今日のうた

思いつくままに書いています

自由思考 (1)

2019-09-03 16:13:02 | ⑤エッセーと物語
中村文則著『自由思考』を読む。
中村さんのエッセイは読んだことがないと思ったら、作家生活17年目で初めての
エッセイ集だという。
エッセイが溜まりにたまって、本来なら2冊にすべきところを1冊に纏めたという。
その方が値段的にお得なので、というからその発想に驚く。

作家と読者は信頼関係で成り立っている。
上手く書こうとか、賞を取ろうとか、人を出し抜こうとか、ベストセラーに
食い込みたいとか、そんな邪念は読者にすぐに見破られる。
私は中村さんの切れ長の目と、自分に誠実なところが好きだ。
「この人の書くことだったら信じられる。たとえ騙されてもかまわない」、と
思わせるものがある。
それにしても今のご時世、「本当のこと」を書くには勇気が要ることだろう。
いつからこんな世の中になってしまったのだろう。
文筆業の方にとって、まさに苦難の時代だ。

数年前にはあんなに憤ったことも、おぼろげな記憶になっているものもある。
人間は忘れっぽい。この本はそんな記憶を呼び覚ましてくれる。
また、これまで社会情勢に無関心だった人には、今の日本で起きていることが、
テレビでは報道されない大切なことが、分かりやすく書かれている。
この本を通して、視野が拡がること間違いなしだ。
それに読んでいて笑ってしまうことが多々ある。とにかく面白い。
付箋を付けていったら、付箋だらけになってしまった。
一部を引用させて頂きます。

私が共感するのは次のような文章だ。
たとえば、「それは恐らく、僕が残念ながら日向(ひなた)よりは日陰を生きて
きたからかもしれない。」とか、「しかし一番問題なのは、このエッセイを
〆切(しめきり)の一週間前に、ちゃんとこうやって書いていることである。
真面目というか、小心者なのだと思う」とか・・・・・・。
「私もそうなんよ」とうれしくなった。

①祖父母の家の近くのバス停には、大きな柳の木があった。・・・・・・
 それは巨大な生き物のようにゆらゆらと動き、僕はいつも、バスを降りるのが恐かった。
 あの細長い触手のような枝葉に自分が絡め取られるような、
 そのまま縛り殺されるような、そんな印象をいつも抱いた。
 しかし、祖父母の家に行くのは、僕にとって大きな喜びだった。
 これを通り過ぎれば、祖父母の家に行ける。そう思って通り過ぎようとし、
 目をつむればいいのだけれど、なぜかわざわざいつも、、その柳の木を見上げた。
 色々と考え込み、他人に迷惑をかけ、混乱することの多い子供だった。
 自分の中にある酷(ひど)く気味の悪いもの、不吉なものを目で直接見なければな
 らないような、本当に、嫌になるほど大きな木だった。
(このような感性の鋭い文章が特に好きだ)

②日本のちょっといいホテルに泊まると、大抵便座は温かい。まるで
 お釈迦様(おしゃかさま)の手の平に、そっとお尻を載せているような気分になる。

③米フィラデルフィアで数日に亘って行われたノアール(暗黒)小説のイベントに
 参加した時「なぜあなたの作品は暗いのだ」と聞かれた。
 「僕はそんな明るい人間じゃないから・・・・・・」としどろもどろに答えると、
 「大丈夫。ここに来てる人はみんなそうだよ!」と明るく言われ会場に温かな
 笑いが起こった。国や文化が違っても、同じ人間。
 暗さとは、人の柔らかな部分を感じ取る優しさにも繋がるのではないだろうか。
 そんなことを思いながら、帰国の途に就いた。

④そもそも、内面にどんな問題も抱えていない人間などいないし、
 自分は真っ当で何の問題も抱えていない、と思っている人ほどなかなか問題で、
 人の弱さに敏感でない傾向がある、と僕は勝手に思っている。

