われ、広葉樹が混成する
 森こそが防潮林にふさわしい、という声が上がっていたことを思い出したりした
 ものだが、その後に深層崩壊のことを調べてみて、地殻変動によって生まれた
 日本列島の成り立ちそのものに由来する災害であることを知らされると、
 地震や噴火とともに、自然の猛威を克服することは人知を超えている、と
 思わざるを得なかった。
 そして、この国では、どこに住んでいようとも、一生の間に一度は大きな厄災に遭う
 ことを覚悟しなければならない、という思いを東日本大震災の後に強く抱くように
 なったが、図らずもそれを象徴している場所に、知らず知らずのうちに
 引き寄せられるようにしてやって来た、と改めて痛感させられた」

2011年の台風12号による記録的な豪雨は、紀伊半島に激甚な被害をもたらした。
当時私は短歌をしており、次の歌に息を呑んだ。
吉野の山中に住んでいらした、なみの亜子さんの歌を引用させて頂きます。

 身をかたくしおるか谷は増水の川に全身打撲せられつ  なみの亜子


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あちらにいる鬼

2019-06-18 09:36:34 | ⑤エッセーと物語
井上荒野著『あちらにいる鬼』を読む。
作者の父である井上光晴とその妻、父の愛人であった瀬戸内寂聴をモデルに、
作者が5歳の1966年から2014年までをそれぞれの目線で書いている。

読みながら、「なぜ作者はこの小説を書いたのだろう?」
「なぜ書かねばならなかったのだろう」と、何度も何度も考えた。
当事者が当事者の目線で書くなら解る。
また子どもである作者が、彼女の目線で3人を描くのなら解る。
また3人が故人というなら解る。(両親は亡くなっている)
自分の記憶や瀬戸内に聴いた逸話などを膨らませながら、
フィクションとして書いたのであろうが。

瀬戸内はなぜ、彼女が書くことを許したのだろう。
愛した人の忘れ形見に、二人のことを記録させたかったのだろうか。
あるいは、彼女が文壇で活躍する手助けをしたかったのだろうか。

私が一番印象に残っている場面は、瀬戸内が井上と愛し合おうとする
まさにその時に、そして彼への当てつけに若い男と関係を持とうとする
まさにその時に、突然生理が始まり、二人の男の指を赤く汚す。
私の勝手な解釈だが、作者は父や瀬戸内に復讐したかったのではないだろうか。
二人の関係がたとえどんなに特別なものであったにしても、
それを書かずにはいられなかったのではないだろうか。 (敬称略)

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鏡の背面

2019-06-18 09:35:09 | ⑤エッセーと物語
篠田節子著『鏡の背面』を読む。
平野啓一郎著『ある男』もこの小説も、他人にすり替わる物語だ。
だが読後感がぜんぜん違う。
途中までハラハラドキドキ読んだことを思えば、
サスペンスとしては成功していると言えるのかもしれないが。
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ある男

2019-06-18 09:32:01 | ⑤エッセーと物語
平野啓一郎著『ある男』を読む。
久しぶりに小説の醍醐味を味わった。
私たちは何の疑いも持たずに、家族や友人、同僚、隣人たちと生きている。
だが信じていたものが、土台から覆されてしまったら・・・。

3・11以降、多くの人たちは同じような生活を送っている。
心の中までは解らないが、何もなかったかのように生きている。
あれ以降、主人公は足元が常に脅かされるような感覚のもとに生きている。
私が主人公に最もシンパシーを感じた瞬間だ。



追記
石川慶監督「ある男」を観る。
この監督の映画は「愚行録」「蜜蜂と遠雷」を観ているが、
どれも素晴らしく大いに楽しめた。
石川慶監督1977年生まれの46歳、
原作者の平野啓一郎は1975年生まれの48歳、
若い才能は伸びやかで気持ちがいい。

最近、大御所と呼ばれる監督の映画を観る機会があったが、
海外での賞を意識したかのような作品でがっかりした。
才能にも旬があるのだろうか。
(2023年6月24日 記)


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