今日のうた

思いつくままに書いています

孤独論 逃げよ、生きよ (1)

2017-04-17 17:20:18 | ③好きな歌と句と詩とことばと
私は60歳を迎えるまで、読書が嫌いだった。
仕事上、必要な本は読んだが、本屋に行くことも、図書館に行くことも好きではなかった。
退職して趣味を探していた時も、活字をあまり読まないですむということもあり、
短歌を選んだほどだ。
だが今になって、本を読まないできたことを後悔している。人生、損した気分だ。
もっと本を読んでいたら、自分を見つめ直すことが出来たかもしれないし、
違った人生があったかもしれない。

図書館にリクエストしていた本が、ここにきて一気に5冊回ってきてしまった。
3日前には、髙村薫著『土の記・上』と田中慎弥著『孤独論 逃げよ、生きよ』。
そして今日は、髙村薫著『土の記・下』と『騎士団長殺し・第一部、第二部』が回ってきた
とのメール。これはやばい!

いつも読むのが超スローモーな私が、髙村薫著『土の記・上』は2日で読んでしまった。
突然、山奥に放り出されたような、音・匂い・空気・気配、湿り……を感じながら、
主人公を追体験していた。 小説ってこんなに面白いものだったのね。
髙村さんはすごい、すご過ぎる!

追記1
第70回野間文芸賞に、髙村薫さんの『土の記』が選ばれました。
おめでとうございます。
(2017年11月23日 記)

追記2
第44回大佛次郎賞に、髙村薫さんの『土の記』が選ばれました。
おめでとうございます。
(2017年12月17日 記)

追記3
第59回毎日芸術賞に、髙村薫さんの『土の記』が選ばれました。
おめでとうございます。
(2018年1月1日 記)


5冊目の『騎士団長殺し第二部』を、4月29日に読み終える。
2週間で5冊読了は初めての経験だ。 老いの目はしょぼしょぼ。
国内外を問わず、社会現象にもなっている村上春樹さんは、
良質のストーリー・テラーだと思う。
物語が豊かに展開してゆき、読者は気持ちよく様々な世界に導かれる。
だが残りわずかになっても、ひろがっていった物語は一向に収拾に向かう気配がない。
そして、つじつまを合わせるような形で(あくまでも私感です)慌ただしく終わる。
それまでが面白かっただけに、終わり方にやや後味の悪さが残った。
(2017年4月30日 記)

今日(4月17日)は、田中慎弥著『孤独論 逃げよ、生きよ』を読む。
何冊か田中さんの本を読んだことがあるので、読んでいて何か違和感があった。
あとがきによると口述筆記とのことで、納得した。
今の若者たちの現状に、書かずにはいられなかったのだろう。
妹や弟に対して、あるいは甥っ子、姪っ子に対するような、田中さんのまなざしが温かい。
若い頃に読んでいたら、自分の夢ともっと葛藤できたかもしれないと思った。
心に残った言葉を引用させて頂きます。

第一章 奴隷状態から抜け出す

(1)一見、それなりに恵まれた環境にあっても、奴隷になっている人はたくさんいる。
   反論が許されない雰囲気、主体的な思考を阻む雰囲気が蔓延(まんえん)して
   いるなら、それは奴隷化をうながすものです。

   でも、主体的な思考を取り払って仕事をしている状態が続くようだと、言わずもがな、
   やがてそれは思考停止に直結します。マニュアルだけを重んじるあなたは、
   奴隷か奴隷予備軍です。

   人間同志だからそういう食い違いは日常茶飯事のはずですが、では実際に疑問を
   相手に伝えているかといえば伝えていない。実害があるわけではないし、
   それはそれでそこそこやっていけているからなんとなく黙したまま。
   こうした状態も思考停止ですから、奴隷だと言える。

   あなたが奴隷なのかどうかは、物理的な状況によってのみ左右されるのではありません。
   むしろその状況をどう自覚するか、その状況をみずからコントロールする意思が
   あるのかないのか、それが奴隷と非奴隷の分かれ目です。

   人間は慣れる生き物だし、環境への適応能力もきわめて高い。だからそもそも
   現状肯定に走りやすく、それは容易に思考停止してしまうこととイコールです。

(2)危険なのは、頭の中が目詰まりして客観性を失った人です。
   わたしはいまここで仕事をしているのだ、やり遂げなくては、という目先の事実に
   雁字搦(がんじがら)めになって、完全な思考停止に陥った挙句、
   ほかの選択肢を見失う。
   夜逃げすらできないし、その発想自体に思い至らない。そうするうち、
   体力も精神力も奪われてゆく。これがもっとも危険な状態です。

   自分が損なわれる、自分の人生を失う、それ以上の苦しみはありえない。
   四の五の言わず、後先を考えず、その場から逃げろとわたしが強調するのは、
   逃げることの一歩を踏み出さなければなにもはじまらないからです。……
   大切なのは、逃げたら、そこからは能動的な思考を継続していくということ。
   主体性、能動性、そういったものを取り戻すための逃避なのですから。

第二章 便利さと生きづらさ

(1)みずから向き合う時間がなければ、豊かさは得られないし、あなたは奴隷のままです。
   ずっと急(せ)きたてられて生きることになる。
   それはあなたの人生のようであってあなたの人生ではない。

第三章 孤独であること

(1)人間は孤独なのだという前提を受け入れがたいのは、独りになることを過度に恐れたり、
   あるいは許せなかったり、さもなければ独りでいる自分はおかしいのではないかと
   疑心暗鬼になったりしてしまうからで、そうした圧力のような存在は、かって長い間、
   引きこもりのような状態だったわたしからすればわからなくもない。