⑤友人が第二次大戦の日本を美化する発言をし、僕が、当時の軍と財閥の
 癒着(ゆちゃく)、その利権がアメリカの利権とぶつかった結果の戦争であり、
 戦争の裏には必ず利権がある、みたいに言い、議論になった。その最後、
 彼は僕を心底嫌そうに見ながら、「お前は人権の臭いがする」と言ったのだった。
 「人権の臭いがする」。言葉として奇妙だが、それより、人権が大事なのは当然と
 思っていた僕は驚くことになる。問うと彼は「俺は国がやることに反対したりしない。
 だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴(やつ)らの
 人権をなぜ国が守らなければならない?」と言ったのだ。
 当時の僕は、こんな人もいるのだなと、思った程度だった。その言葉の恐ろしさを
 はっきり自覚したのはもっと後のことになる。             ②につづく


                      
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自由思考 (2)

2019-09-03 16:11:29 | ⑤エッセーと物語
⑥不景気などで自信をなくした人々が「日本人である」アイデンティティに目覚める。
 それは別にいいのだが「日本人としての誇り」を持ちたいがため、
 過去の汚点(おてん)、第二次大戦での日本の愚(おろ)かなふるまいを
 なかったことにしようとする。
 「日本は間違っていた」と言われてきたのに「日本は正しかった」と言われたら
 気持ちがいいだろう。その気持ちよさに人は弱いのである。
 そして格差を広げる政策で自身の生活が苦しめられているのに、その人々がなぜか
 「強い政府」を肯定しようとする場合がある。
 これは日本だけでなく歴史・世界的に見られる大きな現象で、フロイトは、
 経済的に「弱い立場」の人々が、その原因をつくった政府を攻撃するのではなく、
 「強い政府」と自己同一化を図ることで自己の自信を回復しようとする心理が
 働く流れを指摘している。

⑦僕たちは今、世界史の中で、一つの国が格差などの果てに平和の理想を着々と放棄し、
 いずれ有無を言わせない形で戦争に巻き込まれ暴発する過程を目の当たりにしている。
 政府への批判は弱いが他国との対立だけは喜々として煽(あお)る危険なメディア、
 格差を生む今の経済、この巨大な流れの中で、僕達は個々として本来の自分を保つことが
 できるだろうか。大きな出来事が起きた時、その表面だけを見て感情的になるの
 ではなく、あらゆる方面からその事柄を見つめ、裏には何があり、誰が得をするかまで
 見極める必要がある。歴史の流れは全て自然発生的に動くのではなく、意図的に誘導
 されることが多々ある。
 いずれにしろ、今年(注、2016年)は決定的な一年になるだろう。

⑧原発は、生命をもつような、怪物と言っていい。人は怪物を飼いならしながら
 生きている。そういう場合、人間の側は、一瞬の隙も見せてはならないはずだった。
 でも、隙だらけだった。現場の人間がではない。方向性を決める者、管理する者、
 指導する者がだ。要するにずっと昔から、いかにも日本的に、大丈夫大丈夫と
 言い合いながら、政官民で馴れ合っていたわけだ。

 情報が集まるにつれ、僕が柔らかい自分の身体を感じているしかなかったあの激しい
 揺れの数分という時間が、大勢の人間の命が亡くなった時間であり、さらに大勢の
 人間の命を失わせることになる、津波という巨大なエネルギーの誕生の時間であり、
 人間に飼い慣らされている振りをしていた、原発という、まるで生命をもつような
 怪物が、暴走を開始した時間であったことも知る。

 国は、福島第一原子力発電所の完全廃炉まで云(うん)十年、などと言っていないで、
 完全廃炉にする「速度」を速めるための「技術革新/研究」に、全力を尽くすべきだ。
 現在の技術だけで進めてはならない。事故の収束への技術、廃炉にするための
 「速度」を上げる技術を、革新的に飛躍させるべきだ。一体、そのための研究や投資を、
 国はどれだけしているというのだろう?口だけで希望といっても現実は変わらない。
 のんびりしている暇は一瞬もない。問題は「速度」なのだから。

⑨表現の自由、という言葉の解釈は歴史的にも多岐(たき)にわたるが、基本的には、
 国家権力に検閲(けんえつ)されず、たとえ国家権力にとって都合の悪い主張でも 
 表現できる自由を指す。だから、懐(ふところ)の狭い独裁政権には、
 表現の自由がない。
 少数派を傷つける言動を守る言葉として、本来使われるものではない。

