今日のうた

思いつくままに書いています

本心

2021-06-28 12:02:06 | ③好きな歌と句と詩とことばと
平野啓一郎著『本心』を読む。時代設定は2040年。
ロスジェネ世代の母親が高齢者になる近未来を描いている。
アラサーの息子と70歳前後の母が暮らしている。
20年後ということで、AIが発達し、ヴァーチャルな世界が
拡がっている。
人々はお気に入りの仮想空間に入り浸るようになる。

主人公は「リアル・アバター」という職業に就いている。
これはヘッドホンらしきものを付け、依頼人が望む場所に行き、
依頼人に代わって行動する。
つまり自分の存在を消し体を貸すことで、依頼人は家に
居ながらにして疑似体験ができるのだ。
格差は今以上に拡がり、あっちの世界とこっちの世界が
はっきり分断されている。
主人公と母親はこっちの世界に生き、二人とも仕事が
いつ切られるか分からない。将来が不安だ。
主人公はリアル・アバターの偽依頼人による嫌がらせによって
言葉に出来ないほどの仕打ちを受ける。
ここでも汗の臭いが効果的に使われている。
このくだりは読んでいて息苦しくなった。そして
近未来においてもディストピアなのかと愕然とする。

この頃になると自由死が認められている。
自己決定権に基づく「人生に対する十全の満足感」や「納得」と
いった肯定的な要件が独自に加えられた結果、かかりつけ医に
認められれば自死を選ぶことも出来る。
これを”自由死”と呼んでいるのだ。

母親は「もう十分生きたから」と自由死を望むが、息子はそれに
納得しない。そうこうしているうちに母親は事故死してしまう。
亡くなる時に一緒にいられなかった悔いや、なぜ母親は自由死を
望んだのかをを知りたくて、母親のVF(ヴァーチャル・フィギュア)を
作ることにする。
VFに知識を入れてゆくことで、より母親に近づくようになる。
こうした世界はとても興味深く読めた。

だがある事件をきっかけに、主人公はあっちの世界に住むようになる。
主人公は思慮深く、周りの人たちのことを考えすぎるくらいに考える。
彼を雇うことになるあっちの世界のアバター製作者、ルームシェア
する女性、犯罪に巻き込まれる元同僚、そして母親の過去や自分の出自、
こういったことが頭では分かっても、あまり心に落ちては来なかった。
私の理解力が欠けているのだろう。

最近の私も「もう十分に生きた」といった思いを強くすることがある。
だからほぼ同じ歳の母親の言葉にドキッとした。
自分が時と場所を選び、自分が望む人に見守られて死ぬ。
30年も宿痾に悩まされていると、これから先も1日に
目薬を9回注し、吸入を2回、服薬は1回、漢方薬は2回、
そしてアレルギーを抑える注射を2週間に1度自分で打つ、
これを生涯続けていくのかと思うと、もうそろそろいいのでは、
と思わないこともない。

この小説の初めの部分に次の言葉がある。

「僕たちが、何でもない日々の生活に耐えられるのは、
 それを語って聞かせる相手がいるからだった。
 もし言葉にされることがなければ、この世界は、
 一瞬毎に失われるに任せて、あまりにも儚い。」(引用ここまで)

この言葉に慰められた。

コメント
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