   そもそも日本社会そのものが、ひとつの共同体や同じ価値観に属するのを強いていて、
   つまり孤立を回避する力学で成り立っているので、おのずと孤独には後ろめたさが
   伴(ともな)うように仕向けられているのです。

   友だちの数の多さや、場を盛り上げたり場に馴染むコミュニケーション能力を
   重宝する風潮は、過剰防衛の虚(むな)しい反転にすぎません。
   そんなものはなくても立派に生きていける。独りになり、陰口をささやかれ、
   後ろ指を指されようとも、気に病むべきではない。
   むしろ同調圧力から解放されて、自分を顧みる機会を得たのだから、
   喜んでいいくらいです。

   孤独を拒んでなしえることなど、なにひとつありません。
   自分のやりたい道に舵を切れば、必ず孤独に直面します。
   そこは耐えるしかない。そして耐えられるはずです。
   孤独になるのは当たり前のことなのですから。

   孤独とは思考を強化する時間でもあるので、その時間が足りないと、建設的な提案や、
   あるいは反論ができなくなる。生産性を高められなくなるし、無理筋な要求を
   唯々諾々(いいだくだく)と受け入れるはめにもなります。
   いずれにしても、あなたなりの考えを練っておくことは大切です。
   なにかしらのチャンスが訪れたときにものをいいます。
 
   独りの時間、孤独の中で思考を重ねる営みは、あなたを豊かにします。
   そうした準備、練習が、仕事に幅をもたらす。あなたを解放する。

(子どもが中学生の頃だったか、「チャンスの神様には前髪しかない。準備もなしに
 慌ててつかまえようとしても、逃げられてしまう」と話したことがある。
 田中さんも『チャンスの神様』の話をされていて、嬉しくなった)   2につづく



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孤独論 逃げよ、生きよ (2)

2017-04-17 16:37:48 | ③好きな歌と句と詩とことばと
第三章 孤独であること

(2)無力感をしっかり受け止め、無力な自分の中にしばらく浸っていられるだけの体力、
   気力を養っておきましょう。さんざん無力だ、なにもできないと感じて、
   少しくらい腐ってもいい。そのあと自分のやるべきことを考え、
   しっかり頭を上げて実行に移すのです。             

第四章 なぜ読書が必要なのか

(1)仕事や世間の奴隷にならず、くだらない流行から逃れ、そして孤独に耐えるためには、
   本を読み続けなければいけない。そう固く信じるからです。
   わたしの半生において、本を読むことは何物にも代えがたい、最大最強の支えでした。
   わたしは読書から多くの滋養を得て今日まで生きてきたし、
   それはこれからもそうでしょう。
   どんな境遇や職業の人でも、書物に触れること抜きに、生きる手ごたえはつかめない。
   わたしはそう考えます。

   いまあなたがいる世の中は、あなたの頭の中だけで完結しているのではなく、
   外にはそれと価値観の異なる無数の世の中がある。外にはあなたの思考や発想と大きく
   かけ離れた価値体系がある。読書はあなたにそのことを知らしめてくれる。
   あなたが現状に窮(きゅう)しているのであれば、すなわち奴隷になって
   いるのであれば、本の世界に浸る孤独な時間は、無数の選択肢をもたらし、
   希望の光となる。滞っていた思考を耕してくれる。
   読書とは奴隷に陥らないための、奴隷状態から逃げ出すための、
   手引きにもなりえるのです。

(2)みずから積極的に手を伸ばしてつかんだ言葉でなければ、充分な用をなしません。
   日々意識しないと、言葉は本当に目減りして、やがて枯渇してしまうのです。
   するとどうなるか。言葉はわたしたちの考える素(もと)です。
   行動を決めるのも言葉です。枯渇すれば、能動的に活動することが
   ままならなくなる。……
   それは思考停止を意味する状態であって、あなたは望まない環境に閉じ込められても、
   それに抗(あらが)えない奴隷となります。
   言葉は本来の自分を保つための武器なのですから、ゆめゆめ疎(おろそか)に
   してはいけません。

   出世して責任ある仕事を任せられ、あなたはそれにやり甲斐をもって
   取り組めていたとしても、いつでも孤独の中で思考を重ねられるような心構え、
   いってみれば心の闇のようなものを抱えていたほうがいい。
   現状に満足するあまり、社会に順応しすぎるのはどうかと思います。
   順応しているつもりが、気づけば馴致(じゅんち)させられていた、という事態は
   往々にして起こりえますし、それが奴隷化のメカニズムのひとつであることは……。
   いくら順風満帆であっても、内面に孤独をいくらか確保しておくのは、
   奴隷にならずに生き抜くうえで大切なことです。

第六章 職業とは

(1)とはいえ、傍目(はため)からは怠惰な暮らしに違いありません。母からもたまに
   「なんとかしなさいよ」くらいは言われましたが、叱られはしなかった。
   母のそうした態度があったからこそ、わたしは作家になれたともいえます。

   母が「この子はあまり会社でばりばり働かないほうがいい」と思っていたのでしょう。
   「なるようになるだろう、死ななきゃいい」くらいに考える図太さが
   母にもあったわけです。
   わたしにとって、そういう環境はありがたかった。

(2)さらに言えば、生まれてきたこと自体が棚ぼたみたいなもの。
   棚の上にいつもぼた餅は載っている。そこに気づくかどうかです。
   こんな過酷な状況にいて、自分は耐えるしかない身だと思ってばかりいると、
   棚の上にぼた餅があることすら気づきません。
   棚の上にぼた餅があることに気づき、その下に移動して皿を構えるくらいのことは
   やれるはずです。それもやらないようでは怠慢と言われても仕方がない。
   あるいは、それもできないような状況にいるのなら、きつ過ぎるので、
   すぐに逃げ出す算段をしたほうがいいでしょう。
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