⑩さらに言えば、今回(注、2017年の衆院選)は台風の影響もあり投票率が
 戦後2番目に低かったが、投票に行かなかった人も含めた全有権者の割合で
 見ると、比例で自民党に投票した人は約17%しかいない。
 積極的に選挙に行き、比例で自民党に入れた人がそれだけしかいないということだ。
 この中には組織票も当然あり、北朝鮮のミサイルを考え入れた人もいるだろうから、
 積極的自民党支持者の割合は今、とても低くなっていることになる。
 なのに、議席は全体の6割を占める284議席。
 結果は虚像としか言いようがなく、議席の錬金術(れんきんじゅつ)のようである。

⑪安倍政権を何でも擁護する人たちにとっては、そもそも都合の悪い文書もデータも
 見たくないから、それでいいのかもしれない。政権もニコニコし、支持する人たちも
 ニコニコしながら、実際の事実はないがしろにされ続け、この国はどんどん劣化して
 いくだろう。私たちは今、国家というものが私物化されていく、めったに見られない
 歴史的現象を目の当たりにしている。メディア内部では今、必死に政権の
 忖度(そんたく)に走る上司がちらほらいる噂も聞く。いい大人がみっともない。
 存在として恥ずかしくないのだろうか。部下からどう見られているか
 少しは考えた方がいい。
 もううんざりではないか。自民党はこのままでいいのか。

⑫日本の政治から、恥の文化が失われたのかもしれない。
 恥には周囲の目を気にする概念と、自分で自分を見つめた時にどう思うか、の
 概念があるが、今の政治には二つともないのかもしれない。
 森友問題にしろ、加計問題にしろ、首相や首相周辺を守るために役人がうその
 答弁を国会で吐き続け、文書を隠し、時に改ざんしていると多くの人にみられている。
 そんな状態の国会へ、首相は一体どんな気持ちで行くのだろうか。
 昔の日本人なら、周囲の目を思い、また自分自身を省(かえり)みて潔(いさぎよ)く
 辞任しているように思う。                       ③につづく
 



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自由思考 (3)

2019-09-03 16:10:55 | ⑤エッセーと物語
⑬だがしかし、現憲法の国民主権を、脳内で首相主権に改ざんすれば全て説明がつく。
 実際、首相を熱烈に支持する団体の中には、現憲法の国民主義は間違っていると
 堂々と述べる者もいる。今の日本の状態は、首相主権の国と思えてならない。実際、
 首相を批判するだけで売国奴(ばいこくど)と呼ぶ者もいる。「選挙で選ばれた首相を
 支持するのは国民主義」などの意見を聞くが、この国は、一度選挙で選ばれた
 政治家は、次の選挙まで何をしてもよく、批判してはならない国なのか。
 日本はそんな三流国家ではない。

⑭セクハラに関し愚(おろ)かな発言をし、取り消して謝罪した政治家もちらほらいる。
 全ては政治の劣化が根本原因と思えてならない。ちなみに今の政治家をさまざまに
 思い浮かべてみてほしい。そもそも「知性」、あるいは「社会的立場の弱い存在に
 対する優しさ」のうち、どちらか片方も感じられない人間を政治家にしてはならない。
                             
⑮差別とは、その個人を見ない。人柄も努力も関係ない。人種や国籍など、その人間の
 変えられない、変えることの難しい属性でその人間を否定的に判断し選別するものだ。
 過去の大量虐殺は、その個人を見て行われたものでは当然ない。「ユダヤ人だから」
 「ツチ族だから」と属性のみで憎悪するから「大量」虐殺/リンチが可能となる。
 差別はあおられると増大する傾向がある。だから社会的動物としての私たちは、その点に
 敏感になる必要があり、社会に何かを発言する人は特に「繊細(せんさい)さ」が
 要求される。自分の言葉が「予期せぬ差別扇動」となる可能性があるからだ。
 (日本を含む今の世界にとって、一番必要な言葉だと思う。心のもやもやが中村さんの
  文章に的確に表現されていて、読んでいてスカッとした)

