佐伯一麦(かずみ)著『山海記』を読む。
仙台で東日本大震災を経験した作者は、水辺の災害の記憶を訪ねる旅に出る。
次の文章から、日本は災害大国であることを改めて思い知る。
「時代によって活動期と静穏期があるものの、記録があるこの千六百年ほどの間に、
死者が出た地震は日本全国でざっと数えただけでも百七十回以上も起きており、
均せば少なくとも十年に一度の勘定にはなると知ると、
どういう国土に住んでいるんだ、と彼は嘆息を洩らした。
いっぽうで、曲がりなりにもそれだけの厄災を辛うじて生き延びてきた
者たちの末裔である、という思いも兆した」
2011年八月から九月かけて台風12号により紀伊半島を襲った大水害をたどって、
彼は奈良県十津川村へとバスの旅をする。
土砂崩れのことを蛇抜けとも言い、蛇が付く地名は鉄砲水や山津波が発生した
場所に付けられる。
かつては東京目黒区にも蛇崩(じゃくずれ)という地名があった。
また次の言葉から、災害はどこでも起こりうることが分かる。
「東日本大震災後に、江戸時代に仙台藩が飛砂や塩害を防ぐために防潮林として
植えてきた黒松や赤松は、潮風や痩せ地でも根を深く張り、生長も早いものの、
土壌保持力が小さいために津波には弱かったと言われ、広葉樹が混成する
森こそが防潮林にふさわしい、という声が上がっていたことを思い出したりした
ものだが、その後に深層崩壊のことを調べてみて、地殻変動によって生まれた
日本列島の成り立ちそのものに由来する災害であることを知らされると、
地震や噴火とともに、自然の猛威を克服することは人知を超えている、と
思わざるを得なかった。
そして、この国では、どこに住んでいようとも、一生の間に一度は大きな厄災に遭う
ことを覚悟しなければならない、という思いを東日本大震災の後に強く抱くように
なったが、図らずもそれを象徴している場所に、知らず知らずのうちに
引き寄せられるようにしてやって来た、と改めて痛感させられた」
2011年の台風12号による記録的な豪雨は、紀伊半島に激甚な被害をもたらした。
当時私は短歌をしており、次の歌に息を呑んだ。
吉野の山中に住んでいらした、なみの亜子さんの歌を引用させて頂きます。
身をかたくしおるか谷は増水の川に全身打撲せられつ なみの亜子
仙台で東日本大震災を経験した作者は、水辺の災害の記憶を訪ねる旅に出る。
次の文章から、日本は災害大国であることを改めて思い知る。
「時代によって活動期と静穏期があるものの、記録があるこの千六百年ほどの間に、
死者が出た地震は日本全国でざっと数えただけでも百七十回以上も起きており、
均せば少なくとも十年に一度の勘定にはなると知ると、
どういう国土に住んでいるんだ、と彼は嘆息を洩らした。
いっぽうで、曲がりなりにもそれだけの厄災を辛うじて生き延びてきた
者たちの末裔である、という思いも兆した」
2011年八月から九月かけて台風12号により紀伊半島を襲った大水害をたどって、
彼は奈良県十津川村へとバスの旅をする。
土砂崩れのことを蛇抜けとも言い、蛇が付く地名は鉄砲水や山津波が発生した
場所に付けられる。
かつては東京目黒区にも蛇崩(じゃくずれ)という地名があった。
また次の言葉から、災害はどこでも起こりうることが分かる。
「東日本大震災後に、江戸時代に仙台藩が飛砂や塩害を防ぐために防潮林として
植えてきた黒松や赤松は、潮風や痩せ地でも根を深く張り、生長も早いものの、
土壌保持力が小さいために津波には弱かったと言われ、広葉樹が混成する
森こそが防潮林にふさわしい、という声が上がっていたことを思い出したりした
ものだが、その後に深層崩壊のことを調べてみて、地殻変動によって生まれた
日本列島の成り立ちそのものに由来する災害であることを知らされると、
地震や噴火とともに、自然の猛威を克服することは人知を超えている、と
思わざるを得なかった。
そして、この国では、どこに住んでいようとも、一生の間に一度は大きな厄災に遭う
ことを覚悟しなければならない、という思いを東日本大震災の後に強く抱くように
なったが、図らずもそれを象徴している場所に、知らず知らずのうちに
引き寄せられるようにしてやって来た、と改めて痛感させられた」
2011年の台風12号による記録的な豪雨は、紀伊半島に激甚な被害をもたらした。
当時私は短歌をしており、次の歌に息を呑んだ。
吉野の山中に住んでいらした、なみの亜子さんの歌を引用させて頂きます。
身をかたくしおるか谷は増水の川に全身打撲せられつ なみの亜子