⑯人と人が争う地獄の未来を望む言論人が差別発言をするなら、間違ってはいるが
 「筋は通っている」。だが彼らの多くはその未来を望んでいないと言い、もし現実が
 そう発展ーー人間の集団差別心理が暴走する時、かなりの速度で進行するのは
 歴史が実証しているーーした時「そんなつもりはなかった」と語るのは言論における
 責任の欠如(けつじょ)となる。でも現状では、自分たちとは違うものを侮蔑(ぶべつ)/
 揶揄(やゆ)することや、自分たちを他国民より優秀と思いたい感情や、他集団への
 攻撃性などの人間の性質を、その社会的動物の暗い本能欲望をあおることで
 商売する者たちが増えている。そのような文章を読む時はその商売意図を意識し、
 注意が必要だ。誰だって多少はあおられる。できるだけ読まない方が、
 人格にとっていい。つまりジャンクなのだ。
 そしてそういうジャンク商売は、そろそろやめた方がいい。数年後にまずいことになる。
 そのようにあおられた感情は、社会の中で蓄積(ちくせき)されてしまうので。

※この本には、中村さんの5つの小説が映画化されたことが載っている。
 ①~⑤を借りて観た。

①去年の冬、きみと別れ
②最後の命
③悪と仮面のルール
④火Hee
⑤銃

歳を取ると、五感がむき出しになるように感じる。
若い頃には耐えられた怖い場面が、今はもう耐えられない。
①の映画は怖い場面はあるにはあるが、それ以上にプロットが面白くて
一気に観てしまった。この構想は凄すぎる。
また、なぜ最後にこのような甘いタイトルを付けたかが分かり、絶句した。

②の映画は、少年の頃にたまたま目撃してしまった事件のトラウマを抱えて
生きることになる、二人の心の葛藤がよく描かれている。
①も②も役者が素晴らしい。 特に①はお薦めです。

※『最後の命』を読む。たまたま夜に秘密基地に来ていた二人の少年が
 集団強姦(後に殺人)事件を目撃し、犯人たちに捕まり、大人になっても
 消えないような酷い仕打ちを受ける。少年期、青年期、そして成人になって
 からも、その記憶はいつ噴き出し、いつ暴れ出すか分からない恐怖。
 トラウマという言葉では片づけられない傷を、一生背負い続けなければ
 ならないのだ。自分に正直に生きようとすればするほど、傷が二人の人生に
 立ち塞がってくる。それでも
 傷を負いながらも、生き続けなければならないというメッセージを
 私は受け取った。          (2020年8月22日 記)
 
③の映画は人間の善と邪を突きつめた作品だ。小説も映画も真剣に作られている。
 真剣に観ていると何度も胸が苦しくなった。
 無機質な構図と映像処理がこの映画に合っている。

④の映画は桃井かおり監督・主演の映画で、DVD化されています。
 (桃井さんはアメリカのインディ映画に数多く出演されています)。
 私はこの小説を読んではいないが、桃井さんのために書かれたように感じた。
 この役は桃井さん以外には考えられない。
 全身小説家という映画があったが、彼女は全身役者だ。
 このような役者を使える監督が、日本にはいないのだろうか。
 ちなみに④も⑤も配給は吉本興行だった。

 次の動画を観ると概要が分かります。
 中村さんが話しているのを初めて観ました。

映画「火Hee」特別トーク映像 公開記念 桃井かおり×中村文則×又吉直樹
          ↓
https://eiga.com/movie/84215/


⑤中村さんの小説を映画化した作品は全て、観る方にも覚悟が求められる。
 特にこの映画では主人公が銃を拾ったばかりに、観る方は一秒たりとも
 気が休まることがない。
 社会に対する怒り、人間が根源的に持つ悪と言ってしまえば簡単だが、
 人間の本質をぐいぐい突いてくる。
 また、いろいろな監督が村上虹郎という役者を使いたがる理由が、この映画で分かった。
 絆、感動、勇気、涙、一生懸命、夢を叶える、こんな見え見えで薄っぺらい映画が
 幅を利かせて、興行収入ランキングの上位を占めている。
 本物の映画を観る文化的な土壌が、今の日本には欠けているのだろう。

追記1
「銃」を観てから広瀬アリスのファンになった。
でも私が知る限り、この映画以上の役を観ていないように思う。
演劇でも映画でも、これを超える役が観たい。
(2021年6月23日 記)

追記2
2022年春のテレビドラマで、広瀬アリスが主役を演じている
ドラマが2つある。ファンとしては今度こその思いで初回を観た。
「探偵が早すぎる」は展開が速いが、ドタバタ劇すぎてついていけない。
「恋なんて、本気でやってどうするの?」は正攻法の脚本で、27歳の
女性のリアルを演じていて好感が持てた。今後が楽しみだ。
外野や視聴率を気にせず、伸び伸び演じてほしい。
(2022年4月20日 記)

追記3
「探偵が早すぎる」を観ているうちにパターンにも速さにも慣れ、
楽しんで観ている。
広瀬アリスはコメディエンヌとしての才能もすばらしい。
(2022年5月7日 記)


 
 



















  



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自由思考 (4)

2019-09-03 16:10:30 | ⑤エッセーと物語
⑰あるいは、こんな子供かもしれない。
 「僕は、将来は立派な国民になりたいです。
  政権批判は一切せず、政権にうそをつかれ続けても、どんな不祥事があっても、
  つまりはバカにされ続けても、絶対に政権を支持するドMな国民になりたいです。
  沖縄の危険な普天間(ふてんま)飛行場は、敷地で言えば沖縄の全米軍基地の
  約2・6%であり、そのたった2・6%ですら返してくれないのか、何でその代
  わりまた新たに海と土地を潰し、約2・5兆円も国民の税金を使い、
  完成まで13年もかかるといわれる辺野古に基地をつくるのか、
  何でそんなばかなことをするのか、という沖縄の人たちの至極まっとうな切実な声に、
  絶対に耳を貸さないクールな大人になりたいです。

  雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、東に被害者があれば、君が悪いと言い、
  西にセクハラがあれば、女性が悪いと言い、南に捕まったジャーナリストがあれば、
  自己責任と言い、北に声を上げる芸能人があれば、生意気だと言い、強い政権には
  絶対怒りは向けないが、芸能人の不倫には目をむいて怒りを覚えるような、
  そういう者に、私はなりたい。要するに、強き側に立ち、弱きをいじめたいのです。

  政権側に立って言葉を発する時の、あの何だか自分はクールで強くなったような
  気分を、ずっと味わっていたいのです。韓国と中国は心の底から憎みますが、
  アメリカ様にはいつでも土下座(どげざ)できる柔軟な二面性を目指します。
  今から先生にはこびへつらい、女児たちをいじめることで練習します。
  原発も大好きです。僕の頭の上につくってください。

⑱アベノミクスは、データで見てもやはり壮絶に失敗している。2016年末、内閣府は
 GDP(国内総生産)の算出方法を変更しているが、それに伴い、1994年以降の
 全てのGDPを改訂して発表した。その結果なんと、データ上アベノミクスの失敗を
 示す六つの大きなデータのうち四つが、綺麗に消えているという。「偶然」と言う人は
 言うかもしれない。だが現在の勤労統計の「惨劇(さんげき)」を見る限り、
 これが果たして「偶然」かどうか。

 日銀が政府のGDPなどの基幹統計に不信感を募(つの)らせ、独自に算出するため
 元データの提出を政府に迫っているという衝撃のニュースが出たのは
 昨年11月のこと。(注、2018年) 恐らく、この国の政治はもう末期である。

⑲多くの国は自衛の名の下に侵略戦争をするものですが、アメリカは特に、その傾向が
 あります。アメリカの利権による戦争のため、中東などで自衛隊員が次々死んでいき、
 人を殺害してしまう。そんな状況に、日本人は耐えられるでしょうか。現在、多くの
 日本人はアメリカが基本的に好きですし、僕も好きですが、その時日本は徐々に反米に
 転じると思います。僕はそれも怖いです。日本人にとって、アメリカに対する想いは
 元々複雑なところがあります。

⑳しかしアメリカは、日本の9条を変えたいと常に思っていると思います。それはアメリカ
 政府、というより、周知の通り一部のシンクタンクと、日本に利権を持つ一部の
 政治家グループによる働きかけです。なぜ、アメリカは憲法を変えさせたいので
 しょうか。憲法に関係なく、日本を無理やり自国の戦争に本格的に巻き込まないのは、
 日本の世論を一応気にしているからだと思います。

 アメリカにとっては、日本国民は親米であって欲しいし、その方が都合がいいから
 です。もし憲法が変われば、日本国民の中でも憲法が変わった意識が広がり、
 アメリカの戦争に協力させやすい。でも前述しましたが、日本人はそこまえ馬鹿では
 ありませんし、アメリカに対する感情は複雑で、そこを見誤(みあやま)ってはいけない
 と思います。だからアメリカの一部の人達に言いたいのは、経済や外交ではできる
 範囲で協力はするけれど、軍事や戦争に関してはそっとしておいて欲しい、
 その方が日本人は親米でいられるし、その方がアメリカの国益になる、ということです。
 日本の憲法を変えることは、長期的に見れば、 日本にとってもアメリカにとっても、
 デメリットしかありません。

21、(個別的自衛権と集団的自衛権の違いが、解りやすく書かれています)
 9条を語る時、自衛隊と文言(もんごん)についても避けて通れません。でも僕は、
 自衛隊を違憲とは思っていません。
 自衛の名の下に利権の戦争をする、他国のような「戦力」と自衛隊は違う、という意味に
 おいてです。自衛隊はそういう意味で、「戦力」ではない。そして、日本では本来
 集団的自衛権は認められていませんが、個別的自衛権なら、自然権として行使
 できると考えています。それは同時に、日本に他国が侵略してきて、
 実際にアメリカが軍を派遣した時(アメリカはそんなことはしませんが)、
 日本は米軍と共に軍事力を行使できることを意味します。
 「周辺事態」、つまり個別的自衛権の範囲内だからです。

 確かに、これは苦しいです。そんなことは当然、わかっています。ですが、この
 曖昧(あいまい)さこそが、平和を守る努力だろうと僕は思っています。
 このギリギリの解釈によって万が一のための戦争を抑止し、何とかその「範囲内」に
 懸命に留まろうとしてきたのが、戦後の日本だったと思います。
 この曖昧さこそが、平和国家を守るために必要で、この曖昧さの中にしか、
 実は方法はないと考えています。9条を変え、文言をはっきりさせた時、
 この曖昧さが崩れ、日本は予期せぬ方向へ根本的に変わるでしょう。
 憲法を変えようとする現政府や、それの取り巻きの人達が、たとえば憲法が変わって
 しまった十年後「こんなはずじゃなかった」と言う姿が僕には目に浮かびます。
                                 ⑤につづく

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自由思考 (5)

2019-09-03 16:09:57 | ⑤エッセーと物語
22、日本が憲法を変えて米軍の2軍になっても、日本人は実はプライドが高く
 反米になるので、アメリカにとって最適なのは、日本の現状維持です。僕は日本に
 米軍基地があった方が今はいいと一応思っていますが、でも数と敷地はもっと
 もっと、特に沖縄は抜本的に減らすべきだとも思っています。他国と海を挟むという
 日本の立場、そして現代の戦争においてはそれで十分だからです。

 そして重要なことですが。仮に日本が憲法9条を改正し、アメリカの戦争に血を
 流しながら付き合ったとしても、いざ日本が攻められた時、アメリカは理由をつけて
 派兵(はへい)をしぶることも頭に入れておいた方がいいです。外交は損得勘定で、
 人情ではありません。
 愚かにも東アジア諸国と敵対し続け、アメリカに守ってもらうためにアメリカの戦争に
 協力し、血を流し続ける。そしていざ攻められた時に、守ってもらえない。これほど
 惨めなことはありません。ですから日本は、普段から他国と緊張状態にならないよう、
 親密な外交が絶対に必要なのです。

 よって、9条を変える理由を、僕は見つけることができません。そして忘れてならない
 のは、あの憲法は、第二次世界大戦の終結した世界の、平和を希求(ききゅう)した
 当時の時代の空気を反映していることです。その後世界はまた戦争へ流れますが、
 少なくともあの時は(短かったですが)、強い反戦の気運を人類は持ったのです。

23、最後に、学者の人達に多いのですが、自分で憲法の試案を考え、自衛隊を
 明記した形での平和国家をつくろうとしている人達に伝えたいことがあります。
 恐らく、その出来上がった文面は素晴らしいものになると思います。ですが、
 あなたのその憲法試案が、百パーセント新憲法に反映されることがないことは、
 おわかりだと思います。そして言葉とは、少し変わるだけで、意味が大きく変わります。

 そういった方々が平和憲法を新たな机上(きじょう)でつくり、発表する行為は、
 結局のところ、現在の政権のように憲法を別の意味で変えたい勢力に、
 「憲法を変えよう」という世論の流れの後押しの要素の一つとして利用されるだけです。
 日本が本当に平和を追求するには、「今の憲法を変えたくない」という国民の意識が
 必要で、実際には、それしかないのが現実だと思っています。


24、先の大戦で、日本は三百万人以上の死者を出しました。その尊(とうと)い死者たち
 に対し、私達は彼らを死なせてしまった戦争をいうものに、反対し続ける責任があると
 僕は考えています。現在の日本という国の土台には、彼らの死があるとも僕は思って
 います。そして、その経験から私達は平和憲法を受け入れた。意地でも、何とか、
 これまでは戦争に加担することを避け続けてきました。
 これは日本人のアイデンティティです。憲法9条を変えれば、私達日本人は決定的な
 アイデンティティを失う。僕はそう思っています。

25、現在の社会の流れというか、世界の流れに対する危機感から、
 この小説(注、R帝国)を書きました。書いている最中は、1冊の本で、どれだけ世界を
 変えられるだろうかと、ずっと考えていて、つまりこの小説は、僕にとっての、
 世界の流れに対しての、抵抗の書です。本には、本にしかできない、
 役割があると思っています。

26、日本だけでなく、世界全体が排他的(はいたてき)に、不寛容(ふかんよう)に、
 抑圧的になっている時代。このような時代の中で、作家として、何ができるでしょうか。
 もちろん、そんなことを考えなくても、作家活動はできます。正直、その方が、
 安泰(あんたい)だったりします。でも作家が、今の世の中の流れに危機感を覚えている
 のに、それを書かないのであれば、それは読者に対する裏切りだと思いました。

27、一冊の本が、地面に落ちた一粒の種子のように、その後少しずつ広がっていく。
 世の中を劇的に変えることはできなくても、何かのブレーキになったり、
 0・01度くらい進む方向を変えたりすることは、できるのではないか。
 書いている最中、ずっとその想(おも)いでした。
 本には、本にしかできない、役割があります。

28、気持ちを新たに、帰国の途に就く。文学は国や政治や時代を超え、人を救う。
  (引用ここまで)


※以前、「僕は時事は詠まない」という歌人がいた。
 私はこの言葉がずっと頭に引っかかっていた。
 世の中がさほど変わらない時代ならともかく、今は国が暴走しかねない時代だ。
 そんな時に、時代を反映しない文学などあるのだろうか。
 中村さんの言葉を読んで、溜飲が下がる思いだ。     ⑥につづく




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自由思考 (6)

2019-09-03 16:09:26 | ⑤エッセーと物語
※これまで中村さんの文章を何度か引用させて頂きました。再度載せます。

①2016年1月10日の私のブログ
(選べない国で)不惑を前に僕たちは 寄稿、作家・中村文則

https://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/c07c419413cc95ebd7936f2dd45d471c

②2016年6月9日のブログ「教団 X ①」

https://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/38c5972f6f5e108fb03dbf5b198d37a3

③2016年6月9日のブログ「教団 X ②」

https://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/e07056a172d09e55fd93515ca4cde3ae

④2017年10月16日のブログ
 「こんな不誠実を 不誠実のまま認めてしまうのか?」の中の、中村さんの寄稿
 (2)「(寄稿)総選挙、日本の岐路 作家・中村文則 10月6日 朝日新聞デジタル」

https://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/2d0c761b4065a7d7cf178aff5e64382e


※2019年10月から朝日新聞で、中村さんの小説『カード師』が始まります。
 私は新聞小説は読まなかったのですが、これからは読もうと思います。
 スリリングな内容と緻密な心理描写、朝が楽しみになりました。
 目黒ケイさんの画も斬新で魅力的です。


 2020年7月31日で新聞小説が終わりました。
 毎朝、読むのが楽しみでした。明日からが寂しいです。
 目黒ケイさんの画はこれまで見たことのないもので、
 小説の世界に趣を添えていました。
 内容が時空を超えたものなので、時々、名前が分からなくなりました。
 本だったら見返すことができるのに、新聞ではできません。
 来春には単行本が出るようなので、頭を整理しながら読もうと思います。

 最後の次の言葉が印象的でしたので、引用させて頂きます。

 「今はまだ、少し辛(つら)いかもしれません」
 「でもここを越えれば、当たる光の角度が変わるように、
  新しい日常が始まるはずです」


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